おはようございます。

日記を更新していく頻度を徐々に上げて生きたいと考えておりますが

なかなか体がパソコンに向かわないために、時々の更新になってしまいますが

ご了承ください。


本日は、親の離婚についてお話ししたいと思います。


私は思春期真っ只中、小学6年の時、両親が離婚しました。

父親はとても良い人格な人でした、仕事ばかりでなく、子供との遊びにも純粋に手を伸ばしてくれていました。

私の家族は毎年2,3回は、キャンプと旅行にいっており旗から見れば、かなり良い暖かい家庭にみえましたでしょう。


低学年の頃は気づきませんでした、お風呂を一緒に入って、ご飯が出来たら、呼ばれ、みんなで囲んで食べて、その後映画をみんなで見たりして、楽しい生活をすごしていました。


私はまったく不自由なく、育ちました。

が、今考えてると、母はストレスをかなり抱え込んでいたのかもしれません。

母は私に虐待を時々するようになり、そのたび父が助けてくれたので、私にとって父は尊敬に値する人でした。



小学校高学年になり、両親の様子をうかがえるようになったときでした。

見てみぬふりばかり繰り返していましたが、父と母の仲が悪く、ただでさえ、会話をしないのに

ほんの一言交わすだけで、喧嘩をしていました。


私は喧嘩をみつけてしまうと、その場から逃げるように自分の部屋に行き、パソコンをするようになりました。

パソコンなら誰も怒鳴らないし、自分の好きなことができるから、パソコンばかりしていました。

ですが、それに父はパソコンのしすぎはと怒るようになり、私からパソコンをちょっとづつうばっていきました。


父から離婚を告げられたとき、私は泣き崩れていたと思います。あまり覚えていないんですけどね笑

兄はとなりで絵を描きながら、静かに泣いていました。いまでも鮮明に覚えています。


母は父とは話そうとせず、友達を呼び、仲介をさせ、会話をしていました。


中学に入学すると同時に、母が育てるということで、別の家に引っ越すことになりました。

今でもよく覚えています。入学式で私は、とても荒れていました。

中学一年生、普通ならば何も知らないはずの純粋な年齢なのに、私はひどく荒れていました

荒れていたとはいえ、わかりやすい荒れ方ではなく、複雑な気持ちが常にあるような気分で

どうしようもなかった感情がわいていたと思います。


授業はまじめに受け、生活していましたが、家に帰ると、母はパートで仕事、兄は高校をさぼり部屋で

タバコすったり、寝たり、たまに顔を合わせると殴られ、首を絞められた日を思い出します。

母もはじめてのパートの仕事のストレスにより、私へのあたりが厳しくなりました

私は小学生のときから高校生のときまで空手をやっておりましたので、力はありました。

母親は私に力では勝てないので、刃物を投げてくるなどといった行為、言葉の暴力をするようになり

私と母との間の喧嘩は毎日続いておりました。


家にいても、母との喧嘩、兄からの暴力

私は家に帰ることをできるだけ避けようと、夜遊びをしはじめたり

学校が終わっても帰らず、部活の友達をまったり、彼女をまったり、何キロも先の家に送り届けたり

家に帰らないような生活をしていました。

もちろん、夜遊びする友達は俗に言う不良というグループで

世間からの目線はあまりいいものではありませんでしたが、彼らは人間としては、まじめ君たちより

よほどいい人たちばかりだったと思います。

しかし、年齢が年齢でしたので、やらかした事柄は悪いものばかりでした。


私は出欠だけとり、授業にでなくなりました。

おかげさまで中学三年間の勉強はまったくです。

高校受験が近づいて、三社面談のとき、どの高校も無理だと担任から言われて

無理だけども、できるだけ頑張ってみるか?とも言われました

その時始めて、母が私の目の前でなきました。

私はこれではだめだと、思い

塾に通い、毎日勉強をするようになり、世の中から見ればとても底辺な高校だけども

そこに入学することができました。

母親は、高校さえ卒業すればいいからと、ただそれだけの言葉をいっておりました。


高校に入学。私が行った高校は地元の高校ではありませんでした。

唯一地元の高校にいかなかった私

というかいけませんでした。

バスで片道2時間かけて、毎日高校に通う生活がはじまりました。

高校では、周りに女の子はいなく、男だけで、みんなゲーマー?でしたので

ノリがあわなく、高校ではずっと寝ていました。

兄は上京し、母はパートでいないので、家で自由でした

中高生にして、ほぼ一人暮らしでした。

家に一人でいても面白くなかったので、

私はネットの世界にさらにのめりこみました。

最初はおたくだとかの印象がありましたが

どんどん深いとこにいくにつれ、楽しくなり、気がつけば深夜になっている

朝の5時にまた高校へ行き、寝て、帰り、パソコンをする

そんな毎日を繰り返し、3年間が終わりました。


これは私の高校生までの一部分の出来事にしかすぎません。

いじめ、犯罪、恋愛色んなことで、色々な体験をしました。

ですが、この先まっている、私がどん底に入る時、そしてその原因の一欠けらにすぎないのだと

いまはひしひしと感じております。


人は日々ストレスを感じます。

それはどんなにすばらしい人生を送っていてもそうです。

人間誰でもストレスを感じ、頑張り生きていくんです。

人は自分の不幸の重さを勝手に決めてしまいます

人は誰でも不幸をもっていると人はいいます。

確かに現実自分の不幸を過剰に表現したり、心配してほしいなどの気持ちから

大きくしてしまいがちです。

ですが、そういう人たちに限って、真実を語ろうとしません、といいますか、正確には語れません。

言葉にするとそこまで重く感じられないからです。

人が不幸の重さを勝手に決める目安は、自分が落ち込んだり、泣いたり、傷ついたりした分が

重さだと思っております。


私は自分が不幸だとは一切思いません。

運命なんだと、割り切っております。

そういう運命だったんだと、前の記事でも書きました。

人は生まれながらにして、運で決められる人生なのだと

私はただ運がなかっただけなんです。


虐待する親、簡単に育児放棄する親、学校があわなかった、仕事につけない

全部運が悪いだけです。


それでまた運がいいこともありました

恋人もたくさんつくれました。欲しい洋服がちょっとではるけど、買えています。

家があります。食べ物が食べれます。


また生きてる上で、運がよければなんて考えちゃうので

自殺はできません。


不幸だといつまでも引きずるような人がいたら

こういってあげてください、なら自殺すれば?と

なんで自殺しないのかと。しないのではなく、彼、彼女らはできないんです。


本当に不幸だと感じている人は、自殺するはずですからね。

それが一番楽ですからね。


落ち込んで自殺していない人は、不幸といっているだけで、そこまで不幸を感じておりません

運が悪いから、次運がよかったらもったいないと思い、その確定されない運というものに

しがみつくのです。


なのに人は、強引に努力が大事と持ってきます。

いつまでたっても人間はばかで、救いようがありませんね

むしろ哀れに思います。


努力をしろという人に出会ったら

その人は、努力をしたことがないのか、才能をもっているのか

どちらかです。

それはあなたの判断におまかせします


この二言をやさしくいってあげましょう

努力をしろという前に、あなたが努力したほうが良い。

努力しろといえるのは、あなたに才能があるからだ。


努力というものは、才能と、良い環境の上でしか現実に現れません。

この二つがない限り、努力は無駄なのです。