ここ数年、「褒めて伸ばす」教育について、学校に於いても職場に於いても掲げられております。

 

 今年に入ってからピアノを再開し、私自身子どもの頃にピアノを習っていた時の事を思い出す事が多くなりました。

 最近は教育方針が大幅に変化しつつあるようですが、今30代以上の方々、特に昭和生まれの方子どもの頃ピアノを習っていて褒められた経験が有る方に出逢った事が無いのです。特に、40代の方々は口々に「子どもの頃のピアノの先生はとてつもなく恐ろしかった」と言っています。40代の方とお話しすると、「未だに憶えている強烈なエピソード」が炸裂しています。

 

 私自身はあまり厳しい先生に習っていた訳ではないのですが、或る事を思い出しました。

 中学入学後、初めての音楽定期試験(筆記)で学年唯一の満点を取った事をピアノの先生に告げると、その反応が「当たり前」「そんな低次元な話を此処ですべきでは無い」と云うもので、話題に出す事すら許されない雰囲気を感じ取って、多方面にわたって恐ろしさを感じた事が有ります。

 中学校の音楽の定期試験は、ピアノを習ってさえいれば(※「ピアノを習っている」とは、破門にならない程度に毎週予習をこなしている事を意味する)、試験範囲を確認した瞬間満点取れそうな簡単なものだったので、満点取れない方が何か問題有るとみなされても仕方ないのですが…。

 

 実際、レッスン中、演奏で褒められた記憶が有りません。

 褒める点が無かったと言えばそれまでですが、褒めたらそこで成長が止まってしまうのではないか、とも思います。

 個々の特性に因るのかもしれませんが、「褒めて伸ばす」教育については疑問を抱く事が多いです。

 

 ピアノのレッスンで記憶に有る範囲内で唯一褒められた点は、一声の聴音の書き取りで忘れやすい「同じ小節内でシャープやフラットが付いた音符にナチュラルを付ける事」を忘れなかった事です。

 この「ミスが無い」点については、褒められたと云うより、驚かれた事が多かったです。

 3巡すれば3巡目は実質見直しの時間に使えるので、ミスしようが無かった訳ですが。

 推測ですが、難易度があまり高くなかっただけなのではないか、とも思います。

 

 本当に演奏については全く褒められた記憶が無いのですが、先生云々の問題の前に、褒める点が無かったのが実態だと思います。

 

 その話はさておき、本日は朝から練習するのが体力的に本当に厳しい中、よく頑張りました。

 この一点だけで褒めていいと思うぐらい頑張りました。

 

 大人になって毎朝ピアノを練習している事自体信じられませんが、小学生や中学生も朝から何らかのトレーニングをしている人が多く、人間が社会の中で生きていく為には常に努力し続ける事が求められるのだと思うと、ゴールが見えないと云うより、社会全体を維持する事が大変だと思います。

 

 スイッチを押しただけで電気が点くのも、蛇口を捻っただけで水が出るのも、「当たり前」ではない社会で生きていくのは厭ですので、「当たり前」の環境下に身を置くのならば、「当たり前」の事をこなさなければならない、そのような教育だったのだと今では思います。

 

 実際問題として、私の場合、手放しに褒めると向上心が無くなるので控えた方が良いと思います。