20160106 / Chiaki | my-Butterfly OFFICIAL WEBLOG

my-Butterfly OFFICIAL WEBLOG

my-Butterfly メンバーによるオフィシャル・ブログです。

 



どうもこんばんは、Chiakiです。


書き上げるのに時間がかかってしまいました。


かなり長くなるけど最後まで読んでくれたら嬉しいです。









オフィシャルサイトでも発表されましたが、この度2月6日(土)梅田Zeela公演での「IDEOLOGUES_E.P.」TOUR2015-2016 ツアーファイナルをもってmy-Butterflyは解散することになりました。







昨年9月11日の心斎橋VARONから始まった「IDEOLOGUES_E.P.」TOUR2015-2016


2016年2月6日の梅田Zeelaをファイナルに定め、そこに向けて2度目のリリースツアーが始まりました。




『IDEOLOGUES_E.P.』

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何度もこのブログでも言ったけど、本当に誇らしく思える一枚が出来たと思っています。

私の中では少し、「遺書」に近い感覚でした。




謙遜する気なんて更々ないくらい自信を持って

「カッコ良いので是非聴いてください」

と言えたし、


「”作ってしまった”と言ってもいい程の作品だと思うし」とライヴハウスの人に言ってもらった時も、本当にそうだと思えました。



リリース前に周りのバンドや関係者の人達に聴いてもらって、その反応から明らかに今までと違う何かを感じてもいたし、良いツアーになる予感と期待を持っていました。






ツアーが始まり、これからツアーの本数も内容もより濃くなって本格的にという感じだった10月中旬、
Gt.Vo.Tacが怪我をし、左眼球角膜裂傷という診断が下りました。



今もそう思っているけど、Tacは間違いなくmy-Butterflyのブレインで、今迄に何度かメンバーチェンジはあったもののTac不在というmy-Butterflyは私の中では完全に想定外でした。






正直な話、初めは年内の全公演をキャンセルという話になっていました。






でも、それをしたらmy-Butterflyが死ぬと思った。






残りのメンバー3人ができること、やるべきことはただただTacの回復を待ってその間バンドの活動を止めることでも、
ツアーが決まっている公演の会場に出向いて「今回は申し訳ありませんでした」とただただ謝るだけのツアーを回ることでもないと思った。




ツアーを一緒に回る予定だったバンド達は
「仕方ないよ、また来年一緒にやろう」と言ってくれたけど、バンドなんていつどうなるかわからないし来年お互いがステージにいる保証も無い。

何よりキャンセルを出してそこから自分達が空けた穴を埋める為にブッキングに奔走してもらい迷惑をかけることは堪え難かった。


みんな最高にカッコ良いバンド達だったから私達がキャンセルを出しても代わりに「出たい!」と声をあげてくれるバンドはいたと思う。

でも、最初に声を掛けてくれたということはそれだけ一緒にやりたいと思ってくれていたってことだし、何かしらの期待も持ってくれていたに違いない。

少なくとも私達がイベントやツアーでバンドに出演オファーを出す時はそういう気持ちで声を掛けてきた。



だからその気持ちを反故にすることだけは絶対にしたくなかった。






常日頃から交流の深かったex.SeptaluckのKATが頭に浮かんで、彼が助けてくれるならサポートを迎えるという形でツアーを続行できるかもしれないと思った。


KATという名前を出すまではTacもキャンセルの方向で考えていたし、
私の頭の中だけで「きっとやれるし、そうするべき」って確信があったから冷静な意見や気持ちの部分でも他のメンバーは不安要素が多かったと思うし、
私が「サポートを立ててでもツアーは続行するべき」と言い出した時は半信半疑だったと思う。



でも、結果リズム隊の2人は私の言葉と気持ちを信じて付いて来てくれたし、Tacも「KATなら任せられる」と首を縦に振ってくれた。




4日後がライヴだという無理難題しかない状況下での私の頼みに

「助けないわけがないでしょうが!!」

とKATは即答してくれました。


結果、

■10/22(木)渋谷eggman
■10/23(金)渋谷GAME
■11/17(火)梅田Zeela
■11/18(水)神戸 太陽と虎
■11/20(金)新潟Club RIVERST
■11/21(土)水戸LIGHT HOUSE
■11/28(土)滋賀B-FLAT
■11/30(月)渋谷Milkyway
■12/3(木)今池3STAR
■12/7(月)アメリカ村DROP
■12/16(水)仙台MACANA
■12/20(日)金沢VANVAN V4


の12本をサポートしてくれました。



KATは東京で私達は関西だからスタジオもライヴ当日の2回しか入れなくて、
ギタリストとしてTacとKATは音作りもかなり違うから苦労した部分もあったけど、その分意見しあって試行錯誤しながらライヴを一緒に作っていく楽しさもあった。


信頼できるKATというギタリストがいたからこそ続けることができたツアーでした。


彼には心の底から感謝しています。





でも、助けようとしてくれたのはKATだけじゃなかったです。




Tacのことがあってその直後が渋谷eggmanでのライヴで、その日一緒だったココニカカルのTATSUKIが

「俺、ここのスケジュールいけます」

とツアースケジュールの何本もを弾いてくれようと声を掛けてくれた。



「もし最悪の場合になってもChiakiさんが歌えるように」

と、こっそりシーケンスを作ってくれたりもしていた。



「同期、Tacさんにデータいじってもらうの難しいかもなって思って、I.D.だけですけど同期データさっき作り終わりました。
完璧では無いと思うけど。

要らんかったら要らんかったでいいので、必要だったら僕のスケジュールも同期データも使ってください。」

って。




死ぬ程有難かった。




病室でそれを私から聞いたTacは

「タツキが作った同期、聴いてみたいな」

と、安定のいたずらっ子な表情で言って見せたけど、内心では凄く感謝していたと思う。




MELLOWSHiPのToshikiもDROPで逢った時に「俺、弾きますよ!」と言ってくれた。



うちのバンドは私とToshihiroが運転が出来ないからいつもTacとHikoに移動は頼っていた。

でも、Tac不在となった状況での長距離移動はHiko1人にはかなり大きな負担で、
どうしようかと思いあぐねている時にLast Scream Dayzの†omonoriが



「俺、行こか? 困ってるんやろ?」



と、撮影帰りに体調も悪くて自分のライヴも数日後に控えてるのに10/22,23の渋谷2DAYSと翌日の水戸ライトハウス公演に同行してくれた。



他のバンドのヴォーカリストにツアーの移動の為に同行してもらうとか本来なら考えられへんし、申し訳無さしかなかったけど正直本当に助かった。

素直に甘えられる関係が築けていたことにも改めて感謝した。


Hikoの後輩バンドのLi-Netのツッチーも水戸、新潟、仙台とツアーに同行して助けてくれた。



見えないところでも色んな人に助けてもらっていました。

みんなの気持ちが本当に有難かった。





10/22の渋谷eggmanから12/20の金沢VANVAN V4まで、ライヴはいつも5人で立っていました。

ファンの子がTacに見立ててプレゼントしてくれたニャンコを毎回ギターのヘッドアンプの上に置いてね。


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Tacが怪我をした当初は早くて12月、遅くとも1月には復帰できると思っていたし、そう信じれていたからツアーも続行できたし、誰よりTac本人がそう思っていたに違いなかった。



有難いことに『IDEOLOGUES_E.P.』の反応も良く、ライヴの反応も以前より明らかに肌で感じられるくらい手応えが出てきていて、

新しく出逢える人の数も増えてきて、ライヴ後にダイレクトに嬉しい声を聞ける機会も多くて、
次はもっと良い作品を創れる期待感もあった。
(それは今も変わらないけれど)





ですが、現実はなかなかそうはいかせてもらえませんでした。






Tacに関して。

3月に眼球の抜糸をする予定で、そこから視力が元の状態まで戻るのか、はたまた今のままほぼ見えていないに等しい状態のままなのか…抜糸するまではわからないとのことで、
PTSDを発症してしまってるのもあってメンタルの方が根は深いという感じで、
正直Tacが心身共に復帰出来るのはいつになるのかわからないのが現状です。


もしかしたら1ヶ月後かもしれないし、1年後かもしれないし、もっと先かもしれないしそれはわかりません。



そういう状況を踏まえて年末に何度も話し合いを重ねました。






年内のライヴが残り数本というところで、A Barking Dog Never Bitesのみんなとか凄く仲良くなってたから、

「来年また一緒にやりましょうね!」

と、声を掛けてもらう度にそれが叶えられないかもしれない現状が頭にあって、

「うん!絶対やろう!」


とは返せなかった。


「今回はほんまにありがとうね」


としか言えなかった。

   





でも何より考えたのは支えてきてくれたファンのみんなのことでした。





この7年間で結成当初からずっと応援してきてくれた子、



北は北海道から南は鹿児島まで遠征して足を運んで一緒に同じ景色を見てくれた子、



受験とか仕事とかでなかなか逢えなくてもずっと心は側に置いてくれていた子、



なかなか行けない場所でもまたライヴで逢えるのをずっと待ってくれていた子、



逢えば涙ながらに一生懸命気持ちを伝えてくれた子、



ライヴになかなか来れなくても「my-Butterflyの曲を聴いて頑張ってます!」と教えてくれた子、



ひとりひとりの存在やその声、ライヴで見せてくれる笑顔ひとつひとつが私にとっては宝物であり、バンドを続けられる原動力であり、
何より終われない理由でした。

勿論今もそう思ってる。



そして私はmy-Butterflyのファンのみんなを誇りに思ってきました。

それはどんなジャンルだろうが良いものは良いと、柔軟に、いつだって全力でそこに鳴る音楽とライヴを楽しもうとしていた子達ばっかりだったから。


純粋に音楽とライヴが好きで好きで仕方ない、そういう姿が本当に愛おしくて可愛くて大好きで。



だからこそ

「来年もいっぱい逢いに行きます!」

「楽しみにしてます!」

と掛けてくれた声に力強く

「うん!」

と、応えられなかったことが本当に辛かった。





Tac以外の誰かで迎えるファイナルに意味を見出せず、12/20の金沢公演が最後だったという形で解散の発表を出すか、そんな話も出ました。


やっぱりファイナルは4人で立ちたかったから。

そうじゃないと意味が無い、
その為にKATと一緒にmy-Butterflyを守ってきたから。




だけど、それでは今まで応援して支えてきてくれたファンのみんなに対してあまりにも身勝手で、
もし私が逆の立場なら事後報告というのはとても悲しいし悔しいしやるせないし憤りすら覚えるかもしれない。

それにファンのみんなだけでなくバンドやライヴハウスのスタッフの皆さん、その他関わってきた沢山の人に対しても恩を仇で返すようなことになってしまうと考え直しました。   


ただただ純粋に、出逢ってきた人達に最後にきちんと感謝の気持ちを伝える為にライヴをしようと。




2月6日(土)梅田Zeelaでのツアーファイナルは今回の「IDEOLOGUES_E.P.」TOUR2015-2016でTacの想いを継いでサポートを務めてくれたex.Septaluck Gt.KATを迎えて行います。



Tacには一曲だけでも、たとえ一音だけでも共にmy-Butterfly4人でステージから掻き鳴らすことが出来るよう、メンバーみんなでサポートする。


最悪、ステージの袖にいてくれるだけでもいいと思ってます。

4人でステージに立ったって事実があれば私はやれるから。








2009年、ある先輩が繋いでくれた縁でTacをはじめとするmy-Butterfly初期メンバーに出逢いました。 

Tacが作ったある曲を聴いて、

「私、この曲が歌いたい」

そう思って、


最初で最後のバンドのつもりでmy-Butterflyというバンドを始めました。




メンバーチェンジを経て2011年7月にDr.のHikoが加入し、2014年5月にBa.Toshihiroが加入。



今の4人になって1年半と少し。



私はこの7年、my-Butterflyに全部を注いできた、というか捧げてきました。



オフィシャルでの発表の前に今までmy-Butterflyを通して出逢ってきた沢山の人に連絡を入れました。


ざっと500人はいただろうか。


それ以外に連絡先を知らないバンドマンやライヴハウスのスタッフさんや関係者の人もいるし、

ライヴハウスでライヴをやることで出逢えた人の数はその何倍か。


こんなに沢山の人と関わりながらバンドをやってきたんだなと、改めてその重さを感じました。




明日もし死んだとしても、

「あー、こんなに何かに全部をかけたのはmy-Butterflyだけやったな」

と思うだろうな。

というか、そう言い切れる。

それくらいmy-Butterflyが中心の、全ての7年間でした。






でもね、バンドをやろうと思った最初のきっかけの曲、

ライヴでまだやれてないねんな。


今でもその曲をライヴで歌いたいと思っているし、それをTacに伝えたら

「次の作品の核にしようと思ってた」

って言ってた。


どんな曲か気になるでしょ?

でもまだそれはヒミツ。





先のことはわかりませんが、もしTacが心身共に復帰できて、その時また一緒にやろうって思ったら気持ちも新たに新しい名前でやればいいんじゃないか。

今はそういう気持ちでいる。

だからオフィシャルのコメントには

「あくまでも前向きな決断」

と記しました。





ファイナルは支えてくれたファンのみんなや出逢ってきた色んな人への感謝をライヴで伝えられるように、

my-Butterflyらしく、最後の最後まで悪足搔きしながら精一杯やりたいと思います。




歪なライヴになるかもしれない。



それでも、my-Butterflyをmy-Butterflyらしく、全身全霊で表現し放つものを
其の瞳で、耳で、心で感じてもらえたらと思います。



ひとりでも多くの人と、


キミと、


あなたと、  


あの子と、


一緒にその景色が見れますように。




2月6日、

心の底から抉り掴んで震わせてくれるライヴと想いを、嫌になるくらいこれでもかと伝えてくれる仲間とZeelaで待ってます。


まぁせいぜい楽しみにしていてくださいよ。




そして、my-Butterflyを最後までどうぞ宜しくお願い致します。



2016年1月6日 
my-Butterfly Vo.Chiaki