どんなにしても感情がまとまっていかないもどかしさをひさしぶりに思い出した。


伊藤が死んでからしばらく感情が砂のようになっていた。


手のひらで集めて、こねて、「悲しみ」の形にまとめようとしても、


形作った端から砂はさらさらと流れ堕ちる。


「怒り」の形も同じ。


「寂しさ」も同じ。



By 重松清  「卒業」より




今、読んでいるのが重松清さんの「卒業」という小説なんですが


今日読んでいたらタイムリーな感情表現を見つけてしまいました。



昨夜から


自分の所在をどうしていいかわからず


自分自身に困惑していたところです笑




ライブに行って


楽しかったのか


うれしかったのか


スッキリしたのか


自分の感情がはっきりしないんですね。




前回のライブとは明らかに違う。


前回はその感動を誰でもいいから言いたくて


ファンじゃない人にも話しまくって


辟易する姿が見て取れるのに止められない笑



昨日のライブは


できるだけ言いたくない。


感動しなかったわけじゃない。


でも違う。


興奮の仕方が違う。




なんていうか、一番近いのはエキスプレス症候群・・・


若い方はこんな言葉知りませんかね?笑


今、超ブルーなんです。


またしばらく会えないって思うと・・・


いやそれもちょっと違う。



こんな感じでね、感情がまとまらないわけですよ。



なんかすごく死にたくなって。


これは語弊がありますが


早くあっちの世界に行きたい。



現実の世界にいたくない。




なんで私はここにいるんだろう



一日中そう思ってました。




そういうなんとも言えないごちゃ混ぜではっきりしない混沌とした感情の表現が


なんとも心にくく、今の私を著わしているようで


ストレートに突き刺さりました。



なんともない表現かもしれませんが


小さなひだを表すのがとても巧いと感じましたね。




そしてまた私はホールの観客席を彷徨い続けております。