劇的ではない生活の中で、劇的なことは何もないままに、それでも私たちは何かを修復できたのだ。
By 三浦しをん 「格闘するも者に〇(まる)」より
ちょっと間があいてしまいましたが・・・
先日読み終えた三浦しをんさんの「格闘する者に〇(まる)」から引用させていただきました。
これは、義母や弟とぎくしゃくした関係を持ちつつ生活してきた語り手の主人公の女子大生可南子が
ごくありきたりな日常の中でなんとなく修復しつつあると感じた時に著わされている一文です。
人生の中で劇的な出来事を経験する回数ってそう多くはないですよね。
それでも、人との関係も環境も変化してるのは間違いないことだと思います。
結局一般的な人は劇的ではなくとも、気持ちや環境を変化させ、それに自然に対応してるのだと思うんです。
何かから脱却したいと願ったり、どこかへたどりつきたいと思ったりするときに
意外と普通の生活の中にその道は見えてる、もしくは機が熟せば自然にそうなるのかもしれませんね。
事を起こさなくても
事件が起きなくても
今あるものを受け容れるだけでゆっくりと形を変え、望ましいものに変わっていく、
あるいは自分が気にかけていたものを受け容れられるようになるものなのではないかと思います。
この文を読んでそんなことを思いました。
あるがままに流されている私の言い訳かもしれませんね笑