こんばんは、ゆく年くる年、お餅大好き、Hikoです。
最近こんな映画を見ました。
2011のデヴィッド・フィンチャー監督作品。
“セブン”で有名な監督です。
NINのトレントレズナー氏がアレンジした“移民の歌”が鳴り響く、MV風なOPが素敵でした。
ドンドドタドッドドンドドタドッド...
ウチのMVを撮ってくれた藤本みのる氏も、デヴィッド・フィンチャー監督は大好きと仰ってました。
サスペンス的にストーリーが素晴らしいのもさることながら、ドラゴンタトゥーの女ことリスベットのカッコ良さが半端じゃない!
MacBookProを使いこなし、マクド、コーラ、サブウェイ?(多分違うけどw)、バイク、ネコ、NINのTシャツ、、と上げればキリが無い程。
引っかかるポイントばっかりです。
まぁなんせMacの使い方がカッコよすぎて、、
パソコンでの作業風景を映像としてこんなにカッコ良く撮れるのは、凄いなと思いました。
なんか大人の事情で本当はソニーのVAIOを使わないといけなかったらしいんだけど、『Macじゃないと無理だ』と監督が直談判したそう。。
そのエピソード、エンターテイメントに関わる者としてカッコよすぎます‥!
もとはミレニアムっていう小説みたいなので、こっちも読んでみたいなって思いました。
それにしても最近思うのですが、自分が好きだと思うのとか、感覚に引っかかるモノって、身の回りの“見える所に”おいて置いた方がいいのかなと思います。
つい最近の事ですが、自分が好きだと思っていたはずのモノの事を、スッカリスッキリ忘れている事に、ある時気付いて愕然としました。
忘れるってことはその程度のモノだったということなのかもですが、それでも、身の回りに形あるモノとして置いておけば、そんな事は(忘れるなんて事は)起こらなかったと思うんです。
音や映像は、なんでもかんでもネットで簡単に手に入る世の中ですが、そこに頼るとどんどん感性がダメになる気がします。
一旦PCにいれた音楽はその瞬間から平面に羅列されたものになって、現実世界から切り離されて、昔買ったからジャケットが色あせてきてるとか、聞きすぎて音飛びするとか、そういうことと無縁になります。
データが飛ばなければ半永久的にデータの見かけなんてものは変わらないし、逆に飛ぶ時はなんの前触れもなく居なくなります。
初めからそこには何もなかったですよ~と言わんばかりに。
でもそんな事言ってもやっぱり音楽のライブラリはPCや、流行りのクラウドを使いこなさないと現実管理しきれないし、複数PCの同期は当たり前、YouTube無しの生活なんてもう考えられません。
CDしかなかった頃はもうちょっとシンプルだったと思うし、さらにアナログレコードの時代はもっと顕著だったと思います。
でも今、時代に逆行して、音楽ライフをアナログレコードで楽しもうとするのは並大抵の事ではないですよね。
難しいですよね、世の中はどうしてこう年々複雑になっていくんでしょうか。
一つ便利になると、一つ複雑になりますよね。
‥と、なんだか長くなってしまいました(^^;;
ふと思ったことでした。まとまってませんが‥
最後まで読んでくれてありがとうございます( ̄^ ̄)ゞ