人の気持ちを慮るということを是とする環境に生まれ、育ってきたので
それができない人のことが理解できない。
ただし彼らも彼らで、こちらのそうした考えを理解できない。
既に削られた神経を更に削るようなことを言う意図は全く分からないけれど、
彼らはこちらがそれに傷つくことや、そもそもがどういった心情であるかが分からないし、分かる必要性を感じないのだ。
それはもう仕方のないことだと思う。
同じことをすれば良いと言われても、
こちらが彼らにそれをする場合、そこには否応なしに傷つけようという気持ちが添加されてしまうことで、悪意になり
後々悔いることになるのもまたこちらなのだ。
だけどね。
生まれ育った環境を(本人がそう考えない場合)、否定することはいけないことだと思う。
どうにもならないことを否定されては、なす術がない。
その人自身を否定するのと同意だ。
海外の人たちは、彼らに近いように見えて決してそうではない。
意見はしても、悪意なく否定はしない。
ように、私には見える。
悪意なく、というところは強調するけれど。
だから、彼等のやっていることは彼等が海外で生まれ育ったこととは関係ない。
私は彼らを否定しない。
そして同時に、彼らの言うことを肯定しない。
わざわざ自分で自分を否定する必要はない。
でないとすり減る一方だ。
人それぞれ、大切にしていることは微妙に違う。
家族、恋人、プライド、自分自身、赤の他人。
同じ言葉で表していても、少しずつずれている。
同じ言葉を使う人が、全て自分と等しく同じと思ってはいけない。