子どもの習い事としてピアノを習っていた人は、「聴音」のレッスンを経験された方がほとんどだと思われます。
聴音について少し思う事を記す事とします。
以前、YouTubeが普及しておらず、「音楽を聴く=CDを聴く事」だと云う認識が強かった時代に於いては、聴音のレッスンにより得られるものが非常に大きかったと思います。
個人的な経験ですが、記憶に有る限り、小学校3~4年頃のレッスンでは、その場で先生がピアノで弾いて下さった3~4音の和音を聴き取って五線譜に書き取る学習をしていたように思います。まず正確な音を聴き取る事を要求されていたので、全音符で記載する事で許容されておりました。この経験は子どもの頃にピアノを習っていた人の多くが懐かしいのではないでしょうか。
この後、学年が上がる(教本が進む?正確な目安が判りませんが)につれ、この難易度が上がり、中学生になった頃には、「聴き取る事」よりも「書き取る事」のスピードに難儀する様になりました。
五線譜のノートを使用し、「ト音記号、変ホ長調、4分の3拍子、16小節」等と最初に告げられ、メトロノームの音に合わせて全て聴き取った音を書き取っていくのですが、私の経験上、聴き取れない事は無く(※耳が良かった訳では無く、恐らく通常通り趣味の習い事レベルで中学時代までピアノを習っている人なら誰でもその場でピアノ演奏で再現出来る平易な内容です)、書き取る事の方に神経を尖らせていた気がします。
「ト音記号」の部分が、「ヘ音記号」に置き換わったり、「嬰ヘ短調」になったり「16小節」が「32小節」になったりした記憶が有りましたが、本質としてはさほど変わらないので影響有りません。
律速段階となったのは何か、それは、先生の弾いて下さるスピードに対し、自分の書き取るスピードがついていかない事でした。
速度の問題も有ったのかもしれませんが、私は音符の丸を書く暇すら無く、全て五線譜上に点を打っておりました。この書き取り時間短縮方法に付いては、先生のアドバイスが有りました。一巡目は八分音符と四分音符の区別、音符と休符の区別が自分の中で判る様に書き取っておきながら、二巡目に書き取った内容が合っている事を確認しながら音符に○を付けていき、三巡目で完成。大抵この流れでした。スラーや装飾音符は出現せず、十六分音符の出現率は低かった記憶が有ります(この内容ですので、「通常通り習っている人」ならば何も予習せずに臨んでも誰でも聴き取れるように構成されております。同時に4音以上を聴き取る等では無く、「書き取る」事が目的とされたレッスンでした)。
この、「自分の中で判る様に一旦メモを取っておく事」が一巡目で求められる能力で、このメモを取るスピードと云えば、一般の大学入試等の筆記試験で求められる「書くスピード」を凌駕しておりました。計算量の多いと言われていたセンター試験数ⅡBや国公立大二次試験の筆記試験の際に計算用紙に制限時間内に書き出す手つきの量を超えておりました。世間で言われていた手つきのスピードが要求されていたセンター試験数学ⅡBと「聴音」、満点を取る為に要求される集中力とスピードは遥かに「聴音」の方が高いと思われた程です(※私自身の記憶によるものですし、先生によってどのような聴音のレッスンをして下さるかは人によりけりですので、あくまでも主観です)。
この件について、当時の時代背景を思い出すと教育の狙いが予測出来るようになりました。
私(30代)の子ども時代は、小学校時代ネットが普及しておらず、中学校に入学後もYouTubeが無く、音楽を聴く事と云えば、現在のような動画視聴の手段では無く、CDを聴く事、即ち、耳から入る事でした。クラシック音楽に於いては、楽譜を見ながらCDを聴く事も出来ましたが、演奏している手元を見る手段は一般家庭ではほぼ存在しなかった為、楽譜を読み取る能力や聴き取る能力、それを再現する能力が求められました。
演奏するにあたり、重要なのは楽譜を読み取る能力だと思っておりましたが、この能力を強化する為には「聴いたものを書き取る能力」が最低限求められるのではないか、と私は思います。今年1月末にピアノを再開し、2~3月頃に考えていた事ですが、「書けるものは100%読める」、この前提が90年代には日本の教育方針としてピアノだけでなく教育全般について根付いていたと思います。数学の立式に於いて、自分の書いたものの意味が解らない人は居ないと思われます(※勘で適当に何か答案用紙を埋めている人は除く)。
読めるものが100%紙の上で再現出来るとは限らない、しかし、紙の上で再現出来るものについては100%その人は理解出来ている、この思考に基づいてほぼ全ての教育が為されていたのではないか、と私は思っております。
90年代にペーパーテストが重視されていたのもこの思考が前提に有ったからではないでしょうか。
中学校の教育に於いても、枕草子の有名部分を暗唱だけでなく全て記述させる小テストが有ったり、化学式の半反応式の代表式を全て記述させたり、とにかくやたらと口よりも手を動かしていた事が多かったと思います。思い起こせば、この時代はキーボードを打つ事よりも筆記用具を用いて紙に記す事が社会に出てからも必須とされ、口頭よりも筆記でのやり取りが正式な場で行われる事が多かった為、日本人全員に「書く事」に重点を置いて教育が行われていたのでしょう。
それでは、「聴音」のレッスンで何を学んだか。
音楽的な事は勿論ですが、私の場合は、学校の数学の試験のスピードを上げるコツや他の科目についても口頭で読み上げられた書き取るスピードのコツを掴み、高得点に結び付いたと思います。これは、この時代の教育に於いては、「頭で理解できた事をどれだけ『書く事』により相手に伝える事が出来るか」と云う点に焦点が当てられていた為で、この時代は手書き作業が速くこなせなければ社会に出る前に淘汰されるシステムが出来上がっていたからだと思われます。
私が、各記事の中で「スピード」と記載しているのも、義務教育中に求められる最低限度の能力項目として「スピード」が有ったからで、「スピードが遅い人」は、何がどれだけ優れていようと学校に入学する事がほぼ出来ませんでしたから、必然的に「スピード」に重点を置いて生活しなければならないと云う心構えが有ったからだと思います。
現在、YouTubeをはじめとした動画が普及している中では、手元を参考にしながら学ぶ方が存在するのも時代の変化に合わせたものとして良いのではないか、と思う事も有ります。
私がピアノを再開し始めた今年の2~3月頃、視覚により先入観が植え付けられてしまう為、なるべく音源だけを拾うよう心掛けておりましたが、この思考についても再考の余地が有ると思うようになりました。
視覚云々の話については、男性の奏者の見本は私の体格や手の大きさを考慮するとあまり参考にならない場合が多いので、鑑賞用に留めておくか、画面を切り替えて音源のみに徹すると決めておりました。この思考回路に則すると、「大人の見本は子どもにはあまり有益では無い」と云う事になり、現在の動画の大半を否定する形になってしまいますが、利用法を変えると上手く使いこなせる「教材」が数多存在するのではないかと思います。
聴音の話については、現在30~40代の方々は異口同音に「同じような事を経験した」と仰るのですが、20代前半の方々に話すと驚かれる事が多いので(※音高や音大を目指していた方々では無く、「趣味の習い事」の範疇で取り組んでいた方々です)、時代に合わせた教育法や求められるスキルが有るのではないか、と今更ながらに思う次第です。
今では、オンライン教育を受ける為のネット環境作りに重点が置かれているのでしょうか。テレワークも普及しつつありますので、幼少期からの教育方針が変更されていてもあまり驚かない気がします。