「身体で感じよう」



少し前に車谷浩司さんのツイッターで見かけた言葉です。


今、カンボジアで子供にギターや音楽を教えていらっしゃるそうなんですが


リズムを教えるのに、あちらでは拍という概念がないらしくてメトロノームでは理解しづらかったので


そういうものはなしで「身体で感じよう、覚えよう」と方向転換をしたところ


子供たちが変わってきた、というお話でした。



その言葉で常々思ってることにビビっときたのでそんなお話をしたいと思います。


この言葉はつまり、頭で理解するのではなくて身体に沁みこませる


解釈するのではなく感性で受け止める


そういうことですね。



私は日本語が好きですが


特に詞や詩、和歌は好きなんです。


日本語特有の季節を彩る言葉だったり、


比喩を使ったりぼかしたりのあいまいな表現だったり、


受け手によって幾通りもの解釈や感じる世界が生まれるようなものが好きなんです。


でも、学生時代に勉強したのはこれを一定の枠の中にはめ込み、一定の解釈を求めようとすることでした。


もちろん、そういう学習をして読み方を知って、その良さが見えてくるわけですけど


それなら詩集を丸ごと一冊読ませる方が効果的なのでは?と思ったり。


あくまでも解釈や感じ方は受け手の自由だと私は思うんです。


それは詩に限らず、小説も絵画も彫塑も。





こっそりみんな聞いちゃったよ

ホントはさかさまだってさ

ちっちゃな大きなまなざしは

空に抜けていった

すぐに醤油のシミもおちたよ

ほらびっくり大笑い

今日もこんなひょろひょろの風の中

ぼんやりしてようかな


泡になってとけだした

泡になってとけだした

泡になってとけだした

雨の朝



寒いな畳の匂い

やさしい人やっぱりやだな

しっかりなんてできないけど

僕はここにいた

で、で、で、でっかいお尻が大好きだ

ゆっくり歩こうよ

わざとかがっかりしたふり籠の中

誰も見ちゃいないさ


機関銃を持ち出して

飛行船を追いかけた

飛行船を追いかけた

雨の朝



BYスピッツ 「あわ」





これは私の大好きな曲なんですが


詞の意味ははっきりいってまったくわかりません笑


でもこの一見脈絡のない言葉の羅列から


一つのストーリーを見出すことができて(これはまあ、私の特技でもありますけどね笑)


この詞はたまらなく好きです。


ただ、これを解釈しようとすると無理がいくのではないかと思うんです。


聴こえてくるそのままの音と言葉の響きで感じられるものが好きなものであれば


それでいいのではないかと思います。


それが「身体で感じる」っていうことではないかと。


理屈や解釈ではなく身体が好きって言ってたらそれでいい


身体が何かを感じたらそれでいい


そう思うんです。            


いいわけでもなんでもなくて


私は頭で理解できなくても感じられるものがあれば、


それは感性で受け止めたということだと思うので


理屈をこねるより


感じることを大事にしていきたいです。 


(ん?十分理屈こねてる?ww)           名前