私達が小学校高学年になってくると、住んでる場所がだんだん狭くなり、引越しの話が浮上した。多分場所が狭くなったと言うより、私達の生活があまりに密だった為、男女問題を心配したんだと思う。
それで、私が小学校4年生の冬に私達は集団で引っ越す事になった。全員が同じ場所に引っ越さなければいけないので新築のマンションに決まり、1階を保育所として使える事になった。
産まれて初めてのまともな家に私達ははしゃいだ。今までは家に電話も無かったため、用もないのに「〇〇ちゃんの家ですか」と電話してみたり、インターフォンをやたらと押しに行ったりと、とにかく嬉しかった。
そして、集団で新しい学校に転校したのだが、集団転校生として注目が集まった。何人かの友達が家に遊びに来た際、文鮮明夫妻の写真が話題になり、その噂はあっという間に学校に広まった。私達は朝鮮人だと噂され、統一教会だとすぐにバレた。そこからマンションの名前をとって〇〇セレントと呼ばれ、いじめが始まった。
中でも一番激しく私達を迫害したのは、小倉先生という教師である。そう、私はあえて実名を使わせてもらう。この先生は全生徒がいる教室で、家庭訪問の時は「〇〇セレントなんて5分で終わらせてやる」と息巻いたり、私達のうち一人が給食でおかわりをすると「〇〇セレントはいやしい」と大声で言ったりした。先生がこういった言動をする為、生徒達も掃除道具の後片付け等「そんなもん〇〇セレントにやらせとけばいいわ」と平気で言うようになった。
私は運悪く4年生の3学期に小倉先生が担任になったが、通知表で5だった科目は全部4に下げられた。後にも先にも通知表に5が1つも無かったのはこの時だけである。
小倉先生が見えるとイチャモンつけられるのが怖くていつもどこかに隠れていた。
私達の中にアスペルガーの女の子がいた。きよ〇ちゃんは確かに変わっていたが、不良男子の標的になり、目を殴られて目から血が出た事もあった。
とにかく小学校時代に受けた迫害は心に深く残る傷である。