今まで悶々としていた内容を一言で表すとタイトルの通りです。
「苦手」と表現するよりは、正直なところ「嫌い」なのですが…。
もっと言ってしまえば、「苦手」と云うのは謙遜と自虐とを相手に伝えるよう表現しているだけで、「やりたくない」「お断り」と云うのが本音。
電話すれば、もっと言ってしまえば対面で話せば一発で済む用件や表示されない画像を添付されたものを送付されても、何も理解出来ないし、そもそも受信した事自体に気付くのが1週間後ぐらいで、業務用以外に書き言葉を用いるメリットが本当に思い付かない…。
解読するのに1週間以上要する案件が多すぎる…。
「この髪型どう思う?(画像添付)」と受信した文章に対し、「まずどのポジションに写っている人の事ですか?」から始まる連絡、そしてどう思うか否かも、画素数の関係上よく判らない…「よく判らない」としか返答しようが無い…。
スマホ依存症・各種精神疾患の人にロックオンされては自分の時間が膨大に盗られる為、こちらも嫌味で「私はLINE恐怖症なんだよね!」とアピールしてやっています。
ファッションやヘアスタイルについて、他人に感想を求める理由が判らないし、肯定以外の反応をした場合、相手は何か変化させようと思うのだろうか…?
以前、「○○(行事)の時着ていく服これでいいと思う?(画像添付)」のような受信をした事が有りますが、「今送ってくるって事はそれしか用意してない訳でしょ?ダメって言ったら変えるの?今から変えられないよね?いちいち他人の許可が要るの?いいって言ってほしいなら最初から『いいよね?ダメな訳ないよね?』ぐらい書いたらどうなの?」と返した事が有ります。
共感力、共感力、と世の中が同調圧力かけてきますが、「肯定以外禁止」と言っているのとほぼ同義ではないでしょうか。
その「共感力」とやらを逆手に取り、「メールとLINE恐怖症で…」「機械操作が本当に苦手で、このシステム慣れるまで時間かかりそうです~慣れて打てるようになったら返しますね~♪」等と返答している私は「そっちが共感力を求めるのならば、当然『〇〇恐怖症』を自称すれば配慮した通信方法を取ってくださいますよね?そちらでお願いいたします」との皮肉を込めている訳ですが。
…これを打っている時点で、2時間近く某アーティストのヘアスタイルの説明を1行レス×100回送られて、「閲覧出来ません」「何て検索すれば出てくる?」「Google?Yahoo?」「他に検索ワードは?」…等で返信しているから、結局どんな人なのかすら判らず2時間経過しました。
今も、「青っぽいやつだよ」と受信して、「衣装が青っぽいの?背景が青っぽいの?髪の色が青っぽいの?」と返信して、多分1,000レス以上費やすと思われます。
…やっと、「もう眠いんで…」と相手が折れてくれて、計画通り。
これに懲りたらもう送ってこないでほしいです。
連絡ツールを電話に限定してしまえば、こちらが見たくないファイルを添付される恐れも無く、web上のサイトの話をされる可能性を減らす事が出来、その場で話が完結し、興味無いものは興味無いと即答出来る事もあり、ほぼ100%有利な環境を作れます。
面倒な画像、動画の感想を求める相手には、「閲覧出来ないからPCで調べ直そうと思う」「閲覧出来ないから文章で説明して」これでほぼ瞬殺。
要は、意見言わせずに最初から肯定してほしいだけなら他の人を当たってください、これだけです。
やっと本音を書き出したところで、自分の意思で決めずに他人のアンケート取って決める人は人を迷惑行為に巻き込んでいる事に気付かないのだろうか…。私は肯定マシーンじゃないんだから、否定もしますよ…。
「共感力」を盾に取って他人の時間を拘束する人にはそれ相応の仕返しをすべきだと思います。
本日からバッハに着手し始めました。
インベンションもシンフォニアも入手しましたが、インベンションも結構左手動かしていたのですね。
返信半強要する人が周囲に1人居るだけで本当にストレスだわ…。既に徹底的にこちらから攻撃して潰しにかかっていますが。
専門書2冊ぐらい読まないと返信出来ない内容を平気で1行で送ってきたり、自分の質問の意味理解しているのだろうか…。
「共感力」とやらが市民権を得てからは、無益な相手にも配慮配慮誘導するようになっているけれど、配慮する側を配慮する共感力が無視されているのは何故なのだろうか…。私は無料相談所の個人事業主ではないのですよ。
「私は我儘なので、これしかしたくないです」と素直に打ち明ければこちらも「あ、そうですか、それでは仕方ないですね」と応じるものを、婉曲的に自分を肯定してほしい内容を平気で送信してくるから戦闘態勢を取らざるを得ない訳で、素直で率直な言い回しが何故出来ないのだろうか。
何故自分に時間を割いてくれると思えるのか、それが疑問。
自分が良いと思ったものと関わっていればいいものを、他人の肯定を回りくどい文章で求めたり、結果まで辿り着く為のエネルギー値を最小限にする気が無い人の事が嫌いです。
答えが出ているにもかかわらずその過程に付き合って、とはあまりに傲慢すぎるかと。
時間泥棒を甘やかしては自分の時間が蝕まれる。
私はベートーヴェンのソナタはしなくないので、しません、ショパン以外は着手する気がありません、そう最初に言えば済むだけ。
そうは言えど、バッハのインベンションやシンフォニアには素直な曲が収載されていると思います。