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ばぁちゃんへ

ばぁちゃん元気しとるー?
こげんやって話すとはどんくらいぶりかねー?


あ、俺?相変わらずなーんもしよらんよwww
ごめんてwwwでも今頑張ってるからもうちょっとまっとってよwww
ね?www

え?今更何の用かって?
やだなーばぁちゃん俺が言わんでもわかるやろー?

8年前からの事、謝りにきたとよ。

いいからwwwwwちゃんと聞いてってwww
とりあえず聞こうwww8年もたってるけどwwww

えーと、あの時3月やったっけ、そう23日。
俺小学校卒業してたから休みやったけん
ばぁちゃんと2人やったときたい!

そうそうずーっと咳込みよったときたい!

ばぁちゃんその日昼間なのに冷たかったやんww
うん、かなりひんやりしとったよ?

いや、俺そのときゲームしててさ?
咳込んでる音が止んだ事に気づかなくてさ・・・うん
当時中学上がる前の俺には理解できんかったよホント

ゆすっても名前呼んでも全然反応ないんだもんw
パニック起こして救急車じゃなくて親戚呼ぶ始末だもんwww
ほんとなにやってたんだあのときの俺ww

うん、お通夜の準備があってるとき従兄弟にさ
「責任とれ」って泣きながら言われてさ
ようやく事の重大さに気づいたよね当時の俺w

親戚とか親父からも
「あれだけ頼んどくよって言ったやろうが!」ってさ
もう俺には畳に頭こすりつけて謝ることしかできなかったよね

でも不思議と涙が出なかったんだよ
え?もうちょっと悲しめって?
最後まで聞いてってwww

なんでだろうなー、あの日は俺だけ泣かなかった
罪悪感とこれからの親戚関係とか考えて
頭いっぱいだったからかもしんない。

そんでお通夜始まったんだけどさ
人来すぎでしょwww自宅でやったんだけどさ

もう人、人!玄関から人がはみ出る勢いの人だったよw
来る人来る人に「この度は語愁傷様でした・・・」って
泣きながら言われて

「え?なんであんたが泣いてんの?w俺泣いてないのにw」
とか思っちゃったりしてさwww

お通夜が終わってみんなが寝た後俺1人でばぁちゃんが入ってる棺みててもさ、なんでだろうね?

泣けないの、なんでかわからんのやけど。

棺の前で体操すわりしてずっと肌寒いの我慢しながらみてても
涙が出てこないの。

「あー、俺感情なくなったんかな・・・」とか
思い始める始末www

んで次の日、葬式でもいっぱい人きてさ
みんなせまい部屋の中で正座して泣いてんの
でも俺だけ泣いてないwwwなんなのこの状況www

それであの、花を棺の中に入れていくやつ?
あれをやった時にね、なんていうんかな・・・走馬灯?

目の前に今までの思い出的なのが頭の中にサーッと流れたわけ。

その走馬灯が流れ終わった後にさ、え、なんで?
なんでばぁちゃんこっち見てんの!?
いやほんとびっくりしてさ、体動けずにいたときにばぁちゃん言ったよね?


「○○(本名)長男やろ?もうちょっとぴしっとせんねぴしっと!
ばぁちゃんもうおらんごつなるばってん、○○(父)と○○(弟)ば
しっかり支えなんよ、わかった!?」

え、こんなときまで怒るのwwwって思ったけど俺は
鼻水ぽたぽた落としながらすっげーぶさいくな顔でうなずいてやったよwww
ばぁちゃんにっこりして目つぶったらいつものばぁちゃんだったよ。

そのばぁちゃんの顔さなんか微笑んでたの。
たぶん俺の見間違いかもしれないけどにっこりしてた。

ばぁちゃん微笑んでたけど俺はこの8年間ずっと
心残りだったんだよねww

ばぁちゃんごめん
ほんとごめん
いっちょん言うこと聞かんでごめん
ガンで苦しんでるとき励ましの言葉も言わず
ただただ病室に通っていた俺が悔しい

もっといっぱい言うこと聞けばよかった
もっといっぱい励ましてやればよかった
もっといっぱい肩叩きとかすればよかった

ばぁちゃんいっつも俺の前で笑ってたけど
苦しかったんだね、歳重ねる毎に墓の前で
思い出しては自分を鼓舞していまがんばってるよ

今じぃちゃんがもう危ない状態なんだって
でも最近微笑んでるんだよね
たぶんばぁちゃんとの思い出を振り返ってるんだと思う

だんだん身内が減っていって寂しくなる
親父もいつか死んでしまう
でも俺頑張るから

いつか天国まで俺の名前が届くように
大物とかねらってみるから

それまでそっちで元気でやっててください

付き合い的にはそんなに長くなかったけど
俺にとっては最高のばぁちゃんでした

ありがとね 大好き


○○より


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あるベトナムの村に宣教師たちの運営する孤児院がありましたが、爆撃を受けてしまいました。

宣教師達と2人の子供達が即死し、その他の者も重傷を負いました。


重傷になったものたちの中でも8才の女の子は最も危ない状態でした。

無線で助けを求めると、しばらくしてアメリカ海軍の医者と看護婦が到着しました。

大量に出血したことにより危ない状態にあり、早く手当をしないと少女は命を落とすことになります。



輸血が必要でした。しかしどうやってそれを行うことができるというのでしょうか。

言葉が通じないため、ジェスチャーを使って子供達を集め、何がおきていたのかを説明し、

誰かが血液を提供することが必要であることを伝えようとしました。

沈黙の時間がしばらく続いた後、一本の細い腕が恐る恐るあがりました。


ヘングという名の少年でした。

急いで少年の準備をすると、苦しむ少女の隣に寝かせ、輸血ようの管をとりつけました。

少年は黙ったまま天井をじっと見つめていました。


しばらくすると、少年は自由になっている手で顔を覆うと、しゃくりあげるように泣いているのでした。

医師がどこか痛いのかと尋ねるとそうではないようでした。

しかし、しばらくするとまた、しゃくりあげ、今度は大粒の涙をこぼしていました。

医師は気になり、再び尋ねましたが、またもや彼は否定しました。

ときどきしゃくりあげていたのが、やがて静かに泣き出しました。

明らかに何かが間違っているようでした。


すると別の村からベトナム人の看護婦が現れました。

医師はその看護婦にヘングに何が起きたのか尋ねてくれるように頼みました。

すると少年の苦しそうな表情はゆるみ、しばらくすると彼の顔は再び平静を取り戻しました。

すると看護婦はアメリカ人の医師達に説明しました。



「彼はもう自分が死ぬのかと思っていたんです。あなた達が説明したことを理解しておらず、少女を助ける


ため、全ての血液を提供しなければいけないと思ったようです。」

すると医師はベトナム人看護婦の助けを借り、少年にきいてみました。

「そうであればどうしてあなたは血液を提供しようと決心したんですか。」

すると少年は単純に応えました。



「あの子はぼくの友達なんです。」

私の祖父は無口で頑固で本当にこわくて親戚中が一目置いている人でした。
家に行ってもいつもお酒を飲んでいてその横で祖母がせわしなく動いていた

記憶があります。


私が結婚する事になり、ドキドキしながら主人を連れて行くとずっと黙ったまま
やっと口を開くと「ビールは何を飲むんや?」でした。

その日はなんとか無事に終わり、式の当日終始酒をつぎにまわってた。
その後、子供が生まれ少し育児ノイローゼ気味になった私を見てなぜか毎日
孫の世話をしに来るようになった。
当然子供の面倒など見たことないので、する事がめちゃくちゃで
イライラしていた私は嫌味ばかり言ってしまった。

2ヵ月後、あまり調子がよくないと言っていた矢先他界した。
なんでもっと優しくしてあげなかったんだろう?
紙オムツの仕方を聞かれて、それぐらいわかるでしょって
なんで冷たく言っちゃったんだろう?

あの日、自分でどうにかしようと思って変な形になったオムツが残されてた・・・

その後、毎日つけていた日記が見つかり、式の当日
「あのバカ娘がとうとう嫁に行った。最後の挨拶では涙が出た。
幸せになれ。」って書いてた。

おまけに家には主人があの日答えた「アサヒビール」が
押入れいっぱい詰められていた。


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