§ MUTUAL BOND §  ~犬のココロのミカタ~ -5ページ目

☆選択☆

☆すごいね・・・☆

まだまだいるんですね・・・


支配性や権勢症候群だとかリーダーだとか、ボスだとか、主従関係だとか、言ってトレーナーしてる人。


誰とか、どこ、とは言いませんが・・・



最近見たブログでは

”叱り方” なんてのを紹介してた。


叱ることがほとんど無い飼い主さんの犬は 噛む ことが多いそうだw


それ・・・違うと思うよ。



叱らない飼い主が原因ではなくて、良い行動をきちんと強化するような随伴性でもなく、

場合によっては悪い行動を強化するような随伴性になってる事が多いような接し方をしてるだけだと思う。


あとは、消去 がうまくいってないとか、レスポンデント条件づけがおかしな事になってて、せっかくの強化子が良い行動を強化するように機能していないとか。


きちんと 行動の 後 に報酬呈示しないと行動は強まらないのに、なぜか?

行動の 前 に与えてしまう飼い主さん。


そういった事を知らないうちにしてる飼い主さんの犬の多くがそんな接し方してるもんだから、噛む子にもなりやすいだろうし、そういう飼い主さんは、たまたま叱らない人が多いだけ。


ようは、Yという従属変数の原因が独立変数Xである!と決めつけてしまってて、

Xが動く、だから、Yが動いたんだ!と。


でも実はZという剰余変数の存在があって、それを見落としてて、

Zが動くことでXが動いていた。

そのXが動いたことでYが動いていた。ということに気がついてない良い例ですね。








あと、すげーーな、と思ったのは


『お手』 を教える時は落とし穴があるとか書いてたw


これって結構、支配性でやられてるトレーナーは言う人いますよね。


なんなんだ・・・


犬は遊びなどで誘う時、前足を使うから、何かを要求する時に使う。

だから、お手を教えるとワガママになる可能性があるそうだw

(もう、トートロジー)


お手を自発的にするのはマズイそうだw


遊んでほしいとお手して、遊んでくれない、またお手して、遊んでくれない、

段々、噛むとか吠えるとかになるんだってw


いやいや・・・違いますから。


お手を教える時は必ず

オテという声(音)を発声し、お手の行動を示したら、オヤツ等の強化子。


という手順を繰り返すことでお手の動作を学習するだけ。


強化子は別にオヤツじゃなくてもいいわけですけど、この人の言ってる自発的って意味間違ってる。


自発的ってのは、正の強化によって強化された行動のこと。

だから、強化子という動機、目的の ”ために” 自発的に行う行動。


で、お手という声・・・というのは刺激性制御。


スイッチのようなもの。


つまり、弁別刺激なので、お手と言われて、お手すれば、オヤツ、という流れで学習させると


お手と ”言われない” としなくなるんですよ。


第一、もし勝手にお手なんてして要求でもしてくるなら、それは消せばいいだけなんですが、これは無視と書かれてましたからハズレではないですね。


強化はいつでも消去とセットなわけですし。


それでも要求のようなお手をしてくるのであれば、ただの強化不足です。


正しいお手を教えればいいだけ。


お手を教えたから問題行動が悪化するなんてことはない。







あと、甘咬みについても。


原因を


退屈

体力が余ってる

噛みたい欲求がある

遊び方を知らない


という原因を挙げてましたが・・・

違いますw


それは ”原因” ではないです。

キッカケです。

原因は 甘咬みした 後にどうなったか?です。


スッキリしたのかもしれないし、満足したのかもしれない。


で、この方は治すには 犬同士で遊ばせる機会を作ること』 と書かれてましたが


それって、出来ない環境の人、多くない?


というより、状況、弁別刺激が違いすぎるよ。



甘咬み ってだって、『人』 にですよね?


だから、対 『人』 じゃないとね。犬じゃない。


それじゃあ、子供が グランド走ってりゃ、廊下を走らなくなるのか?って話です。


走った【直後】は疲れて、確立操作によって廊下も走らないでしょうけど、それってただの順序効果とか時間効果だし、変数統制できてないわけだから、根本的に廊下を走らなくなった・・・ってわけじゃない。



ようは、”同じ状況下で”  別の行動を強化すりゃいいわけだ。


『人』 の 手、腕、服、を咬む。要求で。


要求で、というのは強化原因がおそらく、【スッキリとか満足】 とかだからです。


だとすれば、それじゃないモノを咬むように教えればいい。


弁別刺激は類似させるために

『人』 と出来ることが前提。


で、スッキリ・満足 という強化子が発生し、尚且つ咬まれても困らないモノ。


答えは、引っ張りっこ ですね。


ただし、引っ張りっこ にも教え方がある。


行動原理に従った教え方です。


すごく平たく言えば、引っ張りっこがうまくいけば、確実に甘咬みは無くなります。


ちなみに 甘咬み と 本気咬み は意味が異なります。


意味・・・というのは犬の感情が、です。


前者は要求なので好感情。

後者は逃れたいので嫌感情。


全く意味が違うから、原因も違う。




あとは、ピンポン(チャイム)の吠え。


これも ダメ!の合図を教えるって書いてた。

それ・・・ダメ だろw




てゆーか、こんな内容でお金取ってるんだね・・・



この方の在籍してる店?の料金が

自宅出張で4回セットで36000円!?

1回1時間程度だそうだ・・・


1回9000円か・・・東京とかだとこんなもんなのかな・・・


悲しくなるよ。


私なんて自宅出張2時間で2500円だぜw

交通費込w


ウチは極端に安いですが、”この内容” でこの料金は無いだろ・・・


私はまだまだ自分自身が ”勉強不足” と実感しているので、今はまだ

ワンコに学ばせてもらってるという立場で考え、この料金でしています(ノ´∀`*)

ただ、店が新しくなったらさすがに上げますけどねw













☆なぜ飼ってるの?☆

なぜ ”誤解” は生まれるのか?


ここでは特に 犬に対しての誤解、

その誤解は一体、どんな危険を潜ませているのか?

ちょっと考えていきます。


因果 の考え方から 犬の見方 について。


物凄く ”基本的な事” であるがゆえに

この基本を誤解してしまうと、もうどうにもならないのかもしれません。


『救われるはずの犬も救われない』


といってもいいかもしれません。




今まで、ちょいちょい犬に言語を理解することは出来ないですよと説明してきましたが、


言語(発話)って行き着く先は ”音” なんですが・・・


犬が言葉を ”理解” は出来ないということをきちんと ”理解” するためには


この【音】のことをちょっと知っておかないとマズイわけです。


具体的な話は長くなるのでおいといてw





ほとんどの飼い主さんってこの


”飼い主が発話する音” (言語)


に依存し過ぎ、勘違いしてるんじゃないかな?って思うんです。


たとえば、『お座り!』 って言って(発話)


犬が 座る行動示す  だから 犬は言語理解してるんだ、みたいな。




【問題行動】 って必ず  ”原因” があるわけですが、


犬が 【座るという行動】 にも 問題ではないにしても ”原因” があるからその行動をするんです。


でも、その原因を


お座り!って言う   ”だから”(原因)  座るんだ。  って思ってないですかね?


行動の ”前” に原因があると思っちゃってる。



学習というのは 『原因』 は 行動の ”後” です。


座る ことで 座った後に 何かしら自分にとって良いことがあったから

”そう覚えた” んです。


お座り!と発話して・・・というのは行動前の合図、手がかり、ヒント、のようなもので

弁別刺激です。


この ”音” が鳴ると

→ たしか、”座れば”

→ オヤツがもらえたはず


だから ”座ろう” と思って 座るんです。



行動のに 原因があると思って犬と接するのと

行動のに 原因があると理解して犬と接するのでは


まるで違いますからね。



だって、【自分(飼い主)の行動や発話(X)】 は


【犬(Y)】 から見れば、【報酬となったり、逆に罰となったり(Z)】 することもあるわけですが


時系列で見れば



(X)  →  (Y)  →  (Z)



Yという犬の行動の原因を(X)に求めてしまうと、たとえば、



叱った・もしくは強い口調で指示した(X) → 言うこと聞いた(Y)



という一般的な医学モデル的発想で

叱れば、ほら、言うこと聞いただろう?”勘違いしてしまう”可能性が極めて高くなる。


で、これは何を見落としているか?というと(X)はそりゃあ、自分がした明らかな行動だし、スタートですからね、この変数を見落とすわけがない。

でも、(Z) は完全に見落としてるんです。



叱った(X)  →  言うこと聞いた(Y)  →  叱られない(Z)



こういうこと。

つまり、これは負の強化なんですが、 犬は 叱られない ”ために”(原因)

言うことを聞いた  ということ。

叱った ”から”(原因) 言うことを聞いたのではないんですね。

飼い主は 叱ったから と思っていても

犬は 叱られないようにするために と思ってるってこと。


こういう剰余変数や交絡変数を見落とすと原因ではないものを原因としてしまうことになる。


なので、先ほどの ”座る” のは



お座りの発話(X1)

オヤツがない(X2)   →  座る行動(Y)  →  オヤツがある(Z)



こんな感じですね。




昔の話だと、たとえば家の玄関の軒先にツバメが巣を作るとお金持ちになれるという迷信。



ツバメが巣を作る(X)  →だから  お金持ちになる(Y)



今、考えたらあり得ないですが、昔はそう信じてる人も多かったんですね。

結果的には本当にお金持ちが多かったからです。


Y の原因は X だと。


でも、それは実は逆で

もともとお金持ちだった家は大きく、その大きな家の軒先に巣を作ることで

大きな家には ”人の出入りが多く” 外敵である蛇などから身を守ることができるという学習をツバメがしたたために巣を作った先がお金持ちだった・・・といこと。


(Z)大きな家  だから

(X)ツバメが巣を作る   →  (Y)お金持ちの人が多かった



ようは、大きな家でなければ ツバメは巣を作らない。

なので、まず大きな家であることが条件で、巣を作り、結果的にお金持ちの人が多かったというだけの話。




で、なんでこんな心理現象が ”起こりやすく” なるか?というと


”結果”である(Y) が


『自分にとって都合が良い情報 ”だけ” を得ようとするから』


です。

主観が強過ぎるんですよね。



”お金持ちになる”  (Y) 結果 なんての自身の都合だし、

”言うことを聞く”  (Y) 結果 なんてのもそうでしょう?


そういう結果が悪いというわけじゃなくて、”ソレしか” 見てないから

自分の都合が良い方、良い方へと思考が働く。

どんどん先入観を補強しちゃうんです。


で、本当の原因である(Z)を見落としてしまう。

するともっと客観視出来なくなっちゃう。


(Y) の原因が (X)だ!と決めつけちゃう、考えちゃうってのは

ただの主観だけに終わり、エゴってことですね。


叱られない (Z) なんてのも結局、自分自身(飼い主)の行動でしょう?

犬の目線から見てない、客観視出来ないからコレを見落とすんですよね。


家が大きい (Z) なんてのも同じ。

ツバメが大きい家と判断、学習してるってツバメの目線で見ない、客観視出来ないから見落としてる。


それの究極が


”癒やされたい”  とか飼い主自身の一方的で100%主観な想い。


これがもし、先行すると、どうしても気づかないうちに 犬を癒される道具 としてしまう。


”癒やされる”  というのは 【何かしらの行動の】 後から結果的に勝手についてくるものです。


それは 犬をまず先に ①”癒やしてあげたい” という想いがあってこそ。


『私は癒やされたいと思っていてもそんな道具のように思ってない!』

という飼い主さん。


では、アナタの


【犬を飼う行動】 の原因はなんでしょう?


癒やされたい(X) →だから  犬を飼う(Y) 


こんな風に癒やされることが先行してないですか?

上記でも説明したように(Z)を見落としてませんかね?

これだと、ただのエゴでしたよね?


飼う前は癒やされないんです。

飼ってから癒やされる。


癒やされない(X) → 犬を飼う行動(Y) →  癒やされる(Z)



じゃあ、この(Y)の 犬を飼う行動 ってのは

具体的にどういった行動なんでしょう?



飼い主は一体何をすれば? 犬に癒やされるのでしょう?



先ほどの 【① 癒やしてあげたい という想いから来る行動】 じゃないですかね?


では具体的に。



〓 A 〓


● リードショックする行動 が犬は癒されますか?

● 叱る行動 が犬は癒やされますか?

● 叩く行動 が犬は癒やされますか?


こういった飼い主の行動で犬は癒やされますか?


逆に


〓 B 〓


● 何でも怖がるから共に逃げる行動 が犬は癒やされますか?

● ブラッシングを嫌がるから止めてしまう行動 が犬は癒やされますか?

● 他の犬を嫌がるから去る行動 が犬は癒やされますか?

● クレートは嫌がるから入れない行動 が犬は癒やされますか?


 

こういった飼い主の行動では”犬は癒やされる”のではないですよね。

”共に”ストレスを克服して成長させてるのではなくて、”共に”ストレスから逃げてるだけであって、単純に

『ちょっとした事でもストレスを受けやすい子へと成長させてる』 わけで、それは癒やしてるわけではありません。




癒やされない(X) → 飼い主の○○行動(Y) → 癒やされる(Z)



癒やされることで○○行動(Y)が強化されてるのなら、『癒やされる』(Z) が強化子、つまり

行動している本人である飼い主にとって、報酬系として機能しないといけない。


もし、犬に対して その飼い主さんの○○行動(Y)というのが

〓A〓 や 〓B〓 を考慮すると具体的には 〓A〓 や 〓B〓以外の手段(行動)となるわけですから・・・


”犬に正の強化する行動(Y)” しかないという事になります。


その正の強化手続きが

物凄く大変・・・

キツイ・・・

辛い・・・

こんなに時間がかかるものとは・・・

と飼い主さんが思ってしまえば、それでは正の強化する行動含め、犬を飼う行動なども弱まってしまうでしょう。


正の強化 がどれほど大変なのか、その大変さを知った上で、そこまでして(徹底的に癒してあげたいと考え、行動した上で)も犬を飼育して癒やされたいと思うのならわかります。


そういう人は 苦労や大変さを 楽しみや喜びに変えられる人ですからね。




これら 飼い主自身の行動・・・

心当たりないですか?



犬の行動、治す・・・云々、の前に

自分の行動を見直す必要は本当にないのでしょうか?




というお話でした(ノ´∀`*)



☆それぞれ☆

なんかねぇ・・・

犬の行動を治すとか、犬の行動を変えるとか、犬を良くするとか、


『犬の行動』 ばかりに着目し過ぎてて、

『人の行動』 はそっちのけってなってる事が多いように思えます。


支配性なんて理論はまさにソレで・・・



三段論法じゃないですけど、新しい命題を導く時には

【小前提や大前提】といった【前提】があって【結論】に至るという

ある一般的理論(前提)から帰結(結論)する推論は所謂、演繹法。


①その前提理論が ”罰を容認する支配性理論” を前提として論じて、結論が

・・・しつけには場合によっては罰(正の弱化)は必要。となると倫理上の問題が生じるというのは言うまでもないです。


②その前提理論が ”罰を容認しないような理論” という前提で論じて、結論が

・・・しつけには正の強化を工夫することが大切だ。となれば、そもそも倫理上の問題は無くなる。


①の前提で論拠を求めようと話を進めていこうとするから、後から後から


いや、罰は○○だからいいんだ、とか

○○の場合は罰は仕方ないんだ、とか

終いには罰はこんな利点があるんだ、とか


どんどん正当化しちゃうんでしょ?


ツギハギ?みたいにw


演繹ってのはそもそも理論から個別の事象を探るので、その前提そのものが間違いなら答えや結論も間違いとなるのは当たり前。


そんなもん、理論 ではなくて  ただの 持論。


ただし、②の演繹思考だと今度は 帰納法も行わないといけなくなる。

これだけだと確証がないから。


本当に正の強化で問題行動が減るのか?とか

正の弱化ではリスクが多いのか?とか。

一つ一つの行動を検証していく必要がある。

”確証性の原理” に従って、観測の数を増やし、法則の確からしさを増やす必要がある。


新しい法則や原理を見つけるためには帰納法は必須。

ようは行動分析学ってのはまさに帰納法ですね。


科学ってのは帰納と演繹の往復なんですよね。

それをしないで、とある研究所は騒がれてますが・・・


まあ、そんな話はややこしくなるのでおいといてw






私が思うのは 『しつける方法』 なんて


人 ”それぞれ” なんて言い方する人がいますけど、



褒める方法(正の強化)   か   罰する方法(正の弱化)   かでの



”それぞれ”  ではなくて、



『褒めて良い行動が増える方法の中』 での


”それぞれ じゃないとマズイんじゃない?と言いたい。



こういう  正の強化 方法がこの子には合ってるとか

ああいう  正の強化 方法がこの子には合ってるとか

どういった正の強化方法が我が子に合っているのか?


を飼い主さんが犬と一緒に探し、繰り返し、良い行動を伸ばす。


お母さんから褒められまくって育ってる子がいて、最近どうもお母さんから褒められてもあまり良い行動が伸びてない(成績が伸び悩むとか)時、じゃあどうやったらその

『お母さんの褒め』 が子供の成績を上げる行動に対してうまく機能するようにするのか?

どうすればいいか?を工夫したり考えることの中で ”それそれ” の方法があるわけです。


飽和化が起きていてお母さんの褒めや報酬が飽きてるかもしれなし、

2次的3次的な条件付けによる報酬価値がその子にとってあまり価値のないものとなってるから、かもしれない。

”かもしれない” というのはこればっかりはベースラインを立ててきちんと検証、カウンセリングをしっかり 『繰り返しやってみなくちゃわかんない』 わけですから。



小学校低学年だと、出来た事に対して褒めてゲーム機やマンガ本も合わせて与えてれば成績も伸びてたかもしれないけど、高学年になれば、サッカーに興味が出てきてサッカーに関連する報酬とかじゃないと成績が伸びるような機能を果たさないかもしれないように・・・ ”それぞれ” です。


興味、趣味嗜好、好奇心や動機となるものは ”それぞれ” なんです。

当然、褒めて伸びる子もいれば、褒められることでウザイと感じる子だっています。


だから、その後者(ウザイと思う子)は 【褒め】 が機能していないということなので

じゃあ、どうやって【褒め】を機能させるか?を考えるのが行動分析です。


お腹が空いた状態の方が 食事・オヤツ といった1次性強化子がうまく機能する子が多いのは事実です。

でも、逆もいる。

あまりに食欲が強くてテンパるタイプはお腹が空き過ぎて冷静に考えて行動出来ないタイプ。

だったら逆に少しお腹を満たしてからトレーニングするという方法もある。


いろんな子がいる。


犬だって同じなんです。


”それぞれ”


でもそれは


正の強化 と 正の弱化 との比較や評価といった論点での それぞれ ではなくて

正の強化という手段や方法の中での それぞれ の話ということですね。


褒めることなのか? 罰することなのか?


と言ってる時点ですでに、それは正の強化ではないですからね。


罰してヨシとしてる人は 100歩譲って、

【犬に】 ”教えてる” のかもしれませんが


導いてるわけではないので、

【犬から】 ”教わってる” わけではありませんよね。



震災で痛感したんじゃないかな?

自然の怖さと同時に自然に対する有り難みと感謝。


私達人間って自然の植物だけでなく、動物の恩恵をどれだけ受けてるんでしょうね?


教わってるのはコチラなんです。


生かされてるのはコチラなんです。


犬を飼育するってそういう忘れかけてる大事なことを教わり、返すことじゃないのかなって思うんです。












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☆(´ε`;)ウーン…☆

コレ↓ すごく良いことを書いてるんだけど・・・


http://www.dogactually.net/blog/2014/03/post-504.html


いくつか、モヤモヤっとするとこがある。




一つは


”罰を与える、という訓練では、よって、タイミングが全てです(もちろん褒める訓練も同じだが、失敗しても犬にあまり影響を与えない)”


という文面はちょっと違う気がする。


まず、罰がタイミングさえ良ければいい というようにも聞こえる。

それは前文の ”嫌な体験なるものが予め予想できる、あるいは動物自身がコントロールできるものさえあれば、それほどストレスを感じないで済む、ということ” という文からもきてるのかもしれない。


【罰を使う人の行動】 といった記述概念を

【ストレス  とか  タイミング】 とかの説明概念(原因・理由)によって因果的説明をされると

説明がおかしくなる。


罰する行動   は   タイミングが良ければOK


罰する行動   は   自身で嫌悪刺激が予想出来ればストレスかからないのでOK


という感じで。


おかしくないかなあ・・・

これって 正当化 じゃないですかね。


たとえ、 犬側 のストレスが少なくても

たとえ、犬にとって タイミングが良くても


罰する行動 という 人側の 行動の立場 になって見れば良いものではないわけです。


主観で考えるから、正当化しちゃう。


このことは後で、また説明します。




それとは別に


”褒める訓練が失敗しても犬にあまり影響を与えない”

ここもちょっと違うような気がする。

褒める・・・いや、正しくは 正の強化 は別に行動が

【良い  or   悪い】 は関係ないわけだし、本人がやった行動に随伴して起きる結果が本人にとって良いことであれば行動が強まるのが正の強化なんだから、褒める訓練も失敗すりゃあ、とんでもないことになります。


たとえば、ケージやクレートに犬を入れました。

出して出してとガンガン吠えました。

飼い主さんが犬を出しました。


これで、ケージやクレートに入れるたびにどんどん吠えるようになった・・・のであれば

”出す” という飼い主の行為が犬にとっての報酬なわけだから、正の強化。


人間がそうした”つもり”なくても犬がそう(報酬だと)思えば、報酬だし、

その報酬獲得前にしてた行動によって報酬得られたぞ!と犬が認識すれば、それが正の強化学習。


飛びついてる(行動) のに 撫でたり(報酬)

引っ張ってる(行動) のに ついていったり(報酬)


と、犬が認識するかもしれない。

そうやって飼い主はやってるつもりなくても犬に報酬与えて、悪いとされる行動を知らずに強化してることなんて山ほどある。


なので ”あまり影響を与えない” ということはないです。

むしろ、正の強化だって失敗すれば結構、酷いことになります。





もう一つは


”人間というのは、効果が上がらなければどんどん刺激を強くしてゆく。こうなると、完全に動物虐待である”


これもちょっと違う。

効果が上がらないから刺激を強くする


そうじゃなくて、過去の経験上、【こうやったら、効果があったはずだ】 という学習によって

刺激を強くすれば、必ず効果が出るはずだと予測して、”刺激を強くする行動” が強化されてしまうのが人間。

なので、刺激を強くする のはその【行動の後の予測してる結果】の”効果ありと思ってる”ことが原因なので、この文だと・・・

効果が上がらない   から  刺激を強くする

って順になってるから、先行子が原因となってる。


あとは、どんな強化スケジュールを踏んできたのか?によっても違う。

効果が上がらないなら、消去されるから、人はそのうち暴力的な方法を諦める。


しかし、諦めずに刺激を強めていこうとする行動がみられるのは単純に学習によるもの。

過去、その犬だけでなく、他の犬でも同じような方法(正の弱化)で行動が抑制された、弱まった、という【人にとっての報酬】を得たことがあり、その経験も連続強化~間欠強化へと強化スケジュールを踏んで学習しちゃってると、自分自身の行動が強まってることに気がつかないなんてことになる。


たとえば、Aの子を叩いて効いた。という経験があり・・・

Bの子も同じようにして効いた。経験があり・・・

CもDもEも・・・

まあ、5匹くらいは叩いて虐げて、正の弱化で効果アリ!!とその人の経験でそう学習したとします。

その後、Fでは効かない。

Gでは効いた。
Hでも効いた。

Iでは効かない。

といった感じで、だいたいは効くんだけども、たまに効かない子もいる・・・となると?


『間欠的に』 ”犬を叩いてしつける行動” が強化されますよね?


間欠強化された行動は非常に”消えにくい”わけですから?


もし、FやIのような子と出会うと・・・

バシバシ叩くだろうし、消去バーストが起きる可能性だってある。


これが 動物虐待 になるんじゃ?という部分ですね。







このブログでのトビアスさん?って人はどうも、冒頭でもお話しましたが主観傾向が強いように思えるし、学習理論とかって話してるけど、誤解してないかな?とも思える。


あと、記述概念を説明概念で説明しようとしてる節があるから、場合によってはすごくトートロジーに感じるとこもある。


だって、客観的に見てるのなら、【タイミングよく嫌悪刺激を呈示して行動変容(弱まった)した】としても、じゃあその正の弱化した本人(飼い主)の行動は


 『やったー効果あったー』 と ”認識すれば” それが報酬となり、

正の弱化使えば、効くよーって  『他人に広げ伝える行動』 が強化されてしまうことは?どう説明するの?って思うし。


 正の弱化使って行動弱化してるトコを子供とかに見られたりして

『ああ、なるほどああすればいいんだ』 とモデリングされることは、どう責任とるの?って思う。


なんか、罰はダメだよ、でも場合によっては効果あるから使ってもいいよ、的な?感じに聞こえる。

その場合ってのが、タイミングさえ合えばとか、ボディランゲージが読めれば、とかって言ってるように聞こえるし、意外とストレスは感じないんだぜ、的な風にも聞こえる。

犬と飼い主との信頼関係ってことで書かれてるから、わからなくもないけど、そもそも ”関係” って両者間だけで起きてることじゃない。

1匹と1人だけでなく、その周辺にいる人や犬、つまり

他人や他犬も含めての相互作用だから、犬と飼い主の関係だけでの話を進めるとそれはもう学習理論じゃない。



最後にこんな言葉もありますけど

”褒めるか、罰するか、のどちらの方法が学習の効果を上げるかという論議と平行して”

って・・・これこそ主観ですし、褒めることがイコール正の強化とは限らないので、正しくは

正の強化と正の弱化 のどちらの方法が・・・だし

”効果を上げる” についても【何をもって効果】とするのか?によって変わってくる説明概念ですから、それを 『論議』 とするのはどうかなと思います。

Aさんは、Xの結果までが効果とするだろうし

Bさんは、Yの結果までが効果とするだろうし

Cさんは、ABさんとは違う形の結果が効果と判定するかもしれない。


効果が無ければ意味はないだろうし、効果があってものような倫理的問題、のような教育的問題だって出てくれば、それこそ 『目的達成のためならなんだっていい』 ことと同じになっちゃう。


褒めるのか罰するのか?を論議する前に


どうすれば、褒めて(正の強化で)良い行動が増えるのか?を論議すべきじゃないの?って思う。



良いことは書いてると思うけど、なんかちょっと気になったので書いてみました。




☆トートロジー☆

☆カウンター☆

☆セロトニントランスポーター☆

突発性激怒症候群

もしくは スプリンガー凶暴性


については随分昔にブログでご説明したり、講習の際には必ずお話する病気です。


脳内のセロトニン、神経伝達回路の異常により、風貌、様相が急変し攻撃性を示すという遺伝性の疾患です。


セロトニンはいわゆる、落ち着かせる、安心する、といった心理効果のある脳内の神経伝達物質ですから、そこに異常があれば、凶暴化する・・・というのも当然ですね。


セロトニンの不足等は遺伝だけの影響だけでもなく、普段の生活環境の影響もあるので注意が必要です。


ただ、突発性激怒症候群に関しては豹変ぶりがハンパではないので、トレーニングでどうのこうの出来るレベルではないことも多いです。


スプリンガー系、柴犬等に特に多いとされる疾患です。


それに関してさらに掘り下げて、とある研究でわかったこともあります。




それが 『セロトニントランスポーター遺伝子 と犬の しつけ の関連性』 です。


セロトニントランスポーター遺伝子(セロトニントランスポーターいでんし)とは、神経伝達物質であるセロトニンの伝達に関係する遺伝情報が書き込まれた遺伝子で、染色体番号17に存在する。

組み合わせはSS型、SL型、LL型がある。

1996年11月、ヴェルツバーグ大学精神医学部のピーター・レッツ(PETER LESCH)らがS型がセロトニン分泌に関与すると発表。

SS型 > SL型 > LL型の順番でより不安を感じやすい。

この遺伝子型を持つ者の割合は国や民族によって異なる。日本人はS型保有傾向が欧米人に比べ5割も多い代わり、LL型保有者は3%と世界で最も少ない。

傾向としては、アフリカ > 欧米 > アジアの順番で、LL型が減る。

つまり、日本人はもともと 不安を感じやすい傾向にあるということです。


だからかな?

不安を感じやすいということは、孤独が苦手なわけで、犬や猫を飼育しよう、してみよう、と考える傾向になりやすく、それが、しかも、『安易に誰でも飼えるような環境』 『小型化された愛玩利用されやすい犬を飼育しやすい環境』 に日本はあるもんだから、何も勉強しないまま、すぐに飼育をはじめてしまう。

結果、その 『飼い主の不安を解消させてくれる犬』 になれば(飼い主が感じれば)問題ないですが、

逆に、『こんなハズじゃなかった、と不安を募らせる犬』 となれば(飼い主が感じれば)それが

支配性理論というしつけの方法論を重なれば、当然、ムリヤリにでも従わせよう、虐げようという心理操作が起きても不思議ではないですね。

権勢症候群や支配性理論からなる犬のしつけ理論の 『行動強化力』 はハンパじゃないですし・・・


話はソレましたが・・・


このセロトニントランスポーター遺伝子が犬のしつけのしやすさに 『弱い関連』 があることがわかっています。


あくまでも、麻薬探知犬についての 訓練性について調べたものなのでまだハッキリしているわけではないようですが、おそらく、不安を抱えやすい傾向にあるセロトニントランスポーター遺伝型であると、

注意力や集中力の欠如、過活動や逆に

意欲や興味の低下などから

スムーズなオペラント学習をしにくくなるのかもしれません。


突発性激怒症候群も含め、明らかに身体機能が正常でないような遺伝性疾患は今後、繁殖制限や規制によって防げてくるかもしれませんが、弱く関連があるような遺伝性のものを減らす事は良い個体を残すという努力が無ければ難しいと考えられます。


また、これらの遺伝型の多くは 学習性無力感や うつ病とも関連しています。


法律の改正により、みだらな繁殖については厳しくなってきました。

犬を飼育するというだけでも物凄く飼い主の勉強が必要です。

飼い主が学ぶ事が、犬への愛情。


しかし、ソレ以上に繁殖・・・となるとメンデルの法則は当然、犬種別、犬特有の遺伝子学は知らないとマズイし、データや経験も必要なわけですから、安易な繁殖をしたり、、繁殖をススメたりすることは絶対にやめましょうねm(_ _)m














☆静かにモノ申す☆