来月、大切な行事にお呼ばれしており、訪問着について思いを馳せ、ふと思い立ちました。

 和楽器を除き、通常は楽器の演奏に際し、奏者が洋装(女性の場合はドレス)を着用する事が原則として捉えらえておりますが、ピアノの演奏時、和装であればどうなるのだろうかと云う事です。

 

 明治時代、ピアノ洋琴とも呼ばれていた通り、西洋の楽器と云う意識が今よりも強かったようです。

 恐らく、通常はドレスを着用するのもピアノが西洋の楽器である事に由来するのでは無いかと思われます。

 

 しかし、日本人の著名な女性ピアニストである故・中村紘子氏は、16歳当時である1960年、欧州にて振袖でピアノを演奏したとの記載が「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」(高坂はる香/著 集英社出版)に有るのです。

 この件は、海外旅行自由化以前の時代の事で、によりNHK交響楽団世界一周演奏ツアーが企画され、

 「ほとんどの楽団員に海外渡航経験がなかったところに、修行を兼ねた演奏旅行をさせようという意味合いもあった。9,000万円(現在ならば十億円を上回る)もの大金がかけられた大事業」(本著より引用)

 だったとの事です。

 

 中村紘子氏が演奏時振袖をお召しになっていたのは、外務省からの要望を受けたからだそうで、 ショパンピアノ協奏曲第1番ベートーヴェンピアノ協奏曲第3番を演奏なさったとの事。

 

 振袖を身に纏い、通常通り歩行する事すら覚束ない女性が多い中、海外公演にてピアノ演奏をこなしたとは、感服です。

 ペダルを踏む際はどのような苦難が有ったのか、その一点を想像するだけで至難の業だと思うのですが、振袖を身に纏いピアノを演奏する事に成功するには、そこに至るまでに克服すべき点が多数存在するはずで、日本人の象徴とも云える和服着用を要望した外務大臣ご本人にはピアノ演奏の経験が有ったのだろうか…と思わずにはいられません。

 

 欧州の聴衆の方々からは印象的な容姿が評価され、更に演奏についても高く評価されたとの旨、記載が有りましたが、聴衆からの視点では雅やかであっても、演奏者本人は苦難の極みで、白鳥の湖のような状態であったのではないでしょうか。

 

 日本文化として、女性は舞台鑑賞演奏会和装で赴く事も多いと思いますが、私自身、以前教わったはずの着物のたたみ方や襦袢についての基本すら曖昧な状態で、教養(…「常識」と呼ぶのかもしれませんが…)の無さを反省すると共に、今まで茶道等の和装が必須とされる場面に於いて如何にいい加減にやり過ごしてきたか痛感しております。

 友人の中には、20代前半のうちから観劇の際に着物を着用していたり、趣味で和服について学んだりしていた人もおりますが、私は必要に迫られる事の無い限り、全て洋装で出席しておりました。

 訪問着で出席する必要に迫られている来月までには最低限の所作と知識を身に付けておかねばならないと危機感を抱くと共に、何事も学ぶ事には終わりは無い事を改めて実感した次第です。

 

 

 

 以前、和装での撮影を数回経験した事が有りますが、それらは「花魁」と云う遊女の装いでした。

 これからの季節、京都をはじめとした寺社仏閣が建ち並ぶ観光地では貸衣装を身に纏った女性が色とりどりに花を咲かせる時期です。

 打掛の重さは日本文化の重さなのかもしれません。