Best Sports Memory

Best Sports Memory

自らの保存のため、そして多くの人と共有するために、スポーツの名場面動画を拾い集め。

Amebaでブログを始めよう!
1998年夏の甲子園。
それは松坂の大会だった。


怪物・松坂大輔を中心に、小山良男(元中日)、小池正晃(中日)、後藤武敏(西武)らを擁し、春の選抜大会を制した横浜高校。

前年の秋季大会から無敗を継続し、史上5校目の春夏連覇を狙っていた。


1回戦は柳ヶ浦高校を6-1。
2回戦は初戦にノーヒットノーランを記録した杉内俊哉(ソフトバンク)の鹿児島実業高校を6-0。
3回戦は星陵高校を5-0。

危なげ無く勝ち上がっていく。
そして準々決勝でPL学園を相手に迎える。


PL学園は春の選抜大会で横浜高校と2-3の激闘を演じた相手。
上重聡(日本テレビアナウンサー)、大西宏明(ソフトバンク)、平石洋介(楽天)、田中一徳(元横浜)、田中雅彦(ロッテ)など、横浜高校に引けを取らない選手たちが揃っていた。

試合は期待に違わぬ激しい戦いになる。


PL学園がリードを奪うも横浜高校が追い上げていく。
4-4のまま延長に入ると横浜高校が2回勝ち越すが、その度にPL学園が追いつく。

いつ終わるかわからない展開。
松坂の投球数は200球を超えている。

延長の上限18回のルールが確認され、
多くの人の頭には再試合の可能性も過ぎった。

しかし、迎えた延長17回表…





常盤亮太の勝ち越し本塁打に涙する松坂。
そのまま裏の攻撃を抑え、激闘に終止符を打った。

力を出し切って満足し笑顔を浮かべるPLナイン。
一方横浜の小山は感極まって号泣した。

負けて笑い、勝って涙する。
珍しい構図が試合の激しさを現していた。


試合後のインタビューで松坂は「明日は投げません」と答える。

球数は250球。
当然投げられるわけがない。


そして迎えた準決勝。
予告通り松坂は先発せず、2年生の袴塚健次と斉藤弘樹がマウンドに上がる。

松坂はレフト。
右腕にテーピングを巻いた痛々しい姿だった。

相手は明徳義塾高校。
寺本四郎(元ロッテ)、高橋一正(元ヤクルト)を中心とした強豪。
春の選抜大会ではPL学園相手に接戦を演じながらサヨナラ負けを喫していた。


さすがに明徳義塾相手に2年生投手では歯が立たない。
8回で14安打を浴びせられ、0-6とリードされたまま8回裏へ突入する。

誰もが横浜高校の勝利を諦めた。
このまま明徳義塾の勝利に終わると思った。


しかし8回裏に横浜は反撃開始。
そして松坂はウォーミングアップを始める。

その姿を見た観衆は一斉に盛り上がりを見せる。
横浜反撃の狼煙が上がった瞬間だった。


4点を奪い2点差となり、投手に代打。
松坂はテーピングを剥がす。

さらに甲子園は湧き上がる。

「マツザカ」コールの中、松坂は9回表のマウンドへ。
観客の期待に応え3人で抑えて流れを引き寄せる。

8回表の段階では誰もが横浜の勝利を諦めていたが、
この時点では誰もが横浜の逆転を予感していた。


9回裏。
横浜は無死満塁のチャンスを作ると後藤がタイムリーヒット。
ついに6-6の同点に追いつく。

なおも攻め続け2死満塁。





柴武志の打球はセカンドの頭を越えてサヨナラヒット。

明徳義塾は選抜大会に続いて逆転サヨナラ負け。
選手たちは皆その場にうずくまって立ち上がれなかった。


延長17回の死闘の後は0-6からの逆転勝利。
横浜の戦いは神懸かっていた。

決勝の相手は京都成章高校。

さすがにこれ以上ドラマは作り続けられないだろう。
誰もがそう考えた。

しかし…





再度先発のマウンドへ上がった松坂はノーヒットノーランを達成。
決勝戦史上2人目の快挙でドラマを締め括った。

あまりにも劇的な大会に高校野球ファンは酔いしれ、
松坂大輔の名前は野球に興味がない人の脳裏にも刻み込まれた。

2004年、プロ野球界は大きく揺れていた。

突如湧き上がった近鉄とオリックスの合併構想。
あまりに唐突で馬鹿げた話だったがそれは既成事実となっており、
一気に1リーグ10球団という球界再編へと進んでいった。

ファンと選手会は猛反発。
結果、9月18日と19日に初めてストライキが行われる。

翌9月20日にシーズンは再開。
しかし再編問題は解決されておらず、
誰もが不安を抱えながらの再開だった。


2004年は新庄剛志が日本球界復帰した年でもあった。

FAを獲得して2001年からメジャーに挑戦。
正直多くの人は期待していなかったが、メッツの4番に座るなどの活躍を見せ、
その明るいキャラクターでアメリカでも人気者になっていた。

当初の予定通り2003年限りで日本球界への復帰を決め、
2004年から北海道に移転する日本ハムへ移籍。

入団会見では「札幌ドームを満員にする」「チームを日本一にする」を掲げ、
シーズン中もパフォーマンスを繰り返し、好成績を残し試合でも活躍。

オールスターではホームスチールを決めるなど、2004年はまさに新庄の年だった。


そして9月20日。
スト明けの札幌ドームには多くのファンが詰めかけていた。
今回のストは選手に非があるわけではなく、ファンには選手を応援する気持ちが強かった。

試合前のノックで新庄はゴレンジャーの被り物で観客を沸かせる。
暗くなりがちなファンにいつも通りの明るさで光を差す。


試合は序盤から乱打戦になる。
9-12とダイエーにリードを許したまま9回裏へ。

先頭打者が四球で出ると3連打。
12-12の同点に追いつく。

なおも押し続け2死満塁。
ここで新庄に打席が回ってくる。





初球を叩くと打球は左中間スタンドへ。
サヨナラ満塁本塁打。
のはずだった。

しかし興奮した一塁ランナーの田中幸雄が新庄に抱きつき、
新庄は前ランナーを追い越したことによりアウトとなる。

ただしその前に三塁ランナーがホームを踏んでいたためサヨナラは成立。
フェンスオーバーのサヨナラ単打という珍記録となった。


そしてヒーローインタビューへ。

「今日のヒーローは僕じゃありません」
「みんなです!」
最初のひと言で観客を大きく沸かせる。

チャンスで打席に立った感想を聞かれると、
「ヒーローになりたい、それだけです!」

4万2000人と今季最多の観客数を聞かされるとガッツポーズ。
そして「明日もお願いします!」


多くのファンが離れかねない大きな問題が起こったプロ野球界。
その中で新庄は明るく前向きに引っ張り、暗い流れを一気に引っ繰り返した。

間違いなく新庄はスーパーヒーローだった。

1998年長野五輪。

東京五輪や札幌五輪を知らない世代が迎えた初めてのオリンピック。
比較的地味な冬季とはいえ、日本中が注目をしていた。

特に注目を浴びたのは、やはりメダルを期待できる競技。
スピードスケートとスキージャンプだった。


スキージャンプ団体は前年の世界選手権で銀メダル。
そして4年前の前回大会でも銀メダル。

地元開催での金メダルへ期待が高まる。
それは当然のことと言えた。


迎えたスキージャンプ競技。

個人では船木がノーマルヒルで銀メダル、ラージヒルで金メダル。
原田がラージヒルで銅メダルと結果を残す。
期待通りの結果に、団体への期待はさらに高まる。


そして団体へ。

1本目、岡部孝信と斉藤浩哉が大ジャンプを見せ1位。
期待はますます高まっていく。

3人目のジャンプを迎えた時、天候が急激に悪化。
画面でも選手を捉えづらいほどの大雪となる。

吹雪の中で日本の期待を乗せた原田雅彦がジャンプ。
しかしそれは考えられないような大失敗に終わる。

グループ最下位のジャンプとなり、日本は一気に4位に後退。
ここで多くの人は4年前を思い出した。


1994年リレハンメル五輪。

3人目まで終えて日本が大幅にリード。
4人目の原田が普通に飛べば金メダルのはずだった。

しかし原田は飛んだ瞬間にわかる失敗ジャンプ。
まさかの逆転で銀メダルに終わっていた。


前大会の銀メダルは屈辱の銀メダル。
今回は原田の汚名返上にも期待がかかっていた。

その中での1本目の失敗ジャンプ。
観客は「またか」と思い、原田の勝負弱さに悲嘆した。


ただまだ4位。
当然日本チームは諦めてはいない。

2本目、岡部がバッケンレコードとなる大ジャンプで1位に返り咲き。
斉藤も堅実につないで再び1位のまま原田に回す。


原田がスタート台に座る。
場内の歓声が高まる。

もちろん期待も大きい。
ただこの時ばかりは嫌な予感がした人の方が多かったのではないだろうか。

そして…





原田のジャンプは大ジャンプとなり、1位のまま船木へと繋いだ。

嗚咽しながら船木の応援を繰り返す原田。
スタート台に座る最終ジャンパーの船木。

全てが船木の結果にかかっている。
4年前は同じようなケースで原田が失速した。

しかも今回は地元開催。
注目度も歓声も比ではない。

スタート台の船木は冷静に見える。
そして腰を浮かせて滑り出す…





船木のジャンプもまた、飛んだ瞬間にわかるものだった。

この大会何度も見た、船木だけができる美しいフォーム。
見事に着地を決めた時、誰もが金メダルを確信した。

期待が最高潮まで膨らみ結果を待つ。
そして表示される1位の文字。

原田は4年前の雪辱を果たし、日本中のヒーローとなった。