板橋区活動

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「何より、人の気持ちとカネをあてにするっていうのはさ、『自分なりの次の一手』を打ちつづけることをみずから手放してしまうってことなんだよ」 西原理恵子 『この世で一番大事な「カネ」の話』より

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昨日友達に会って話したこと。
「食べ物の趣味が合う、これだけでもう恋愛関係では明らかに相性が良い。あるお店に二人で行った時に、自分が頼もうと思っていたものを相手が先に頼む。自分が言いたかったことを相手が先に言う。それ以上のリズムの合致はない。そういう人は逃しちゃいけない
「“絶対次はアスパラベーコンでしょ!”っていう時にアスパラベーコンを選べない人とはやっぱり縁が通じ合わない」

人生の中には「特別な出会い」というものがあります。、“それ”との出会いはこれから先の人生の考え方を一瞬で変えてしまうような威力があるし、その“出会い”に報いるために自分の中に何かが強く芽生えてしまうような力があるものなのだと思います。


『レ・ミゼラブル』というミュージカルは今年に入ってから映画で初めて観て感激し、今回は友人のおかげで帝国劇場の舞台を観ることが出来ました。


正直、観劇という観点からの感想は今回書けません。役者がどうとか、ストーリーがどうとか。そういうことは大切じゃなくて、「何故この作品がここまで心に響くのか?」ということをずっと考えていたのです。


映画も今回の舞台も、母親も同席していったのですが、100何年も前のフランスの一つの舞台が何故ここまで「この作品に出会えて良かった」とその出会いに感謝出来るようになっているのか、ずっと考えていました。


それは多分、「報われない」ということを許してくれる作品なのだからだと思いました。


コゼットを残し、離ればなれになったまま死んでいったファンティーヌ。記録にも残らず、革命の戦闘で亡くなっていった学生達。恋敵のために奔走し、最後は愛するマリウスの胸の中で息をひきとったエポニーヌ。そしてジャン・バルジャン。


彼等の物語はコゼットとマリウス達に引き継がれる。彼等がその「物語」をどこまで自覚して覚えているか、それは作中でも語られません。もしかしたら彼等の子どもの世代になった時に「そういう人達がいた」ということはもはや忘れ去られていくものなのかも知れない。


この物語は、報われないことを許してくれる作品だと書きました。しかし、それだけではここまで心に響く作品にはならなかったのではないでしょうか。


「何かを突きつける作品」は世にたくさんあります。でも、『レ・ミゼラブル』はそれとは違った形で心に、訴えかけるのではなく、何かを残す。それは、人間が持つ強さを信じさせてくれるからじゃないか。


戦略的な振る舞いをし、短期間のうちで結果を出す人間が“強い”のか?何かがすべて報われることが幸せなのか?


そうじゃない“人の強さ”を示してくれた。

今日お客さんと「自分の才覚って、自分の半径30cm以内にある」という話をしていました。


この話をすると、“どうしても変わらない自分の性質”ってどの人にでもあると思うのです。それを無理矢理直すのではなくて、それをそのまま磨いていっちゃう方が手っ取り早いし、伸びる。


自分という人間の中、心の中って言っても良いのだけど、「何でそうなの?」って聴かれてもうまく説明出来ない部分って必ずあります。たとえば自分なんかのケースだと「何で今の仕事してんの?」って言われても上手く説明出来ない。


実は、人の本質って「上手く、ペラペラと他人に説明出来る部分」よりも「上手く説明出来ない」というところの方にある場合が多い。 それって自分の変わらない“業”の部分であり、持って生まれてきたものであり、それを良い形で磨いて行っちゃった方が良い。


自分で思う「こういうところが自分が醜い」とか「こういうところが本当にダメだ」って思う場所の方に、何か綺麗な花が咲く気がする。だからそれまで丹念に水をやって、育てることを自分で意思すること。「そういうところ直した方がいいよ」と余計なことを言ってきやがる他人にきちんと中指を立てて「うるせーよバカ」って言いながら守ること。


そういうのを置いて、半径30cm以上のところにある「見栄えの良い性質」なんて、いざ自分がそれを手に入れてもしょせんは使いこなせやしないのだ。英語が得意な人がいたら、その人に任しちゃった方がいい。そこでお金を支払えばその人も幸せだし、自分も幸せ。一人で全部はしない。餅は餅屋。


学生運動はその当時とても大きなムーブメントだったし、やはりその影響はあると思います。それは僕に「言葉への信頼の喪失」みたいなものをもたらしたかもしれません。どんなに威勢のよい言葉も、美しい熱情溢れる言葉も、自分の身のうちからしっかり絞り出したものでないかぎり、そんなものはただの言葉に過ぎない。時代と共に過ぎ去って消えていくものです。この経験から僕は「耳に心地よい言葉」はあまり信用しなくなりました。小説を書くにあたっても、人の言葉を借りることはせず、新しい「自前の」語彙を絞り出すように努めてきました。



村上春樹 『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』 文藝春秋、p.29


僕は六〇年代後半から七〇年代にかけての、いわゆる政治運動の時期に若かったわけで、その頃は理想主義みたいなものがしっかりあったわけですね。それが壊されてあっけなく消えてしまった。


でも六〇年代末から三十年たって、時代はある意味一回りしたと思うんです。一巡して、理想主義的なものの再来と言うと図式的に受け取られてしまいそうだけど、もう一度ポジティブなものを築き上げていく時期が来ているような気がする。バブルが崩壊したあとは、ネガティブなものが主流をとっていた。「こいつはバカだ」とか「こいつはダメだ」とか「これはくだらない」とか、今のメディアを見ていると、何か悪口ばかりじゃないですか。でも、そういうものというのは、人びとの心を淋しく虚しくしていくだけだろうという感じがしてならない。ネガティブなことを言ったり書いたりしているのは、簡単だし一見頭がよさそうに見える。実際、今のマスメディアでもてはやされているのは、それに適した頭のよさだったりする傾向があるけれど、僕はやっぱり、そろそろ新しい価値観を作るべき時期だと思うんです。それも、エラそうなものじゃなく、ありきたりのもので作っていく時期が。お総菜のすすめじゃないけれど、冷蔵庫をのぞいてそこにあった材料で、何かおいしいものを作ってしまう。バブルの時期というのは、高級スーパーでプロバンスのなんとかを買ってきてドンペリ開けてとか、そういう感じがあったけれど、そうじゃなくて、とにかく冷蔵庫にあるものでなんとかする。これからはそういう時代だと思うし、僕もそういうことをやっていきたいという気がしているんです。僕としては小さいものごとを集めることで、大きな物語を作っていきたいと思っています。正面からボンと大きなことを言うんじゃなくて。



村上春樹 『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』 文藝春秋、p.p69-70

乙武さんが銀座の料理屋さんで入店を拒否されたというお話を読んで思うことがありました。乙武さんという人の人柄とか頭の良さって本当に尊敬しているのですが、今回の件は無しじゃねェかと。もちろん、それに対してご本人が「軽率だった」と公式に謝罪しているからもう全然大丈夫なんでしょうが。


実は、“乙武入店拒否騒動”を言いたいわけではなくて、今回の件って単純に「入店拒否」や「店主の言葉掛け」の話にとどまらないと思ったのです。


飲食をやっている方や料理人の方の知り合いが何人かいるのですが、あの仕事は本当に命がけなのだと思います。僕は専門外だからもちろん全然わからないのだけど、お客様の「おいしい」を引き出すのにどれだけの手間がかかっているのか。


「おいしい」って味が良ければ良いって話じゃないから。お店の雰囲気であったり、スタッフの心配りであったり、そして料理の下準備というものが、全て一発勝負なわけじゃないですか。さらにそれを運営する側は経営ということも気にしなければいけない。


「そんなこと当たり前じゃねェか」


という風潮になってしまっているのですが、この何か、いきなり大口を叩くようなのですが「良いサービスがあって当たり前」という現代の風潮にちょっと違和感を抱いてしまうのです。


自分の勝手な考え方なのですが、僕は自分が生きている時間の中で「コスパ」という言葉は使わないと決めています。


「コスパ」という言葉の使用が認められるのは、たとえば飲食の経験者なり、その道に従事している方があるお店に行った時に同業者の視点として「あー、ちょっとコスパがなー」というのはありだと思います。


でも、基本的に外部の人は「それが産み出されるまでにどれだけの手間がかかっているか」ということはわからない。


それに「コスパ」という便利な言葉、もっと言うと“一発で事の良し悪しをぶった斬られる言葉”って、すごく危険なのです。


その言葉だけが先行してしまうと、これは飲食に留まらずに“全ての、何かサービスを提供する側”を抹殺する言葉になる。その裏で、その商品なり、製品なり、サービスが生み出される過程で生み出されてきた“手間”とか“歴史”がぶった斬られ、葬られ、抹殺される。結局そういうことをしていると全体の首を締めることになってしまう。


良いところを発見する、そして良いモノを作っていくよりも何かを否定してぶった斬る方がよっぽど簡単だし、頭が良いように見える。


よくわかんねー言いがかりをつけられ「もっと良いものを作れ!」と相手の手間も考えずに叱咤激励されるのと、敬意を払われて期待をされるのとでは、どっちが良いものが作られるのか?言わずもがなだと思います。


“今の時代は刺激的なものが現れにくくなった”と感じる空気の裏には「良い物が簡単に作られる」とか「自分は事の良し悪しを簡単に判断出来る」とか、そういう誤解がもう収められないぐらいに広がっちゃっているからじゃないか。

昨日映画『レ・ミゼラブル』を観ました。「感動」とか「すごい」とか、そういう言葉を超えて、身体ごと、魂ごと揺さぶられました。まだ自分の中に何が起きたかわからないぐらいすごかったです。


心から出会えて良かったもの。


とにかく揺さぶられました。



今の時代って「これやっとけば正解」っていうものがない。それでいて「失敗出来ない」っていう異様な緊張感もある。

だから人が人と繋がることを怖れている。本能的に「明日がどうなるかわからない」という緊張感の中で余裕がないからだ。

人と繋がることは怖いけど、セーフティネットのように「いざという時に備えて」人脈は拡げようとする。


結論から言うと俺は嫌だね。自分も「正解」もわからないし、自分に自信があるわけじゃない。だからこそ裸一貫で人を信じる。

自分で積み上げてきた頭脳なんてもんはたいしたもんじゃない。頭なんて正解がわからなくなればすげえ動揺する。

人を信じるってすごいタフさを要求されるけど、人の良いところを発見して、そして信じていこうとやっていけば、そういうタフなことをしている自分を信じられるようになる。

「あなたを信じたい」ではなくてテメエが勝手にその人達を信じる。「あなたに出会えて良かった」っていうものがなければ、頑張れない。
20歳の女の子が来店。この子は早いうちに両親が離婚してお母さんとお父さんの連絡係も引き受けてきた子。今はもう自立してある会社で修行をする日々を送っている。

「自分はこの子に何を伝えてあげることが出来るんだろうか?」と自問しながら一人の戦士として接する。



人と人とが一緒にいる意味は、「その人とどれだけ長い時間を過ごしたか」で見出すものではありません。長い間目の前にいる人の期待に応え続けられる完璧な人はいないし、傷つけ合うこともある。そして、別れることもある。

何で人は、人に会いたいと思う?それはね、自分の大切にしているものを相手に贈りたいからだよ。あなたと一緒にいることでしか生まれなかったものがあるからこそ、「ありがとう」と伝えたいからだよ。

そしてその「贈り物」を受け取った人は、その「贈り物」を引き継ぎ、受け継いでいく必要があるのです。


「あなたに会って、私はこうなることが出来た。こんなに素晴らしいものを見せてもらった。受け取ったものを大切に、お返しは私の生き様を持って示していきます」

というのが愛の言葉なのです。

繰り返すよ。時間の長さじゃない。何を受け取ったかだよ。

消化出来ないものは消化しなくて良い。「わからない」ということを大切にして。そして、自分が受け取った“借り”は人生を通じて返していく。今日、僕はあなたに今日会えて良かった!ありがとう!

前述の心理テストの答え合わせ


※ やっていない人は前の見てから確認して下さいね。後、私の意見ではないから怒らないで下さいね。



1.小さな嘘を悪いと感じる?(罪悪感を感じるかどうか)


悪いと感じる→不適合者 悪いと感じない→適合者


「結婚」というのは「異性の配偶者に、“数ある女性の中から自分を選んでもらう”という行為」であるから、小さな嘘をつくことにためらいがある人は同性間同士の競争から抜きんでられないという理由だそう。もっと言うと女性の“化粧”や“寄せてあげて”も嘘(さんま談)。


2.出演したTVを彼と一緒に見られる? (一般人の場合は自分が仕事をしている姿を見られるのは嫌か?)


見られる→不適合 見たくない→適合


これは「恥じらいを感じられるかどうか」をテストする質問みたい。男性、女性関わらず「恥じらい」と「シャイネス」は異性にとって重要なセックスアピールになるらしく、「かわいい」「守ってあげたくなる」という本能を刺激する。「あ、別に見てもいいよ?」という人は自然体過ぎて「この人は一人でも生きていける」と相手に降りられてしまうらしい


3.正面から写真を撮られるのは嫌?


正面から撮られるのは嫌→適合 正面から撮られるは別に構わない→不適合


これも2の「恥じらいを感じられるかどうか」と同様のテスト。「正面から写真を撮られても別に構わねーよ」という人は自分の女性として演出する工夫を考えず“素”を大切にするから男性の「長期に渡ってこの人を守ってあげたい」という本能が刺激されないそう


4.彼と会話中に見栄を張られたら追求する?(俺芸能人と知り合いなんだよね等)


追求する(会話についていく)→不適合 追求しない(聞き流す)→適合


このテストも面白かったのですが「恋愛」という場合においては「会話をつなげてくれる」という「追求するパターン」が歓迎されるけど、「結婚」という「長期のチームプレイ」の場合は「聞き流す」という女性を男性は選ぶパターンがあるみたい。


男性は「仕事脳」以外の時は会話のスイッチは基本的に切っているから「自分の嘘や見栄」の話は基本的に「自分が気持ちよくなるためにただ言っているだけ」の話。だからそこをいちいち追求されるのではなくて「見逃して聞き流してくれる」という女性に恩を感じるのだそうです


5.携帯アドレスに男友達が20人以上いる?(メールしたり電話したり飲みに行ったり出来る人の数)


20人以上いる→不適合 20人以上いない→適合


目移りして「誰かに絞る」という緊張感がなくなるという理由らしい


6.日常生活の中でメモを取る?


メモを取る→適合 メモを取らない→不適合


男性はリーダーシップを潜在的に取りたいという本能があるから、そこで女性が自分の話をメモしている姿は「秘書」に見えて恩を感じるみたい(ここまで書いてきて男性ってバカなんですよ、本当)。「すぐに自分の話にもっていこう」と出たがりちゃんは「長期生活を組んでいけるかどうか」という人は遠慮されるらしい

7.プライべートで出かける際に荷物は多くなる方?


荷物が多くなる→不適合 荷物は少ない→適合


これは何か「荷物が多い人」は「この人は自衛が出来ているから一人で生きていけるだろう」と勘違いさせてしまうみたい。後、財布にレシートとかいっぱい入っている人はだらしなく見えてしまうみたい