大人になってピアノを再開し、新たに習い始め、強く感じているのが名前の呼び方についてです。

 

 中学生の頃までは、習い事の先生にファーストネームに「ちゃん」付けで呼ばれていたのが、大人になって知り合った相手からは「苗字+さん」で呼ばれる事に凄く違和感を抱き、この感覚に慣れるまで暫し時間を要しそうな気がします。

 日本に於いては、成人後初対面の方から「苗字+さん」で呼ばれる事は社会常識とされているので、この流れも想定してはおりましたが、この苗字文化に未だ慣れず…。

 

 大人になって初対面のバレエの先生からは「ファーストネーム+さん」で呼ばれているのが通例で、その感覚が抜け切らないまま他の世界に飛び込んで行った気分…。

 

 最近、社会人になった新入社員に対しても、上司が部下を呼ぶ時、「苗字+さん」を用いると呼ばれた方が距離感を抱くとの理由から、ニックネームで呼ぶ事が推奨されている風潮が有るらしい中、クラシック音楽の世界は「苗字+さん」が主流なのでしょうか。

 

 「苗字+さん」で呼ばれると云う事は、一人前の大人として接して頂けている証である一方、どこか余所余所しく、慣れ親しんだ故郷の方言を封じ込めてその地の言葉に無理矢理合わせているような感覚が有り、自分が生まれ育った故郷の言葉以外で話しかけられた時、既にその時点で全く言葉が染み渡る事が無いと云うか、全てが他人事で、自分が第三者になったような感覚に襲われてしまう…

 

 よく「言語は9歳までに習得しなければ身に付かない」と言われている脳の関係性と同じく、同じ日本語の間であっても、標準語方言ファーストネーム苗字ニックネーム、これらも密接に関係していると思います。

 実際、9歳までに触れる事の無かった方言は全く自分のものにならず、何度聴いても常に外国語のようで、相手の意図を汲み取る事が出来たとしても、その言語のイントネーションの片鱗を示したその瞬間から無意識のうちに距離感を抱いてしまい、その時点で会話の信憑性が全く無くなるのと同様、名前の呼び方についても物事の真髄に迫る際には工夫しなければならないと痛感しております。

 

 「苗字+さん」は、余所行きの顔をする時に用いる呼称で、本音を言える関係性を築くには不適切な場合も有るのではないか、と最近思います。

 

 今は社会人であってもHNニックネームビジネスネームを用いる事が主流になってきているので、希望の呼称について自分で名乗る事が出来る社会になるのもそう遠くは無いと思います。

 

 このHN"Lily"は、2018年03月、或る処で使用した名前で、

・書き言葉以外に使用されない事を想定し、PC・携帯電話共にタイピングに手間を取らせない

・参加するコミュニティの中に似たような表記のHNの使用者が存在しない

・通常のネット利用者は間違いなく読める

 上記3点を確認した上で、iとyの文字を入れようと思っていた結果、咄嗟に出てきた産物です。

 

 ピアノのレッスンに話を戻すと、師弟関係には適度な距離感も必要だと云うことでしょうか。

 今までの人生の中で、フルネームを用いる事は多々有りましたが、行く処に何故か同じ苗字の人が先に居た、etc.と云う理由から、ファーストネームの稼働率が異常に高かったので、改めて呼称について考える事になりました。

 

 名前とは、呼ぶ為に有るのか、呼ばれる為に有るのか…私は呼ばれる事が多かったが故に、常に呼ばれる事・書かれる事を考えて付けてきたのかもしれません。

 高校の時、親しくなって数ヶ月経った他のクラスの友人から「苗字なんだっけ?」と言われた事や、大学で出来た友人が数ヶ月後に「〇〇ちゃん(私のファーストネーム)、苗字教えて。未だにアドレス帳に『〇〇ちゃん』で登録してるから」と言われて驚愕したのを思い出しました。

 その辺ですれ違った時に少し話をする相手のニックネームやファーストネームは憶えていても、苗字を知らない場合が多いと思います。

 故に、名付けは大切です。

 

 私の親はその点本当に良い名前を付けてくれたと20歳ぐらいの頃から実感しています。