日本各地で熱中症により体調を崩す方が相次いでいるようです。
マスク着用により体感温度が上昇する事も関係しているので、こまめな水分補給を心がけたいところです。
補給する水分は、必ずしも「冷たい飲み物」でなくても構いません。
胃腸があまり強くない場合、常温のポカリスエットや麦茶なども効果的です。
1989年にイギリスで作出されたシャリファアスマと云う品種です。
白葡萄の香りをイメージして作出されたとの事で、実際に近付くと甘すぎないフルーティーな香りを堪能出来ました。
こうして見ると少し涼しげな感じがします。
優雅な印象の薔薇で、私のお気に入りの品種のうちの一つです。
標題の趣味に取り組む際の信条について少し記したいと思います。
まず、趣味の定義とは、国家から強制されず、自らの自由意思で取り組んでおり、且つ、それにより何らかの報酬を得る事が無い事とします。
「何らかの報酬」とは、金銭面だけでなく、コンクールなどで受賞した事や検定試験に合格した事を自らの付加価値として社会的に評価される事も含みます。
故に、高校や大学の推薦入試や、就職活動に於いて有利になるよう予め打算的な目的で取り組んでいる事柄については趣味の定義には含まないこととします。
また、健康維持のみの目的で何らかのトレーニングに取り組んでいる場合も、趣味の定義には含まないこととします。
私は、現在ピアノとバレエを趣味としています。
ピアノは幼少期から習っていたのですが、長いブランクを経て昨年1月末に再開し、毎日自宅で練習しています。
バレエは20代になってから初めて始め、10年以上前から習いに行っています。
そこで、これらの趣味を始めた時(ピアノの場合、再開した時)に決意した事が有ります。
「周囲の人に、趣味を理由に『時間が無い』『疲れた』『キツイ』『お金がかかる』などと愚痴を吐かないようにしよう」
これは、私が20代の頃、習い事としてのバレエを始めた時に心に誓った事です。
綺麗事では無く、習い事をする際にはお金が必要です。
また、バレエの場合、日常生活では使い慣れていない筋肉を使うので、最初のうちはバレエのレッスンの翌日は朝から筋肉痛で、起床の際、肉体的に辛かったのが本音です。
時間についても、レッスンを受けている時間や行き帰りの時間だけでなく、自宅でレオタードを手洗いしたり、バレエを習っていなければしなくてもよい事に一定時間を費やす必要が生じます。
ピアノについても同様で、ピアノの練習をする事により「手が疲れた」、「朝練の早起きが辛い」、「今練習している曲が難しくてめげそう」などと周囲の人に弱音を吐く事は絶対に控えようと心に誓いました。
「誰からも強制されず、自らの楽しみとして自分の意思で始める事について、他人の干渉を受ける事がない反面、他人を不快にさせたり、他人を巻き込む事をしてはならない」
これが私の趣味に取り組む際の信条です。
趣味とは、第三者から強制された訳ではなく、完全なる自由意思で取り組んでいる事で、他人がそれによるメリットを享受する事が無い性質を持つものです。
練習に取り組む際、無関係な人に向けて弱音を吐いたり、時間がない、疲れた、お金がかかる、などと愚痴を吐くのは筋違いだと私は考えています。
勿論、身体に支障をきたした場合は医療機関にて正式に受診すると云う方法で、周囲の無関係な人ではなく、その道の専門家に勤務時間内に診ていただいた事は有ります。
このような思考に至ったのは、大学時代、部活動やサークルは任意加入であったにもかかわらず、
「部活の合宿で夏休みが人より少なくなるから自分は不利だ」
「サークルの練習に参加するから時間もお金も奪われる」
「何もやってない人はいいよね、休みの日にゆっくり休めて」
「自分は朝から練習に行ってきたから他の人より疲れてる」
などと不特定多数に向けて発言を繰り返す人物が複数おり、辟易していたからです。
正直、上記の愚痴を耳にした時には、「そんなに不満があるのなら辞めれば良いではないか」と思いました。
実際に本人達に面と向かって「嫌なら辞めれば?休みの日にゆっくり休めるしお金もかからないよ」と言い放った事もしばしば有ります。
そうすると、キツイ性格だとか、厳しい事言うな、などと言われましたが、本来学業が主体である大学で、自由意思により加入している部活動やサークルについて、部外者に向けて「自分は不利」だの「何もやってない人はいいよね」だの言う事自体、行動と矛盾していると私は今でも考えています。
私自身、大学に入学する際、自分の意思で選んだ学部であるから、辛い事が有っても他学部の人に向けて弱音を吐く事は絶対にしないようにしようと心に誓っていました。
任意の校外活動についても同様です。
「実験が忙しいから他の学部の人より自由に使える時間が無くて不利だ」、「定期試験の勉強量が多くて大変だ」、などと他学部の人達に言わないよう努めていましたし、もしこのような愚痴を他の学部の人達が聞いたら、「じゃあ辞めれば?」「入試の前から分かり切っていた事を選んだのは自分だろう」「自分の選択ミスを人に愚痴るのをやめてほしい」「誰もあなたにその学部に入学してほしいなんて言ってない」などと思うのは必至だと思っていました。
実際、実験室の中で「難しい」「手間がかかる」などと愚痴を吐いた学生は、指導教官から「嫌なら辞めて貰って結構。入りたくても入れない人が沢山いるのにその姿勢は学問に向いていない」と叱責を受けていましたし、それは当然の事だと思います。
趣味の場合、学業よりも更にしなくても社会的に何ら影響のない贅沢な事で、自分で選んだ生き方について、無関係な人を巻き込んでその人には何のメリットももたらすことのない愚痴を聴かせるのは筋違いだと常に私は考えています。
私自身、他人が自由意思で選んだ生活について愚痴を聴かされる事に対し、著しく嫌悪感を抱いている為、自分がされて嫌な事は他人にしない、これを実行するよう努めています。
ペットの世話が大変でお金がかかるだなどと少しでも愚痴を聴かされると、「最初からペット飼わなきゃよかったのでは?」「ペット飼ったら世話が必要なんて想像しただけで解るよね?」と言い返したいのをいつも堪えています。
匿名の自由閲覧で執筆している本ブログ記事内に於いては随所に愚痴のような不満を記載していますが、本ブログへのアクセスはしなくても構わない事が前提なので、実際に面と向かって趣味を理由に愚痴を吐かないようにする事が私の信条だと表現するのが適切かもしれません。
【本日のピアノの練習について】
・ハノン 1~20番の中から10曲
・バッハ インベンション第1番
・バッハ インベンション第2番
・バッハ インベンション第14番
・バッハ インベンション第9番
・バッハ インベンション第13番
・バッハ インベンション第7番 (暗譜済)
・バッハ インベンション第4番 (暗譜済)
・バッハ インベンション第8番 (暗譜済)
・バッハ シンフォニア第11番
・ショパン ノクターン第20番(遺作)
・ショパン エチュードOp.10-12(革命)(暗譜済)
・その他(スケール、アルペジオ、その他)
バッハのインベンション第1番をメトロノーム 八分音符=120で丁寧に練習し直しました。
インベンション第1番はテーマを意識すると意外に侮れません。
まずは、装飾音を全て除いて片手2回ずつ練習した後、装飾音を入れて片手2回ずつ練習して両手で合わせるという基本に帰って確実に正確なタッチを習得しようとしています。
インベンション第2番はメトロノーム 八分音符=120で右手2回に対し左手5回練習し、両手で合わせています。
現在、シンフォニア第11番に難儀しています。
一旦、3声を全てバラバラに1声ずつメトロノーム 八分音符=120で通して弾いてみた後、ソプラノとバスのみ、ソプラノとアルトのみ、アルトとバスのみを弾いてみて音の聴き分けを自分で意識して行っています。
3声を合わせて弾いてみると、やはりアルトの音が保持出来ていない箇所やタッチが甘い箇所が多く、昨日確定した運指を再考する必要性が有ると思います。
全くペダルは使用していないのですが、音が汚い事が際立っているので、もう少し保持音について具体的に対策していく事が明日からの課題です。