毎日ピアノを練習していて痛感する事は、ノーミスで最後まで弾き切る事の難しさです。
勿論、ミスの数と演奏の完成度が正比例する訳では無いと思いますが、数箇所ミスが有ると自分自身釈然としません。
第三者に採点して頂く訳ではないので身構える必要は無いのですが、気になって仕方がないのです。
音楽とは、一箇所間違えると過ぎ去った時間を取り戻す事が出来ないと云う特性を持つ為、表現云々の問題よりもミスを減らす事に注力せざるを得ません。
特にショパンのEtude Op.10-4はほぼ毎回ランダムにどこか左手の音抜けが有り、約2分間全集中力を注ぎ、1日10回以上挑戦しても1回自分が納得出来る仕上がりになるか否かと云う次元です。
短期決戦に持ち込む為に短い曲を選んだつもりが、その短期すら全力を尽くしてもこの出来なのか…としばし自己嫌悪に襲われる程です。
来年の3月完成を目処に練習に着手しておりましたが、あと1年間ぐらい時間をかけなければ無理な気がしてきました。
気晴らしに幻想即興曲を弾いてみるとまた左手の音抜けが発生し、室温が20℃を下回ったここ数日間、左手の音抜けとの戦いに明け暮れております。
何か基礎練習の方法を見直した方が良いと思うのですが、具体的な対策が現時点では見当たらず…。
このスタンスについて、日本人の几帳面さや正確性を追求する性質がよく挙げられますが、数箇所ミスが有る事自体、何か問題を抱えているとしか思えません。
以前、東南アジア諸国を旅行した知人が、日本人の正確性と海外の杜撰さについて、日本の自宅宛てに100通郵便を送り、何通正確に届くか検証した際、半数未満しか届かなかったと云う話を聞いて、ミスに寛容に生活していると日常生活に支障をきたしかねないと思い、几帳面にも度が過ぎる程几帳面で丁度良いのではないかと思いました。
仕事と趣味とを混同して語るのは危険ですが、プライベートに於いても、或る知人宛に送信する予定でいたメールを別の全く無関係な知人に送信したり、通常CCで送信すべき案件をBCCで送信する知人が居たが為に、連絡先を知られたくない相手に知られてしまい、その相手から連絡が届くと云う被害に遭った事が有る身としては、報酬が発生する訳では無いからといってミスに寛容になる訳にはいかないのです。
ちなみに、BCC案件をCCにして誤送信した知人は、その時点でほぼ全員から縁を切られていました。
仕事絡みで無いからと云って気を抜いて意図的であれ非意図的であれ、誤送信を起こしたり他人の情報を漏らすリスクの有る人物は誰からも信頼されませんし、避けられて当然です。深い話も出来ませんし、幾ら謝罪されたところで情報を戻す事は不可逆ですから、初めから関わらないようにしようとするのが人の常です。
この話は、被害者が存在するか否かが決定打となっていると思います。
「仕事でも無いのに、誤送信ぐらい寛容になれ」と言う人は、周りに誤送信を起こして自分の連絡先が知られたくない相手に知られ、その相手から連絡が来るようになっても笑って許す事が出来るのでしょうか。
「お互い様」「人間はミスをするのだから間違えて当然」等と云う甘えた言葉が有りますが、それは被害者側の心情から発せられる言葉であり、ミスを起こした加害者側が口にしてよい言葉では無いと思います。
仕事でミスをしないよう細心の注意を払うのは当然ですが、日常生活に於いても、自分の言動が周囲に与える影響を考えずに軽い気持ちで物事に取り組んでいると、演奏時の詰めの甘さに影響すると思うので、人の振り見て我が振り直せと言われているように、連絡事項の作成に於いて、「見直して設定を変更せず一発で送信出来る状態が仕上がる」事を今月の目標にしたいと思います。
一度漏れた情報も、間違えた音も、修正が利きません。
不法行為と定義されていない案件に於いても、加害者側は常に「もっと気持ちを大らかにもって」「そのくらい別によくない?早く気持ちを切り替えて!!」等と、自分自身のミスから発生した被害の解決を図る前に寛容さを求める傾向が有ります。
他人が受けた被害・迷惑の質について考えないのでしょうか。
ただ、一人で練習している場合、誰にも迷惑をかけるリスクが無いので、間違えても自己嫌悪に陥る必要は無いと思います。
上述の連絡時の設定ミスも含め、日常生活に於けるあらゆるミスにより他人に損害を与えた場合、信頼を回復する事が出来るまでにどれだけの時間と労力を要するか、考えてみると判り易いと思うのですが、一つのミスを覆す事が出来るだけの素晴らしい演奏をする自信が無ければ、ミスをしないよう留意しなければならないと思います。
一度情報漏洩を犯した人物はほぼ誰からも相手されなくなるのと同様です。
自分が被害者となった場合を考えれば容易にこの件について想像出来ると思うのですが、時間は不可逆です。
第三者を巻き込まない案件については幾らでもミスして構わないとも思いますが…。
この妥協点の見極めが難しく、常に悶々としております。
不法行為とまでは至らなかったものの情報漏洩により甚大な被害を受けた事が常に脳裏をよぎり、自分のミスを赦すと云う事は即ちあの加害者達と同じような思考に帰着してしまうと云う危機感を抱く訳です。
「そのような人物と関わったのが悪い」と周囲がセカンド系の加害者になるからこそ、ミスを多発する人物の周りには用心深い人は寄り付かない、そして私もミスを放置しておくと周りから折り目正しい人達がどんどん離れていってしまう気がしてなりません。