台湾での思い出を少し。

 ここ10年間ほどで日本から気軽に観光に行く事が出来る台湾が旅行先として非常に人気となりました。

 


 有名な中正紀念堂です。

 

 

 夜の龍山寺

 通常、寺院ではノースリーブサンダルなどが禁じられておりますが、ノースリーブチャイナ服であれば歓迎されておりました。

 

 綺麗に撮れた写真が有ったのですが、CD-RUSBが手元に無いので探し出せず…。

 様々な場所への旅行が現実的に難しくなった事よりも、データの整理について上手く出来ていない事の方が私にとっては問題です。

 

 

 台湾の某ホテルのPCルームのキーボードです。

 

 

 本日のピアノの練習について。

 

 ・ハノン 1~20番の中から10曲

 ・ツェルニー30番練習曲集 12番、15番、18番、30番

 ・ショパン ノクターン第20番(遺作)

 ・ショパン エチュードOp.10-12(革命)

 ・ショパン エチュードOp.10-4

 ・その他(スケール、アルペジオ、31~33番)

 

 例によって結局一睡も出来ず朝を迎え、革命の途中でも頭が覚醒していなかった為、Op.10-4を適当に流して終えました。

 終始「心ここにあらず」の状態です。

 

 ずっと「私の書き言葉が誤解される事について」 この件ばかり考えています。

 電話対面の口頭で連絡した場合、全くそのような事が起こらないので、なるべくLINEやメールを用いての連絡を避けたいと考えているのはこの為です。

 

 言葉を取り違えられたというより、「申告が信じて貰えない事」、この点について非常に悩んできました。

 そして、その「申告」の内容の特性分析についても済んでおります。

 

 結局のところ、「仮病や家庭の事情を口実にして、何かを断る人が多いが故、本当に体調不良や家庭の事情が理由で何らかの約束を果たす事が出来ない人が疑われる、こう云うメカニズムが社会全体に蔓延っているのではないかと思います。

 

 そして、私自身もその「口実を使う不届き者」だと認定された、こう云う事です。

 

 「身内の突発的な事情」を単に自らの行きたくない気分と云う我儘を通す為に口実として使う者が多いが故、そのような連絡を受けた側も「口実」としてしか受け取らなかった、このような社会構造が出来上がっているのではないかと思います。

 

 今回のピアノの先生との件で、中学や高校の頃の事も思い出したのですが、実際に実家の事情(身内の急病や不幸など)で学校を欠席せざるを得ない時、が学校の規則に従って欠席連絡をしたにもかかわらず信じて頂けたことは一度も無く、親も担任教師には「疑われて当たり前」「教師には話が通じなくて当たり前」だとの認識を持っていました。

 「言っても無駄」な相手に何か説得しようとしても不毛なやり取りが続くだけなので、そのような相手に直面した際、最善の方法は「諦める」、これに尽きます。

 

 そもそも、何かを指導する立場に居ながら、他人の家庭の事情や病気の申告を疑う事自体、人と人との対話を諦めるべき相手だと思います。

 

 ご自身が常に他人を欺き、虚偽申告を繰り返しているが故、保護者からの連絡も全て虚偽だと思い込んでしまうのか、他の保護者たちが「口実」を上手く利用して虚偽申告していたからなのか、私自身が特別嫌がらせを受けていたからなのか、解りませんが、思い出しても嫌気が差します。

 

 使用端末のトラブルにより返信が滞っていた時、謝罪しても「はいはい、連絡したくなかったんでしょ」等と返信する相手と本質的には何ら変わりは有りません。

 

 何らかの指導を受ける側も未成年の頃からこのような大人に関わっていては、「事実を報告しても信じて貰えないのなら、最初から事実を報告しない」、このような思考に行き着く者も出てくるのではないかと思います。

 

 

 プロバイダや端末のトラブルや自然災害、体調不良など、不可避の事象を一切考慮せず、短絡的な思考で生きていく事を避けようと思う件でした。