その人は私の人生の良き先輩で、
私にとっては一番身近なヒーローだ。
My First HERO-61-
小野田先生に事情を説明すると、すぐに病院に行くよう指示し、母に大学に来てもらうよう連絡してくれた。
「解離性障害が一段とひどくなった感じだねぇ…。」
しかし、現代の医療ではまだ解離性障害に有効な薬は開発されていない。
結局不安薬やうつ病の薬を調整するのが限界でなるべくストレスのかからない生活をするように言われただけだった。
梅子は声が相変わらず戻らず、会話はケータイで文字を打つか、筆談でなんとかしていた。
夕方母がやってきて、小野田先生と4人で話した後、母は梅子の家に一泊することになった。
翌日の朝、
「おはよう、梅子。」
「…。」
やはりダメだった。
しかし、昼頃少しずつ「うん」やカタコトの声が出始め、昼を少し過ぎた頃梅子はまたしゃべれるようになった。
解離性健忘や、解離性遁走、離人症。
いずれも解離性障害の症状からの事件だった。
しかしこれはまだまだ始まりに過ぎなかった。