日本全国に寒波が到来し、降雪による影響が懸念されているようです。
本日は起床後朝食前80分ピアノに向かい、朝食後も食器を片付けた後そのまま練習を続けていたのですが、食後に集中して練習した方が効率良いのか、朝食前苦戦していた箇所が朝食後はすんなりと出来たり、余裕を持って練習に取り組めたり、新たな発見が有りました。
昨夜8時間睡眠を取る事が出来た影響なのかもしれませんが、コンディションが良く、心地良かったです。
その後予定が有り、ピアノに専念出来ずに不完全燃焼のまま終えざるを得なかったのが残念な程…。
ショパンのEtude Op.10-4のミスがだいぶ少なくなったので乗り気で練習していたのですが、時間切れ。
毎日毎日時間との戦いを繰り広げております。
本日は蟹座満月と云う事で恒例のベートーヴェンの月光を通して弾いてみて、前回の満月ではスタミナが持たずに途中で止めざるを得なかった明確な理由を思い出しました。
睡眠不足とストレス、その他との複合的要因により生じた事です。
ずっと持っていた疑問を書くべきか否か迷いましたが、この際記載する事にします。
直球で言うと、「何故『先生』と呼ばれる立場の人は、挨拶や会話をしないのか」ですが、先生になったから挨拶をしないのではなく、学生時代から1回も挨拶した事が無い人が先生になっているのが現状です。
ここで指す「先生」とは、自営業ではなく組織の中で働く指導員全般です。
思い返せば、学生時代、教授や准教授は基本的に挨拶しても返さない風潮が有り、今その入口に立っている「助教」に就任した人は、大学1年生の初対面の頃から同級生に挨拶しているのを見た事が有りません。
最初は、見た目大人しそうで人見知り激しそうな感じだったので、緊張しているのかと思ったのですが、この人が修士2年までこちらが何を話しかけても一言も口を聞く事無く、一言も会話しないままお別れしました。
私だけにではなく、同期の誰にも挨拶しているのも会話しているのも見た事が無く、その人の話し相手は目上の人だけ…。
目上の人の前では人格が変わったような愛想の良い態度で驚きます。
このような人が周囲に3名居ました。
それぞれが徒党を組んでいる訳では無く、それぞれ孤立してお互い無視し合っている状態です。
お高く止まっていると云うより、単に挨拶が出来ない人と云う印象でした。
本人に何を話しかけても無視され続けたので、心中解らないままですが。
同じ学校の同じクラスに居た事も有ったので、用件が有って話しかけても完全に無視で目も合わせない…。
アカデミックな職種の方々が全員挨拶をしないと云う訳では無いと思いますが、挨拶をしない人はどのタイミングで挨拶しない判断を下しているのか、どのようなポリシーを持って挨拶しないのか、子どもの頃は皆挨拶していたと思うのですがいつから挨拶しなくなったのか…凄く不思議です。
少なくとも、18歳の時点では挨拶しない習慣が身に付いていた事実を目の当たりにしています。
…このような学生生活を送った人達が、今、様々な大学の助教に就任している現状…。
その頃から、大学生の学力低下の問題が叫ばれており、「その問題よりも、まずは上の立場の人間性を教育する必要が有るのでは?」と何度思った事か…。
私自身、高校卒業まで、顔見知りの相手には友達以外でも全員朝すれ違ったら挨拶していたので、挨拶を無視する人が居る事自体、カルチャーショックでした。
私が狭い世界で生きてきたと言えばそれまでなのですが、世の中には大して仲良くも無いのに挨拶をするのは非常識だと云う考えの人も居るとネットで知ったので、25歳ぐらいからは文化の違いと割り切ることにしましたが…。
深入りして雑談する事を強要するのはどうかと思いますが、挨拶ぐらい返しても減るものは無いのに…と、一般庶民の私は思ってしまいます。
友人とも、上述の人達について何故どんな言葉をかけても無視するのか、何度も話題になった程です。
単純に会話が嫌いな人なのか、言葉を交わす相手について過度に選んでいるのか、寡黙と無視を混同しているだけなのか…。
この事は20代前半の頃、該当人物とすれ違った日は毎日考えており、周囲にも何度もこの話題を持ち掛けていました。
後輩達も感じ悪くて嫌だとぼやいていたので、恐らく同じような対応をされているのだろうと思いましたが。
偶然このような人物が周りに居ただけなのか、考えてみたのですが、どこに進学した人も同じような感じの人が必ず居ると言っているのを聞いて、諦めるしかないと思いました。18歳までに培われた常識の違いを覆すのは、他人の力を以てしては不可能なのでは…とも。
社会人になっても、苗字のみ呼んだら聞こえない振りをして、「先生」「部長」「統括」等と役職付きでと呼ばれるまでずっと無視し続ける人についても非常に疑問に思っていましたが、この手の拘りが強すぎるが故に、自分が希望する呼称が使用されない時には無言で備品を破壊する等、或る種の社会不適合者なのではないかと思ってしまいます。
そして、その社会人は学生時代同級生とは全く言葉すら交わした事が無いと云う実態…。
あまりに異様な光景だと思ったので、知り合って4年目ぐらいに一度「私の事を嫌いでも、挨拶ぐらいはしませんか?」とメール送信した事が有る程です。
此処にこれだけ記しているのですから、当然、それくらいでは事態は変わりませんでしたし、返信も有りません。
或る友人は、「あの人、人間としての感情有るのかね?」と言っていましたが、何らかの意図が有って会話する相手を選別しているのではないかと当時から私は思っていました。
放っておけば良いと言われた事も有りますが、用件が有って物事を伝える必要性が有る時に連絡手段が無く、非常に困ります。
話し言葉も書き言葉も何も通じない…。
頷く事すら一度もされた事が有りません。
ロボットに向かって話しかけているより酷いです。
偏屈と呼ばれていた無反応な「先生」方の学生時代もこのような感じだったのでしょうか。周りに及ぼした迷惑を考えた事が有るのか疑問です。年齢を重ねて、「自分は挨拶する相手を選別している」と公言していらっしゃる方もちらほら…単なる非常識と高尚な態度とを混同していそうですが、周りに意見してくれる人も居ないので独善的になっても仕方ないです。
本件詳細記載すると長くなるので(どれだけ語り尽くしてもネタが尽きない程この種の話が有ります)これ以降控えますが、高校卒業後からずっと問題視していた事です。
当時、近所の中学生用の地域密着型学習塾のスクールバスに、「勉強よりも、挨拶が大切」と記載されているのを見て、「その通り!!」と思うと同時に、挨拶が出来ない中学生が居るからこのような事が書かれている→そもそもそのような中学生を産み出したのは誰なのか?と毎回思っていました。
そして、上述の出来事をたまに思い出します。
年末年始と云う事で、蟹が話題になっております。
蟹は多産と言われており、実際の生物だけでは無く、アイデアや習慣等も産み出すとされているので、良い風習を産み出したいと思います。
幼少期から、相手がどんな立場であろうと挨拶するよう周囲が教育する事、そして大人がその見本を見せ続ける事が大切だと思います。
今はコロナ禍であまり発声できない状態だと思いますので、会釈だけでもすると良いと思います。