学祭の季節が到来しております。今年の状況は例年とは異なるのでしょうが、学生の方々は各学校のサークルの展示物やステージを観る側にも出場する側にもなれる良い機会だと思います。

 

 私は、大学時代音楽系サークル部活を掛け持ちしていました。

 それらのサークル部活に所属した場合、学祭でのステージやその他イベントに於ける定期演奏会にて人前で演奏する機会に恵まれます。

 

 或るサークルにて、私が大学2年次定期演奏会の曲目を決める段階の出来事でした。

 この定期演奏会では、ソロで演奏するメンバーも居れば複数で演奏するメンバーも居るプログラムを組むことが予め決められておりました。

 各自演奏する曲を正式に決定する前、仮決定した結果を各々が申告した直後、サークルの非公式掲示板にて、1年生の或るメンバーが、「1年生の〇〇さん(サークル内で呼び合っているニックネーム)以外、個人でも複数でも何で皆あんな難曲選ぶの?当日になって『出来ませんでした』って、聴きに来てくれたお客様の前で謝罪するの?と記載しているのを目にしました。

 この発言について、全体主義の思想が感じられ、違和感を覚えました。

 

 後日、私はサークルの集まりが有った際、その場の全員の前で上述の1年生の発言についてどう思うか尋ねてみました。

 私自身、サークルとは、大学の学業とは特性が異なり、全くの趣味で、将来仕事で使う分野の習得とはスタンスが全く以て異なり、巧拙については拘らなくて構わないと捉えておりました。

 しかし、上述の1年生によると、人前で演奏するからにはほぼ完璧に仕上げて披露すべきで、本番までの練習時間を考慮して自分がその域に達する事が不可能だと容易に判断出来る曲を選ぶ事自体礼儀に反するとの事でした。

 

 上述の1年生の発言内容は、まさに私が1年生の頃考えていた事で、この思考で以て行動すると安全策を取る方向性にばかり走りがちで、挑戦する事から遠ざかり、礼儀と云う概念を盾に結局は本番で失敗したくないだけではないか、と云う思考を経由し、仕事で使う分野でも無く試験を受ける訳でも無い分野に於いては、巧拙については拘らなくて構わないという結論に至りました。

 また、当時から、音大でも無く音楽学部の無い総合大学に於いて、学生が学業の傍ら発表する完成度などたかが知れておりますから、聴きにいらっしゃる方々も完成度に関しては元々期待していないであろうと予測しておりました。

 音大生や教育学部の音楽専攻の学生と、音楽に何ら関連の無い学部に所属している学生とでは、世間の見る眼が違う、私はそう捉えておりました。

 

 この思考については意見が二分しておりました。

 実際、上述の1年生は、高校時代その分野のコンクールで全国レベルの受賞歴が有り、実力については語らずとも知れておりました。しかし、選んだ進路は音楽の分野では無く教育学部の文系の分野で、本業は教育学部の文系分野専攻予定の学生です。また、上述の1年生前期の第二外国語の単位を取っていない状況でしたので、本業を疎かにして練習に励んでいる時点で、幾らサークルの定期演奏会に臨む際の礼儀について熱烈に語られたところで説得力に欠けます

 

 私が上述の件を発言したところ、大学名を名乗って部外者も聴衆として足を運ぶ可能性が高い定期演奏会については、本番で失敗するのは自分だけの責任では無く大学の面汚しとなると云う反論も受けました。

 この反論を受け、そもそも大学とは学問に励むところであり、ここで指す学問とは、学部で学ぶ内容であるが故に、学問と関係の無いサークル活動の完成度とは切り離して考えるべきだと主張しておりました。

 勿論、完成度が高い事に越したことは無いと思いますが、あくまでも趣味の範疇で取り組んでいる演奏に対しては技量が足りない場合でも自分の好きな曲を披露しても差し支えないと云うのが私の価値観です。

 

 また、ソロでの演奏の場合、他の奏者の巧拙についてあれこれ「こうあるべき」等と口出しをするのは価値観の押し付けであり、定期演奏会に臨む際の礼儀云々はご自身が弁えておけばよい話だと思います。

 

 上述の1年生曰く、「そのような意識の人が同じ大学に居る事自体恥ずかしい。人間性を疑う」との事でしたが、価値観の押し付けをする人物がサークルに居る事自体危険だと私は当時から思っておりました。上述の1年生の圧力により、趣味をのびのびと楽しむ機会が奪われるのではないかと危惧しておりました。

 音楽を専攻していない学生が巧拙を問われる場面とは、サークルの定期演奏会では無くコンクールだと私は考えております。

 

 学業の傍ら素人が発表する作品に対し、多大な期待で以て足を運ぶのも見当違いだと思います。

 当時、学生がクラシックピアノ曲であるショパンバラード第1番第3番を演奏する傾向にありましたが、プログラム記載の大学名や専攻に目を通した時点で或る程度の完成度は予測出来るでしょうし、音大生並みの完成度でなければ咎められるとしたら、咎めた人物の思考回路に問題が有るとしか思えません。

 

 人間性云々の件について言えば、本業を疎かにしている人物がサークル活動に打ち込んで一人前の意見を述べている場合ではないのではないかと云う点に加え、上述の1年生は18歳にして不倫までしておりましたから、演奏が幾ら優れている場合でも、全く説得力の無い話だと思いました。

 当時は、既婚子持ちの相手と不倫している大学1年生が人間性について力説している事について、少し考えさせられました。

 良くも悪くも、不倫する人物は行動力が有り過去に優れた功績を修めた経歴が有る事、私の規範の中での正のエネルギー、負のエネルギー共に非常に強く、他人を虜にする魅力(それが威圧であれ不誠実にまみれた嘘であれ)に溢れている事などについてです。他人をコントロールする能力に長けている人物で無ければ不倫行為に及ぶ事など不可能ですし、コンクールに関しても他者からの評価が関連しているが故、絶大な威力を発揮したのかもしれません。

 

 皆の前では敢えて不倫については言及せず、本人にのみ判る形で「私はあなたの不倫の件を知っている」旨告知したところ、上述の1年生はサークル自体辞めていきました。

 不倫する学生と学部こそ違えど同じ大学に所属している事自体恥ずかしい、とは述べませんでした。

 自分が選んで入学した大学であれば、他の学生の優れた部分も感心できない部分も全て「自分の見る眼が無かった」事に関連し、上述の1年生の不倫行為を「大学の面汚し」「その大学に籍を置いている自分も汚された」と発言する事自体お門違いだとの考えからです。

 

 

 勘違いしていらっしゃる方が多いようですが、不倫とは、不法行為であり、民法第709条に抵触する行為です。

 犯罪とは、刑法に抵触する行為であり、不倫に関する規定の中に刑法に関連する事項が無い為、軽く捉えている方が多いようですが、不倫相手の配偶者から訴訟を起こされた場合賠償責任が生じる可能性も有りますので、不倫していらっしゃる方々はこの点認識された方が良いと思います。

 また、私の学部卒業直前に知った事ですが、上述の1年生の不倫行為については当時から皆口には出さずとも把握しておりました

 人間の不誠実な行為は案外周りが把握しているものです。

 目上の方々からの評価が高い場合であっても、同世代からの信頼がほぼ無い人物になる事について、本人はどう捉えているのか疑問です。

  

 演奏は拙くとも、健全にひたむきにサークル活動に励んでいる学生や社会人の方々の方が私は好感を持てます。