今回は「I AM SAM」。



娯楽とはあまり無縁の日々を過ごしていた頃に公開された映画なので

公開されたことも評価もどんな映画なのかもよく知りませんでした。



知的障害のある父親と娘の親子の愛のお話

というくらいの予備知識で鑑賞しました。





あらすじ。


知的障害のあるサムは、スターバックスでテーブルの片付けやシュガー等の補充をする仕事をしている。
そのサムに子どもが産まれるのだが、出産後すぐに妻のレベッカは子どもを抱くこともなくサムと子どもを置いて去っていってしまう。
それからサムと子どものルーシーの生活が始まるのだが、男性である上に知的なハンディのあるサムの育児は簡単にはいかない。
障害を持つ友人たちや向かいの部屋に住む外出恐怖症の女性に助けられながら、サムはサムなりに誠いっぱいルーシーを育てていく。
ルーシーは成長するにつれて自分の父親が他の子供の父親と少し違うことに気づく。
それからルーシーは親であるサムを追い越してはいけないという気持ちが芽生え、学校での成績が思わしくなくなるのだ。
それを問題視した学校が福祉局に連絡してしまう。
たまたま、ルーシーの誕生日パーティーをしている時に福祉局の人が訪ねてくるのだが
パーティーでサムがルーシーの友達を小突いてしまうハプニングがあり
サムは逮捕され、ルーシーは施設に引き取られることになっってしまった。
サムは親権を認めてもらいたくて弁護士に依頼するのだが、裁判もトラブル続きでうまくいかない。
結局ルーシーは里親の元へいくことになってしまった。
それでも諦められないサムは必死にルーシーと過ごせる時間を作ろうとする。
里親は迷惑がっていたのだけれど、最後にはルーシーにサムの愛が必要であることを認めたのだ。







鑑賞後
切なくなることはないのですが
なんとも考えさせられる映画でした。


自分が母親だからだとは思うのですけど。



親が子どもを愛することって
どういうことなんだろう



なんだかそんなディープなことを考えてしまいました。


サムは知的障害があって
確かに何をするにもスムースには行かないし
字も計算もできることが少ないのです。

本人が生きていくのも余裕がないかもしれない。

役人からすれば
この親では子どもを十分に育てられない
と判断するのもわからなくもないのですけど

気持ちとしてはやっぱり
親子を引き離すのは悲しいのです。

特に親子ともに愛情を持っていて離れたくないと望んでいる場合は・・・。



映画の中では
里親の理解のもとルーシーとサムは一緒に過ごす時間を増やせるのだろうと感じさせられるのですが

現実だとこうはいかないのでしょうね。


知的障害のある片親で身内が周囲にいない場合
育てるのはかなり困難ではないかと。(日本の場合ですが)

つまり知的障害のある人が自立して一人暮らしをして生活している
という状態を想像しにくいわけです。
(皆無ではないと思いますが、一人暮らしできるほどのお給料をもらえる例の方が少ない気がするんです)

そこへ赤ちゃんとか・・・(。-_-。)

だけど
それが可能な世界になっていかなきゃいけないって思いました。

障害があっても社会からはじき出されない世の中に。
いろんな人の手を借りることに特別意識をも持たなくていもいい世の中に。


この映画の主旨は本当のところはよくわかりませんが

私はそんなことを思いました。


自分の中にもまだまだ差別の根があることを感じさせられましたが
とてもステキな物語だったと思います。


誰かが誰かを愛している姿を描いたものは
胸を打たれてしまうわけですね。




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