私は昔から「手が小さいからピアノは早く諦めた方が賢明」だと周りから言われ続けてきたと思っていたのですが、そもそも誰に手が小さいと言われてきたのか思い出してみたところ、両親と親族以外に思い浮かぶ人が居ないのです。
大人になった今でも、ピアノに全く関連しないハンドマッサージやハンドクリームを扱う店員の方々から異口同音に手が小さいと言われておりますが、今まで私が習ってきたピアノの先生方の中で手が小さいから諦めるように促した方はいらっしゃらないような…。
手首を回したり、手を広げる柔軟性の重要さを教わったり、正しいストレッチ法等を教わって毎日実践するよう促されただけで、さして悲観する事態では無かったと思います。
「手が小さいからツェルニー50番練習曲の10度の和音は音を抜く」等と云った措置も無く、高速アルペジオで乗り切る方法で毎回容認されておりました。
音高や音大を目指すなら別として、8度届けば然程問題無いのではないか…と今では思いつつあります。
9度の和音を同時に掴むよう指示された事も無かった気が…(と云うか、物理的に不可能…)。
幼少期から毎日毎日100万回ぐらい手が小さい事を嘆く言葉をかけられていたのですが、そもそも日常生活に於いて手が小さい事により困る事も然程無い気がします。
物心ついた時には「手が小さいから何を練習しても無理」と親に突き放されていたから、ハングリー精神が湧いてきて自分から進んで練習したのかもしれませんが…。
生後9ヶ月の頃から他の同年代の乳児と比較して際立って手が小さかったらしいです。
父親が手の小ささに気付く程だったので、余程のものだったのでは…と思いますが。
私が標準の手の大きさを持って産まれてきていたら人生は相当変わっていたと思います。
幼少期から様々な話を聴かされておりましたが、際立って手が小さかったが故に親が早々と諦めてくれた道が有ります。
この小さな手が私の「自由」を掴み取る手段となっていたとは、胸中複雑ですが、幾ら産まれてくる前から情報収集しても子どもは自分の思い通りには育たないものなのだと実感します。
昨年の六本木ヒルズのクリスマスツリーです。
時間帯によっては閑散としておりました。
今年は自粛生活を送る中、ショパンの黒鍵のエチュードとEtude Op.10-4の練習に励んでおります。
9度届かない場合でも意外に何とかなる曲も多いです。
何とかなると云うか、Op.10-4の場合は何とかするしかないのですが…。
大人になって自分で先生を探して習い始めた今、開くので問題無いと言われました。
勿論、完全なる趣味の範疇の話ですが。
先天的要因は本人の責に帰する事由では無く、親が望んでも現代の医学で以てして変えられる訳では無いので、産まれる前から期待していた事と反するからと云って嘆いても現実は変わりません。
そして、手が小さいからと云って趣味としてのピアノを辞めなければならない訳でもないと思います。