朝晩のみならず、昼間も寒さが身に沁み、乾燥が激しい季節になりました。

 身体全体をほぐした後で、本日もピアノに向かいます。

 

 人間の身体は厳密には左右対称ではないようで、私の場合、右手よりも左手の方が広がりが早い上、手自体も僅かばかり左手の方が大きいのです。幼少期からピアノを習っていた人にありがちな事らしいのですが、左手は子どもの頃から伴奏等でオクターブを押さえる癖が有り、右手は主にメロディーを担うが故、細かい動きが要求される事が多く、意識して右手を育てなければ結果的に左手の方が大きくなるらしいです。

 実際、周りを見ても成長期にピアノを習っていた人は左手の方が大きい傾向に有ります

 

 バレエの先生も仰っていましたが、ピルエット右軸と左軸では右軸が弱い人が多いらしいです。

 一般的な日常生活を送っていると、右側で支える事を不得手とする傾向にあるようです。

 

 故に、ショパンEtude Op.10-4のような左右対称曲(勝手に私が分類しております)に取り組む事は非常に有意義だと考えております。

 

 今、子どもの頃に取り組んでいた教本を見返すと、ツェルニー30番練習曲は左手をあまり動かさないのでバッハインベンションの方に重きを置いた方が良いのではないかと思います。

 30番練習曲はオクターブがどこにも出現しない為、手の小さな10歳ぐらいまでに強制終了させ、早く40番練習曲に入った方が良いのでは…とも思います。私自身が偶然強制終了では無く自然に40番に入ったのがこの時期だったので、身体の成長と上手く整合性が取れていたと今になって思います。

 ツェルニー50番練習曲もやっておいて良かったと思いますが、バッハインベンションは左右を均等に使える手を育てる事に奏功する教材だと今更ながらに実感します

 子どもの頃、何故バッハの課題が毎週出されるのかいまいち理解出来ませんでしたが、大人になった今、何となく意図が解った気がします。

 

 ショパンEtude Op.10-12Op.10-5のような左右で要求されるテクニックが極端な曲に取り組むのは或る程度の基礎が出来上がってからが良いとされているのは手の成長の事情が考慮されているからでしょうか。

 身体の発育具合と年齢との相関は無視出来ない事情で、某所でバレエトゥシューズを履くのも10歳以上が望ましいとされている事も解剖学的根拠に基づいているのと同様、手が育っていないうちにツェルニー40番練習曲28番に取り組ませず後回しにする教育も何らかの根拠に基づいているのだと思われます。(※何故かこの28番だけ私は後回しにされました…抜粋ではなく、結果的に40番全曲取り組んだのですが。思い出してみれば50番練習曲も順番通りでは無く順番はランダムに課されていました)

 

 

 それはさておき、視覚と聴覚について、興味深い描写を発見。

 

 「私たちにとって、音が非常に重要であることは、誕生するときと死ぬときの状況を考えると、より明らかです。私たちは、この世に現れるときに目は見えませんが、音を聞きながら現れる。この世を去る時も、目を閉じ、周囲の音、自信の心臓の音を聞きながら、旅立っていきます。視覚は、極限の状況においては弱いものです。その代わり、聴覚が研ぎ澄まされていきます。」

 (倍音/中村明一 著)

 

 整数次倍音や非整数次倍音、母音と子音との構成要素についても言及された、一読する価値の有る著書だと思います。

 

 私の場合、体調が芳しくない時には聴覚と嗅覚が通常時より過敏になる気がします。