最近、Amebaの中のバレエのレッスンの様子を記していらっしゃる方々のブログを読ませて頂く度に、私も早くバレエのレッスンを受けたいと強く願うようになりました。
今年3月まではレッスンを受けていたのですが、4月から緊急事態宣言が発令されると共に、お教室側の休講や自主休講が続き、バレエは一旦休止中の状態です。
スポット受講で月1回程度ピラティスも受けていたのですが、こちらも同様に休止中です。
ピラティスは左右の身体を均等に使えるようにする為に良い講座だったのですが、再開まで暫くお待ちするしか術が有りません。
暫くの間は自宅でピアノを楽しむ事にします。
【本日のピアノの練習について】
・ハノン 1~20番の中から5曲
・ショパン ノクターン第20番(遺作)
・ショパン 幻想即興曲
・ショパン エチュードOp.10-12(革命)
・ショパン エチュードOp.10-4
・その他(スケール、アルペジオ、その他)
昨日言及した、曲のパートの移り変わりについて、ショパンエチュードOp.10-4に於いては強く意識せずに一曲通してもあまり問題無いが故、一曲を一息でと云うか、曲の最初から最後まで同じ「ような」スタンスで弾く癖が付いていたのですが、幻想即興曲やショパンのワルツの大半ではそう云う訳にはいかず、「パートの切り替わり」をどう捉えるか、この点について以前よりも深く考える必要性を感じます。
ベートーヴェンの「エリーゼのために」に於いては自然に出来ていた事だと思うのですが、エチュード以外のショパンの曲全般に於いて、この「パートの切り替わり」の捉え方がが難しいのではないかと思いつつあります。
似たような事象として、舞台や映画など、時間の流れと共に全く切れ目なく続く「作品」に於いて、場面の移り変わりの時の表現は非常に難しく、技術の高い役者の方々は、この切り替えの部分の表現も手を抜かないどころか実は腕の見せ所なのではないかと思う程、魅せられる演出をなさいます。
ピアノを再開してから、本気で取り組んだ曲は、パートの切り替わりについて深く考えなくても済むような曲ばかりだったからか、目まぐるしくパートが変わっていく曲は敢えて避けていたからなのか、原因はよく解りませんが、今回幻想即興曲をやり直していくにあたり、改めて下記添付画像の第41小節から第42小節にかけての部分について考え直しました。
今の私にとっては、この部分はクラシックバレエのプリエを想起する箇所で、バレエもピアノもソロの場合、一人で最初から最後までパートを担当する事になり、時間の流れを遮る事が無いと云う点に於いては共通項が有る映画やドラマは、たとえ一人で演じる場面であっても不連続関数の如く後から合成できる為、別事象として捉えています。
連続関数の思考と不連続関数の思考とで二分するのは短絡的かもしれませんが、幻想即興曲の転調部分に於いてバレエのプリエを想起したのは、私が識っている物事の中で一番似通っている事象がバレエのヴァリエーションだったからだと思います。
ここまで書いておいて話は変わりますが、今、メカニック的に難儀しているのが黒鍵のエチュードの三連符が終わって最後両手オクターブで駆け降りる箇所です。
先生の予言通り、一曲を通して此処が一番苦戦しています。
左右共に1-5を使っているのですが、此処の克服に来月ひと月かけそうな勢いです。
何事も、一つ克服すると一つ新たな課題が出てくる気がします。