日本各地で熱中症警戒アラートが発信される程の激暑が続いています。
イギリスを作出国とするシラレと呼ばれる品種です。
本場イギリスでも今頃の時期が見頃だとの事です。
老成した雰囲気を感じられる薔薇です。
標題に記した通り、バレエを習い始めたきっかけや当時の心境について僅かばかり記したいと思います。
私は、子ども時代クラシックバレエの経験が無く、成人して完全に自分の意思でバレエを習い始め、10年以上経過しています。
集団レッスンを受けるうちに、様々なレッスン生と触れ合う機会が有りましたが、大人になって初めてバレエを習い始めた方々の中で多い「バレエを習うきっかけ」として、
1.子ども時代からバレエに憧れつつも親に習わせて貰えず、子ども時代からの願望を大人になって実現している
2.美容に良さそう
3.舞台鑑賞が趣味で、声楽とセットで習っている
上記3点が圧倒的に多いと感じます。
2.の動機のみで習い始めた方はあまり続かない傾向があります(※勿論、例外は有ると思います)が、1.及び3.を動機として始めた方々は、長続きする傾向にあると思います。
私の場合、天候に左右されない室内で何か身体を動かす事を定期的にしたかったのが当初の一番の理由です。
故に、バレエについてはほとんど予備知識が無いまま体験レッスンを受けて入会しました。
近隣に、ヨガや社交ダンスの教室も在りましたが、異性と必要以上に接触を持ちたくなかった為、成人女性のみを対象としたバレエに決めたと云う理由も有ります。
更に言えば、集団レッスンを受けた後、何らかの人付き合いが生じた際、バレエを習う人達との関わりであれば、ヘビーな食事をしなくても済むのではないかと云った打算も有りました。
即ち、
・室内で身体を動かす習い事をしたい
・異性とは関わりたくない
・食事を伴う人付き合いを避けたい
・ダイエット(「痩せなきゃ」)の話を聴かされたくない
・面倒な恋愛の話を聴かされたくない
上記を全て満たす環境を手に入れる事が、バレエを習う事と同義だと判断した訳です。
この判断は大正解でした。
私が10年間以上もの間、バレエを習い続けていられる理由は、自ら望んでいた上記の「環境」を全て享受できているからです。
逆に言えば、上記全てを満たす「環境」さえ整っていれば、何のサークルでも良かったのではないかとすら思います。
集団レッスンに於いては、居場所が有るから続けられる、今振り返ってみると、これが実態でした。
習い始めてから1年経過した頃から、バレエ自体にも少し興味が出てきました。
順序が逆なのかもしれませんが、当時の私は、嫌な事を極力避ける為に自分と同じような価値観・性質の持ち主の集いの場を探していたのです。
やっと私が自然体で居られる場所を見付けた、そんな気分でした。
それでは、バレエを始めた時は、「バレエを習う事」についてどう捉えていたのか。
物事全般に言える事ですが、何か未経験の事柄を始めたいと思っている場合、四の五の言っていないですぐさま行動に移すのが得策だと思います。
しかし、多くの人は、ネット上の身元が判らない人や、実際に周囲に居る自分の事を全肯定してくれる性格の未経験者に対し、「○○を始めてみたいけど、どう思いますか?」などと、○○がどのようなものなのか実際に見学に行くよりも先に、無益な相談を繰り返し続ける傾向に有ります。
ネット上の身元が判らない人や自分の周囲の未経験者にあれこれ尋ね回って見当違いな憶測を産み出し、そこから不安を抱き、実行に移すには至らない人の如何に多い事か。
そして、数年経過後、「あの時こうしていれば今頃は出来るようになっていたかもしれない」などと、「たら」「れば」の話をするケースを非常に多く見てきました。
私は、このような発言を聴く事に対しても、私自身がこのような発言をする事に対しても、著しく嫌悪感を抱いています。
それ故、自らがこのような発言をしなくても済むよう、可能な限り早く実行に移した訳です。
肝心なバレエについては、今では鑑賞も好きになっており、バレエを習い始めたきっかけの事をすっかり忘れていた程です。
【本日のピアノの練習について】
・ハノン 1~20番の中から2曲
・バッハ インベンション第1番
・バッハ インベンション第2番
・バッハ インベンション第14番
・バッハ インベンション第9番
・バッハ インベンション第13番
・バッハ インベンション第7番 (暗譜済)
・バッハ インベンション第4番 (暗譜済)
・バッハ インベンション第8番 (暗譜済)
・バッハ シンフォニア第11番
・ショパン ノクターン第20番(遺作)
・ショパン ワルツOp.64-2(嬰ハ短調)
・ショパン エチュードOp.10-12(革命)(暗譜済)
・その他(スケール、アルペジオ、その他)
昨日記載していたバッハ インベンション第2番について、メトロノーム 八分音符=120で片手ずつ丁寧に練習し直しました。
右手1回に対し、左手3回の割合で左手の強化に励んでいます。
現時点では、インベンション第7番が音楽的に一番好きなので、第7番ばかり練習してしまいがちですが、第2番があまりにも拙すぎる事に危機感を抱き、ハノンの1番を左手だけやり直した程です。
シンフォニア第11番は、各声部を分けて弾いてみて音を再確認するところから始めました。
ソプラノとバスは頭の中で再現できるようになったのですが、アルトを意識するのが非常に難しいです。
以前、合唱団の実力はアルトで決まると云う話を聴いた事が有るのですが、3~4声の場合、真ん中の音の意識が重要なのだとシンフォニアの練習で実感しています。
何事も初心に帰って「始めたきっかけ」を考えると、自分が何故その物事を続けられているのか、理由が解る気がします。
「好き」もしくは「適性が有る」、その両方の場合もありますが、10年以上もの間、他者から強制されている訳でもなく、仕事に関与する訳でもない事を続けていられるということは、必ず生活環境が絡んだ何らかの理由が有ると今では考えています。
ピアノに関しても、私自身、再開を決意した際、明確な理由が有りました。
非常にデリケートな理由である為、web上に公開するのは憚られますが、単に「好きだから」だけではありません。
18歳以上の大人が、自分の職業や他者の承認に全く関与しない分野に自らの意思で取り組み、続けていく場合、何らかの負の理由が絡んでいる気がしてなりません。
日々取り組み、鍛錬を重ねていくには、その労力と等価である明確な理由が有るのではないかと思えてなりません。
したがって、「趣味としてのピアノが下手」なのは極めて健全で、実力が無い事はその人の人生が満たされている証拠だと私は考えるのです。
以前、「普通が一番」、「過不足ない及第点を狙う生き方こそが至高」、「秀でていない事にこそ価値がある」と記載したのも、本記事の内容と関連しています。