今年に入って姉の家族の猫がなくなった


まだ私が地に足がついてない頃から居た子


その頃姉とも今ほど仲がいいわけでは無いけれど、猫みたさに遊びに行っていた



初めて会ったその子はまだ子供で、可愛くて可愛くて仕方がなかった。まぁ今も可愛いのだけれど



私にとって家族同様の猫だ。



彼はそんなに私の事が好きではなかったかもしれない。
ただ遊びに行くと撫でさせてくれたし、膝の上に来てくれた。


彼が病気だと聞いた時

実感が無かった。




正確には

その言葉を信じていなかったのだろう



それから暫くして彼は亡くなった。



彼が亡くなった日、会いに行った。



なんだろう
まだ温かくて 寝ているだけだと思わせるような
息してるんじゃないか

私の目にそう映った。



しかし現実は残酷にも

『亡くなった』と言わんばかりに彼は動かなかったし体もだんだん硬直していった。


翌日葬儀をした。



あれ、どうしてだろう


涙が止まらなかった。



だって未だ亡くなっただなんて実感ないのに。




体は正直なものだ


きっと頭では理解していなかったのだろうけど
体では少なからず理解していたのであろう。



そして、葬儀をした。



彼の名前がお経から発せられた時
言葉では言い表せないほどの感情が溢れ出した。



また涙が出た。



そして、お花で身を包む時
そっと一言
彼へ言葉を伝えた。


それは私と彼の言葉であり
ここに記すのはやめておこう。


あっけなく葬儀は終わり

終わって

終わってしまった。




ふと考える事がある

我が家にも、うさぎがいる






この子たちが空へ還るとき



どうなってしまうのだろう。






姉もアメブロを書いている



その中の一つ忘れられない言葉ある



『手放すのも愛』




私はそれが出来るのだろうか



姉はなんて愛情深いのだろう


愛があるから、愛しているから

がんばったね、もう十分だよありがとう



そう伝えたかったのだと解釈している



ただ私は同じ事に直面したら




そう言えるのだろうか




ふと、そんなことを考えてしまう。




思考とは



愛であり、価値観なのであろう。