My Another Face
私、田辺、tana:主人公、学生時代の殆どを研究に費やしていた。現在某会社社長。若くして結婚した妻と、娘陽子、息子遊二の4人家族。自分を構成する半分は、明るく、人懐こく、すぐに誰とでも打ち解ける性格。しかし自分の過去を誰にも話したことがない。そしてそれが、My Another Face。

レイさん:主人公が社会人だった当時好きだった女性。

中山さん:主人公の学生時代の憧れの先輩。きちっとしたお嬢様。性格はちょっと強い。

ケイ先生:主人公が所属しているグループのリーダー。准教授。
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1-3

「ああ、おはようゆきちゃん。なんか、今日は調子よさそうだね~。」
「そうなんです。聞いてくださいよ!さっき、O研から連絡が入って、germ lineに入ったと思われるキメラが出来たって!」

「え~!すげー!やったじゃん。とりあえずこれだけでも学位になるよ!結構、ターゲティングベクターを作るのに苦労してたからね。。もしかしたら、あの近辺のゲノム構造が少し強固で、組み込まれにくいのかも知れないと思っていたけれど、、キメラがちゃんとできるようになったと思ったら、いきなりgermに落ちたか!いや、ほんとによかったよ!」

「ありがとうございます。たなべさんが、よく面倒見てくれていたからですよ~^^」

ゆきちゃんの学位のテーマは、某遺伝子のコンディショナルノックアウトマウスの作製・解析だった。ノックアウトマウスというのは、ある特定の遺伝子を持たないマウスを意味し、コンディショナルというのは、「特定の条件の下で」という意味である。つまりは、特定の条件を満たしたときに、目的の遺伝子をゲノムから取り去ってしまうことが出来るマウスというわけだ。
彼女の場合、発達に関係すると思われる某受容体遺伝子のコンディョナルマウスを作製し、各発達段階での遺伝子の役割について解析することが最終的なゴールというわけだ。

今でこそ、ノックアウトマウスやコンディショナルノックアウトマウスなどは、(比較的)簡単に作製されて入るが、私の学生時代はまだ、そういったマウスを「作製する」だけで十分学位に値するとされていた時代だった。
当然、そのような技術はなかなか普通のラボには無いのだが、教授がこの分野で権威である某教室出身ということもあり、私の所属していた研究室でもそこそこ気軽にノックアウトマウスの作製・解析が出来るのだ。


「じゃあ、あとはノックアウトマウスが出来上がるのを待つだけだね。。。そうそう、その遺伝子の細胞内シグナルなんかはもう調べてあるんだっけ?」
「うーん。。とりあえず、vitroの実験で振り掛け実験はやってあって、cAMPと細胞内Ca2+の上昇は確認してあります。ただ、細かく濃度を振ったりはしていないので、、、」
「そうか。。。GsとGqがカップリングしてそうなんだね。ただ、別の経路で、細胞膜のCa2+チャネルが開いているのかもしれないから、ちゃんと阻害剤を使った実験で抑えとかなきゃね。でも、まあうちの研究室ではルーチーンだから、そんなの1週間あればできるでしょ?」

「えー。。。今から細胞起こしなおして、、、トランスフェクションして、、、あー、こんなのだったらステーブルクローン作っておけばよかったな。。」

「あー、はいはい文句は言わないの!いずれにしても、まだ暫くはマウスは来ないんだから、押さえられる実験は押さえておかなきゃ。それと、、、vivoの解析ではどの臓器にターゲットを絞るつもり?」
「えー、、、私、血球とか炎症反応とかに興味があるんですよ~ でも、ケイ先生はどうなんだろう。。」

「ケイ先生はむしろ、発達に興味があるからね。。あと、あのマウスなら他の人も実験に使えるからね。。。すみわけが難しいかも。」
「えーーーー!まさか、中山先輩も私のマウス使って解析するのかなぁ。。。いやだなあ。。」

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私はその当時、医学研究科の大学院博士課程3年生だった。

所属研究室は学部でも由緒正しい(つまりは、古いということなのだが、)研究棟の3階隅にあり、
窓からは季節ごとに、春の桜、夏のケヤキ、秋のイチョウとすばらしい景色を見下ろすことができる。

研究というのは、なにかこう、常に新しいことをやり、日々充実した生活を送っているようなイメージがあるが、
実際は、日々失敗を繰り返しながら、何度も何度も試行錯誤を行い、かすかに見える光明を逃さず、
その一片にしがみつきながら次へと進んでゆくものだ。

幸運の女神に見初められて、最初に行った実験ですばらしい結果を得られる者も
(わずかではあるが)確かにいるが、大半が光明を見つけるのに2年を無駄にする。
それでもまだ光明が見えればいいほうで、見えずに4年を終了するもの、
偽の光に導かれて間違ったアイディアに突っ走るもの、
途中であきらめて研究生活から放り出されるもの、さまざまである。

そんな、ある意味不毛ともいえる日々の繰り返しの中で、この窓から見ることのできる景色は貴重だった。

研究室のメンバーは教授、准教授、助教が1人ずつ、ポスドクが2人、そして大学院生が5人の小さなもので、
その9人が、朝9時から夜9時まで(ひどいときには終電とか徹夜もありうる)、月曜日から土曜日まで毎日顔を突き合わせている。
正直、家族以上に長く・濃密に顔を突き合わせて生活を送っている以上、人間関係のトラブルは尽きない。

そして、横同士のトラブルに上下が絡まると、卒業後の進路・研究のテーマにまで及ぶこともあり、
大変な問題となる。

まあ、確かに人格的に問題のある人もいるが、さすがに性格の好き嫌いだけでそういった重要事項の左右を決める人はあまりいないが。

幸いなことに私は、誰にも好かれるおどけたキャラクターを発揮し、どの先生・先輩・後輩にも一応の好意はもたれていた。まあ、もちろん実験上でのトラブルは多少はあったが、そんなものは大抵その場限りの問題で、
後を引くようなことはなかった。

むろん、そういった状況が常に「ベストである」というわけではないが、今はそういった話は割愛する。

そして、問題はそうではない人たちの間で起こった。



「田辺せんぱーい!おはようございます。」
後輩のゆきちゃんだ。
この子は、2つ下の後輩で、とても明るくてかわいい女の子だ。
清廉潔白が好きで、芸能人並みのスタイルとかわいさなのに(一番きれいだった時期の梅宮アンナに似ている)、
芸能人に似てるという話になると、「そんなにチャラチャラしてるように見えますか?」とすぐに怒る。

運動好きなので私と話が良く合い、実験から人生相談までよく頼ってくれる、「かわいい」後輩だ。



1-1

夏、時刻はすでに22:30を回った。
「ああ、このまま続けたら今日も終電だよ、何回フリーズしたらすむんだよ。。あーもう。。。。あれ?中山さんはもう帰りですか?」

「うん。今日は夕方の実験結果を確認して終了。あとは論文を読んでただけだから。そろそろ帰ろーかなー。田辺くんはまだやるの?ごくろうだねー(笑)」

「いや、学位の準備ですよ。だけど、自分のPowerbookもう遅いから、Wordがちょくちょくフリーズしてやる気がなくなりました。あーもういいやもう。。ねえ、中山さん、今日そこで飲んで行きませんか?ほら、あの特別席で。たしか、-20℃にあれがあったでしょ?昼間話してたケイ先生のお土産。結婚20周年の旅行土産。」

「ああ、、、そうねぇ。。確かに今日は飲みたい気分だわ。それじゃあ2階の部屋、鍵を閉めてくるから、田辺くん帰える準備しておいて。」

そういい残すと先輩は白衣を脱いでいつものいい香りを残し、部屋を出て行った。よっしゃー!今日は先輩の中山さんと飲める!
8月ももう後半で、世間的にはお盆。いくら年中無休な研究室だって、今日は仕事してる人は少ない。今日はいいことある気がしたんだよな。

とりあえず、机の上を片付けて、白衣を脱ぎ、部屋の照明を消して戸締り。

廊下のー20℃に入っているお酒と、そこらへんの紙コップをを持って、階段突き当りの特等席・・・タバコエリアなんだけど(苦笑)・・・に急ぐ。

「おーそーいーよー!田辺くん。お酒持ってきた?さっ、飲もうか!」
「はいはい。どうぞ。本当に中山さんはお酒好きですからね~ しかたないなあ」

コップに注ぐ先輩の髪が、開いた窓から入り込む風で揺れる。また、中山さんの香水の香りがした。
「はいカンパーイ!」
「はーい!スコール・タメ・ファン!」
「おつかれー!」
「はー!結構度数高いはずだけど、おいしいですねー。レモンがあれば最高のなのに。。。」

「田辺くん、最近実験どうなの?ノックアウトの移植はまあおいておいて、その周りは固められた?」
「はい!免沈とツーハイでインタラクションは抑えてあるし、シグナルもルシフェラーゼアッセイ、cAMP、CASでバッチリ見れてますからね。」
「ふーん。。順調だねえ。よかったのう。クローニングとシグナルで1本、ノックアウトで1本にするつもり?」
「はい。それで学位の取得条件をやっと満たせますからね。苦節10年、、、ようやく。。ううう。」

ふざけた会話をする先輩もきれいだ。今日は、薄いピンクのスカートに白いシャツ。ピアスはダイアだなあ。。いつもきちっと着こなして、でもちょっと遊びを入れてて。。お化粧もきれいにまとめてるし、髪の毛も毛先だけ少し内側に巻いている。そして、このうすーく漂う香水。彼氏がいないなんて信じられない。むちゃくちゃ美人じゃないけど、しっかりしたお嬢様っという感じで。。これで自分が結婚してなけりゃあ。。

「そうそう、先輩ヨーロッパはどちらに行ってらしたんでしたっけ?」
「フランスよー。すっごい暑かったんだから。田舎に行ってクーラーのない部屋に泊まったんだけど、もう本当に死ぬかと思ったわよ。写真後で見せてあげるね。」
「フランスはどんなところに行ったんですか?」
「パリはもちろん好きだから行くんだけど、あとは地方周りかな。畑ばっかりのところ。友達が車運転してくれてね。のどかだったわー」
「ふーん、、、でも畑と言ってもそれはワイン畑でワイン街道を走ったんでしょ?ワインを飲むために。。」
「ふふふ。もちろんよ。でもパリも楽しかったなあ。。なんといってもお店はクーラー効いてる(笑)、きれいだし、、、」
「そして、この前みたいにブランドの買い物たくさんできますからねー!」
「そういう言い方、女性にはしないの!田辺くん」

先輩は細いきれいな指でグラスをつかんで軽く引き寄せて笑った。

「そういえば、今日はどうして来たんですか?みんな夏休みとってるし、週末だし、月曜日からにすれば良かったのに。」
「ちょっとね。ケイ先生にお願いしていた実験もあってね。結果を聞こうと思ってたんだけど、、、今日は、来なかったみたいね。」
「なんか、奥様が風邪を引かれて、、、お休みするって連絡がありましたよ。」
「そう。。かぁ。」

少し口をすぼめて一口含む姿はちょっと寂しげな美しさだった。

「田辺くんは来年どうするの?」
「僕は、、、どうしようかなあ。留学もしたいし、教授がここで雇ってくださるならここにいてもいいかも。でもそうすると、学部学生時代を含めて修士、博士(もちろん取れれば)で8年。さらにポスドクもいたら11年も一箇所にいることになるのか。。長すぎだあ。中山さんは?確かうちのCRESTは今年で、、」
「そうねえ。今年で教授のCREST切れるし、、、ケイ先生が次のグラントを取ってくれたら、雇ってくれるみたいだけど。。。留学も一度したいなあ。その前に自分でグラント取れるようにしなくちゃいけないなあ。。はぁ~」
「でも、ほら、中山さんはKグループの中心人物だから。なかなか留学できないでしょー。ケイ先生としばらくは一蓮托生ですもんね。」

「なんかもうちょっと前向きな言い方にしてよ。」

さわさわと、外を吹く風がすぐそこのケヤキの大木の枝葉を揺らす。その向こうには星空が広がっていた。

「まあ、この夏がんばりましょうね!中山さん。」
「そうねぇ。。。もう半分終わっちゃってるけどがんばるぞー!」

僕たちは早くもいい感じに酔いながら、くだらない話をツマミにケイ先生のお土産をあらかた片付けたあと、いつもの通り上機嫌で茶の水までそのまま酔い覚ましに歩いて別れたのだった。

先輩との最後のお酒。。。。となってしまった夜だった。でも、サイコーに気持ちよかった!