ピアノを再開して、ショパンワルツOp.64-2に対する意識が変わってきました。

 バレエ音楽「レ・シルフィード」の中に使用されている曲だと云う事情も有り、楽曲に対する想いについての変化です。

 

 この曲は小学生の頃発表会で演奏した曲ですが、当時の精神年齢では理解しきれなかった部分が多かったのではないかと今になって思います。メカニック的に難関だと思われる部分は特に無いと云う理由も相まって、「何が理解出来ていないのか気付いていない」まま終わってしまった気がしてなりません。

 初めてソフトペダルを踏む事を教わったのもこの曲を教わった時だと記憶しています。

 

 再開し始めた頃は、「過去に取り組んだ曲は過去の曲」として頭の中で自動処理してきたのですが、小学生や中学生の頃習った曲を少し弾いてみると、技術的な面だけでなく、人生経験を積んだ分、背景に関する新たな発見が多く、もう一度やり直したい気分になります。

 バレエ音楽「レ・シルフィード」自体当時は存在すら知りませんでした。

 

 過去の積み上げを上書き保存する概念では無く、新規フォルダを作成して保存する感覚で取り組み直している心持です。

 過去に取り組んだ曲には、当時の状況や実際の思い出が付き纏わざるを得ないのですが、そのような固定観念を払拭して新たに練習し直す事は、土地だけ確保して古くなった家をリフォームすると云うより、寧ろ長年空き家であった家を一旦壊して同じ土地に新たな家を建て直すような感覚で、非常に精神的な処理が難しいです。

 

 ピアノを再開した場合、必ずと言って差し支えない程付き纏う問題かもしれませんが、過去に取り組んだ曲をやり直す際、あらゆる分野に於ける心境や環境の変化等が有る為、「初めて」の純粋なる印象を抱く事が出来ず曲によっては過去に囚われがちになります。

 先入観を排除して取り組み直そうとしても、過去の自分がどこかに棲んでおり、過去の自分を追い出そうとしても同居せざるを得ない…それが人生と音楽との付き合い、そして曲の深みにもつながるのかもしれませんので、一概に悪いとも言えないと思いますが。

 

 

 私の場合、今になって当時の理解の底の浅さが身に染みる為、当時の先生に申し訳ないと云う想いが強いです。

 特に致命的なミスをした訳では無いのですが、この曲には常に罪悪感が付き纏うので聴く事を意識的に避けておりました。

 この罪悪感の本質を突き詰めてみると、楽曲を理解していなかった事、そして、理解していない事自体は認識していた事、そして、その事を追求しなかった為、どこが理解出来ていなかったのか全く理解出来ないまま終えてしまった事です。

 

 中学受験と両立するのは難しかったのか、単に精神的に未熟だっただけなのか、可能ならば「無かった事」にしたい過去のうちの一つですが、あの頃の経験が有るからこそ今認識が変わっている事に気付く事が出来る訳で、然程ネガティブな想いを抱く必要は無いのではないかとも思います。

 

 現時点では、私にとって、「初めて取り組む曲」よりも精神的な部分で難しいのが、「過去に人前で演奏した曲」です。

 この概念に対する意識をどう変えていくかが今後の課題です。