2013.9/20
昨日の救急車で運ばれてから、病院に行き母の安否を確認してから帰り、寝たのかよくわからない状態で仕事に行った。
正直仕事どころではなかったが、こればっかりは仕方ない。
仕事中も母のことが心配で変な胸騒ぎがしていた。
そしてそれも的中し、18:30過ぎに会社に電話がかかってきた。
父からの電話で母の容態が危険なことだった。
慌てて帰る時も最悪な状況しか考えが回らなくなり、家に着きすぐ父の車に乗り病院へと向かった。
普段は車で片道40分かかるのに、この日は週末ということもあり渋滞していて1時間近くかかってしまった。
車に乗っている間、こうしているうちにも・・・
という歯がゆい気持ちと、涙でどうしようもなかった。
やっと病院に着き母のもとへ行くと血圧が30まで下がった母の姿。
一命はとりとめたものの、この日は自分も母も生きた心地がしなかった。
でもこの日は本当に助かって良かった。
でなかったら、今以上に悔いを残したままいたと思うから。
嫌いな季節
去年の今日9/19は母が退院した日でもあり、貧血で倒れ救急車で運ばれた日だった。
9月に入ってから急に母の食欲がなくなり入院。
飲み物以外の固形物を口にすることができなくなってしまった。
それまで抗がん剤治療を続けていたので、食欲は落ちてはいたけどここまでではなかった。
前日に母が病院から電話で
「明日退院できるからね。」
と明るく元気な声で話してくれたから、回復したのかと思い退院の日は早く母に会いたい一心から、仕事も早めに切り上げて帰ってきてみれば・・・
入院時と同じ尿道から管を通され、その先には真っ赤な血液と尿が混じった入れ物。
覇気のない母の姿。
いや大きく違う点は点滴と輸血がない状態。
そりゃ倒れるに決まってます。
母は本当に入院が大嫌いで、見舞いに行く度に
「早く帰りたい」
と言っていた
だからってそんな状態で帰ってこなくてもよかったのに・・・
亡くなってから思えば、あの時自分の身を察して死ぬなら家族の元で・・・
と思っての判断なのかもしれない。
今ブログを書いている22時過ぎ救急車に乗って、母の容態を泣きながら見守っていた。
まさに天国から地獄
9月に入ってから急に母の食欲がなくなり入院。
飲み物以外の固形物を口にすることができなくなってしまった。
それまで抗がん剤治療を続けていたので、食欲は落ちてはいたけどここまでではなかった。
前日に母が病院から電話で
「明日退院できるからね。」
と明るく元気な声で話してくれたから、回復したのかと思い退院の日は早く母に会いたい一心から、仕事も早めに切り上げて帰ってきてみれば・・・
入院時と同じ尿道から管を通され、その先には真っ赤な血液と尿が混じった入れ物。
覇気のない母の姿。
いや大きく違う点は点滴と輸血がない状態。
そりゃ倒れるに決まってます。
母は本当に入院が大嫌いで、見舞いに行く度に
「早く帰りたい」
と言っていた
だからってそんな状態で帰ってこなくてもよかったのに・・・
亡くなってから思えば、あの時自分の身を察して死ぬなら家族の元で・・・
と思っての判断なのかもしれない。
今ブログを書いている22時過ぎ救急車に乗って、母の容態を泣きながら見守っていた。
まさに天国から地獄
お母さん
今年は今までの人生の中で一番最悪な年だった
というのは最愛の母が11/1に亡くなったから
72歳でした
死因は膀胱ガン
ガンと宣告されてから2年半
お母さんにとっては本当に地獄のような日々だったと思う
詳しいことを書こうか迷ったけど、亡くなってから毎日お母さんを思い出しては
涙流したり、ため息ついたりして辛いからやめます
来年はいい年にして、お母さんの分まで楽しく生きたい
というのは最愛の母が11/1に亡くなったから
72歳でした
死因は膀胱ガン
ガンと宣告されてから2年半
お母さんにとっては本当に地獄のような日々だったと思う
詳しいことを書こうか迷ったけど、亡くなってから毎日お母さんを思い出しては
涙流したり、ため息ついたりして辛いからやめます
来年はいい年にして、お母さんの分まで楽しく生きたい