本日も無事朝からピアノの練習に取り組む事が出来ました。

 相変わらずショパンエチュードの虜になっております。

 

 私がショパンのノクターンよりも、プレリュードよりも、エチュードに夢中になっている理由の本質を少し突いてみます。

 昨夜漠然と感じていた事ですが、クラシック音楽の大半が欧州発祥である事を考えると、日常生活に於いて「行間を読む」「雰囲気で察する」習慣があまり無く、主張したい事は言語化して直球な表現を用いる事が一般的な文化の中での「表現」と、現代日本のような「雰囲気で察する」事が要求される文化で育った人が行う「表現」とでは、技巧以前に意識が異なる為、その点の考察から入る必要が有ると私は捉えています。

 現段階に於いては、本件について考察する情熱全く有りません。

 精神的な余裕が無い事情も有りますが、思考が浅いまま生きてきた私は、その点を改善する向上心が今のところ有りません。

 

 最近、私が取り組んでいるのはそもそも「ピアノ」なのか、毎日取り組んでいるのは「練習」と呼べるものなのか、何の為に曲を練習しているのか、その曲が或る次元まで完成したとしてどうしたいのか、疑問に感じています。

 

 そして、10代の頃は難なくこなせていた暗譜が今出来なくなった理由の核心に迫ると、「CHOPIN」この文字を見て何を連想するか、此処に全て凝縮されていると確信を持って言えます。

 敢えてダブルクォートを用いず、鍵括弧を使用して表記しました。

 私は、未だにアルデヒド基を有した化合物の分子式だと自然に捉えております。

 何の注釈も無く文字だけ見せられた場合、化学元素記号を真っ先に連想してしまう時点で、難なく暗譜出来ていた頃とは思考回路が全く異なる脳が出来上がってしまったのではないかと云うのが私の見解です。

 毎日毎日ショパンの楽曲の練習に取り組んでいるにもかかわらず、ピアノを再開してもうすぐ1年が経とうとする現時点でもやはり真っ先に連想するものが分子式だと云う時点で、物事の捉え方が10代前半の頃からすっかり変わってしまい、あの頃の感覚を取り戻す事は不可能なのではないかと思うのです。

 「何度か弾いていたら自然と指が覚えていた」のは、動作の問題も有りますが、音感を受容する脳の使い方にも大いに関連していると思います。

 

 この時期、"CHOCOLATE"と大文字で表記されているのをよく見かけますが、LATEの部分が角度により隠れている場合、やはり何らかの有機化合物を即座に連想します。

 この件や「CHOPIN」の件を友人に話すと、「わかるわかる」と言われましたが、この発想が有る限り、暗譜の仕方について、自然に出来ていた中学時代までとは全く異なる方法を自分で産み出さなければ一生出来ないままなのではないかと思います。

 

 暗譜が出来なくなった理由は他にも枚挙に暇が有りませんが、理由を突き詰めて以前とは別のアプローチ方法を考えていきたいと思います。

 黒鍵(Etude Op.10-5)の暗譜方法はOp.10-4の手法が使えないのです。

 Op.10-4は対称性を利用して捉えて暗譜出来たのですが、Op.10-5の暗譜方法を考えていると、毎回木枯らしの方が現実的に暗譜し易いと云う結論に到達します。

 感覚的なもので物事を捉えるには余計な知識が付きすぎたのかもしれません。

 

 

 今年はバレンタインに因んだチョコレートフェアが各地で開催されるのか、気になるところです。

 ほうじ茶のチョコレートやアールグレイのフレーバー等、一風変わった作品が意外に美味だったりもします。