ピアノの練習中、暗譜が不完全な場合、通常は楽譜を譜面台に置きながら、譜面を確認して行っている事が多いと思います。
練習中の方は所謂「譜めくり」と云う動作について工夫されている方が多いのではないでしょうか。
3~4枚(頁)にまとまっている楽譜ならば1曲を通して全ての譜面を同じ譜面台に乗せる事が物理的に可能なので、自分1人でもさして問題無い場合が多いですが、6枚以上になる場合、空いた手で自分で譜めくりをする、若しくは一部は暗譜しておく等の対策を取らなければ、通し練習の際途中で演奏を止める事になります。
有名曲を例に挙げると、ショパンの革命のエチュード(Op.10-12)の場合、暗譜に自信が無い時は一部楽譜を見ながら弾く事が多いですが、5枚(頁)にまとまっている楽譜であっても、丁度右手が空いた時に自分で2回めくれば済む事なので、自分の中で譜めくりのタイミングが掴めている方が多いと思います。私は、たまに(?)、途中で右手の和音に自信が無くなる事が有り、お守りのように譜面台に楽譜を置く事が多いです。
大人になって、驚愕する程暗譜が出来なくなってしまった(する気が無いだけかもしれませんが)ので、過去に仕上げた曲であれ新曲であれ、ほとんどの曲に於いて「譜めくり」若しくは楽譜の選び方について考える必要性が生じます。
現在、ショパンのノクターン第20番(遺作)及び英雄ポロネーズの練習に取り組んでおりますが、ノクターンの場合、3枚(頁)にまとまっている版を選択し、3枚(頁)ともを譜面台に乗せれば通し練習の際全く譜めくりの必要性が発生せずに済むのです。一方、英雄ポロネーズの場合、どの版であれ、自分で譜めくりをしながら止まらずに進み続ける練習は物理的に不可ですから、音楽的な問題以前にパート分けと楽譜の準備の段階からあれこれ工夫を凝らす必要が有ります。
上述の問題を抱えている事が一因となり、ベートーヴェンのソナタの新曲や長い曲に取り組む事を敬遠しがちです。
また、暗譜に自信の無い部分や暗譜が飛びやすい箇所のみ開いて譜面台に置き、「譜めくり」をせずに済ませる方法も有ります。
ショパンエチュードOp.10-4の練習中、中間部のみ開いて置いたり、最初の部分だけ精神面対策として置いておく等対策を講じる事で、自然と他の部分が暗譜出来るケースも多いです。
子どもの頃は、親が「譜めくり」をしてくれたので、このような事を考えずに済みましたが、小学校高学年頃から「譜めくり」のタイミングについて考えながら一部を重点的に暗譜しながら練習する様になりました。
以前、大学時代サークルのピアノ伴奏を担当した際、例の如く暗譜が出来ず、友人に「踏めくり」を依頼し、「踏めくり」の練習も兼ねて練習室にて数曲練習し、本番も「譜めくり」をしてもらっていた事が有ります。
同様に、サークルでの演奏曲が多い場合、友人と伴奏曲を分担し、友人が伴奏をする際には私が「譜めくり」を担当しておりました。
暗譜でスラスラ演奏出来る方を尊敬しております。
大人になった今、幻想即興曲の中間部の左手部分に自信が無くなりがちで、自信の無い部分のみ未だ譜面を開いておりますから…。
そこで、全ての曲について暗譜を諦め、どのようにして楽譜を活用していくか、と云う課題にシフトする事にしました。
ノクターン第20番(遺作)、2020年10月13日初日練習着手時点では左手で指くぐり云々記載していたようですが、今では手首回した方が効率的だと確信しました。何故指くぐりの件を考慮したか、幻想即興曲の例の左手の指使いの件、ふと思いついたからです。
ほぼ精神的に不安が生じている結果暗譜が飛ぶと云う実態が浮き彫りになっているだけかもしれませんが、趣味で取り組んでいる事に関しては諦める分野と掘り下げる分野とを上手く仕分けする必要が有り、暗譜は私にとって諦める分野であるようです。
故に、余程の情熱が無い限り、新曲練習着手基準として、「譜めくり」をしながら通し練習が可能か否か、と云う判断項目が私の中で自然と設定されておりました。