ピアノを習っていた方や現在習っている方は、レッスン時間よりも遥かにレッスン外での練習時間の方が長い事が当然だと認識していると思われます。年齢や境遇によって練習時間は様々だと思われますが、興味深い話が有ります。

 

 中学時代、定期試験中の事です。

 同級生の中でピアノを習っている人が、「私はこの試験中、1日90分しか練習していない。この試験期間が終わったら遅れた分をリカバリーしないといけない」と発言していました。

 その言葉を聴いた瞬間、「試験中は私もそんなものだよ」と言おうとしたところ、ピアノを習っていない同級生達が異口同音に「90分?1時間半?よく集中力持つよね」「そんなに長時間、一体何を練習しているの?」「この試験中にそんな事している場合なの?」、etc.この練習時間に対して「長すぎる」と云う点で疑問を抱いている旨、発言しだしたので静観しておりました。

 一般的に、音高や音大を目指す訳でもなくとも、趣味としてピアノを習っている中学生にとって、定期試験中に1日90分練習するのは「練習量が足りない」と認識される事が多かったです。当事者間でもそのようなやり取りがしばしば交わされておりました。

 

 それでは、何故90分では足りなくなるのか、今振り返れば、通常出されていた「宿題」「課題」の曲の長さがこの練習時間の指標となると思うのです。

 中学時代、大抵の人が出されていた課題として、ツェルニー1曲、古典派ソナタ、その他にバッハやショパン等の曲が1曲と云うのが標準でした。問題は「古典派ソナタ」と云う存在です。ベートーヴェンモーツァルトの曲が該当する訳ですが、第1楽章のみ、第3楽章のみ、と云った課され方は通常無く、全楽章を通して演奏するのが原則でした。どの先生に習っている生徒達も、この件については「本当に大変だった」と口々に語ります。

 有名なモーツァルトのトルコ行進曲を例に取っても、ピアノソナタ第11番  K. 331第3楽章ですから、「ピアノソナタ第11番」が課題となった時には、第1楽章から第3楽章までを全て通して完成した状態で約20分以上の時間を費やして演奏する事が義務付けられる訳です。

 古典派ソナタ以外にも課題となる曲が全て完成しかけていると仮定して通し練習のみで30分以上要します。

 90分間と云う限られた練習時間内では、最初に指練習を5分程、1回通し練習、残りは苦手な部分練習のみで強制終了してしまいます。

 ただし、これは曲が或る程度仕上がってからの話で、初見の曲は譜読みからの始まりですし、「苦手な部分」「出来ていない部分」が多ければ多い程、練習時間を要します。

 練習は「時間」では無く「質の問題」だと考える方もいらっしゃると思いますが、通し練習を1度もしない練習で出来る方はそれで良いと思います。事実として、「最低限必要な練習時間は課された曲の総時間」である事は否定し難いと思います。そして、この「最低限」では全く通用しない事について、ピアノを習っていた人なら痛感していると思います。

 試験勉強の場合、要領良く時間を短縮する事が出来るのですが、ピアノの練習の場合、最低限の「通し練習30分」と云うラインを短縮するのは物理的に不可能で、他の部分を効率良く乗り切るしか術は無く、大抵の場合は誰が練習しても1日に必要とする練習時間は大差無い事になります。これは、上手な生徒、効率良く乗り切れる練習法を産み出せる生徒には、求めるハードルが更に上がり、課題曲が難関となるからです。先生の方針にもよると思われますが、特に保護者を含めた相談が無い場合、1日最低2時間は練習しなければまずレッスンを受けても無意味と呼べる程の仕上がりにしかならない仕組みが出来上がっていたと思います。

 古典派ソナタの場合、初見の時は第1楽章のみと云う課され方もした記憶が有りますが、第1楽章が或る程度形になってきたかと思うと、次は第1楽章に加えて初見の第2楽章を加える、次は初見の第3楽章を加える、と云う風に、全楽章を通して課題となりますので、古典派ソナタに関しては、大人になった今では趣味として取り組む事に躊躇してしまう訳です。

 料理に例えて言えば、肉じゃがを作る際、ジャガイモを剥く時間を短縮する事はその人のスキル次第で可能ですが、ジャガイモを煮る時間を短縮する事はほぼ不可能な理屈と同様です。

 

 当時を振り返って、もう少し課題が少なくても構わないのでは…と思う事も有りますが、それくらいのレッスン内容で無いと、大人になってから再開した際「弾ける曲」がほとんど無い状態からのスタートになりますし、柔軟性の高い年齢の間に習得しておいた方が良い内容が多いと思いますので、あの過ごし方で良かったと思うのです。

 レッスン時間は90分間だったと記憶しているのですが、あっという間に過ぎていきましたし、10代のうちは暗譜もすんなりと出来ましたから、10代前半の時間の使い方としては有益なものでした。

 今になって、私の当時の師はよく私の為に細かく真摯に指導してくださったものだと実感しております。毎週毎週本当に驚くほど拙い出来でレッスンに向かい、落胆させていただけなのではないかとすら思う事も有ります。

 

 …と記しましたが、「古典派ソナタ」についてはもう少し出現率を減らしても良さそうな気もします。

 ツェルニーにプラスしてロマン派1曲のみでも良かった気もするのですが、その場合も何か足りない状態に陥っていたのでしょうね…。

 定期試験中ぐらいはレッスンを休むよう親からも勧められた程で、中学3年生の終わり頃になってもまだ続ける気なのかと呆れられた事も有りますから…。

 今はとてもこのような生活は出来そうに有りませんし、ショパンエチュードの練習に取り組んでいる理由の一つとして、1曲そのものが短いからと云う点が挙げられます。それ程までに曲の長さと云うものは練習に着手するか否かを決定する要素となります。勿論、楽曲そのものが好きだと云う理由が一番大きいのですが。

 大人になってからは、幻想即興曲ですら長いと思うようになりました。

 

 1曲を仕上げるには膨大な時間を要するので、楽譜を見てその件を考慮した逆算が出来るようになったのが、中学時代ピアノを習っていて自然と学んだ事でした。

 定期試験云々は高校生になって勉強すれば済む話(※本当に高校生からで充分だと思います)なので、中学時代は部活や習い事に打ち込んで正解だったと今になって思います。

 

 今は定期試験を受ける事など有りませんが、1日90~120分程度練習して「今日もよく頑張った」と思っています。