どうも、いよいよ大詰め。長かったBSLも残すは後2日、僕です。早かった様な気もするけど、やっぱ長かったなー。
さて・・・3月11日、あれから1年が経ちました。。
忘れもしないあの日。僕は実家にいました。おふくろと二人、家でのんびりしてたんだよね。と、そこにズシンって地響きがして・・・と思ったら、マンション全体がガタガタ言い始め、そこから大きな揺れが・・・
おふくろにじっとする様に言いながら部屋を飛び出して仏壇を押さえたりしながら揺れがおさまるのを待ってたっけ。
そしたら速攻停電しちゃって。
携帯で家族に連絡取ろうにも取れず、とにかく親父が心配で。そして、後輩が心配で連絡したっけなぁ・・・
家にまさかの乾電池がないという事態に陥って、エレベーターも動かない中とりあえず1階までの階段を往復して。階段も所々微妙にコンクリが崩れてて、そこを色んな人が行き来してて。
初めてってくらい、マンションの他の住民の人とあいさつしたり話したりしたっけ。。にしても、往復で2000段の階段は本当にしんどかったorz
外も大混乱で、コンビニも既に食料とかがすげーなくて、どこもかしこも停電で。
とりあえず親父の無事も確認して、懐中電灯つけながら冷蔵庫の中身を漁って、ビールもぬるくなることだし全部飲めーっつっておふくろと二人酒盛り始めたんだよねwwwww
電気が復旧して、テレビつけたらそれはもう凄惨な光景しかなくて。。自然の前では人間なんて結局はちっぽけな存在なんだなって思って。。
本当はすぐにでもボランティアに行きたかった。でも、いろんな事情で家を離れられなかったんだよね・・・
4月に入って病院に出る様になって。でも、ずっと大好きな東北のことが頭から離れなくて、結局夏にようやくボランティアも兼ねて石巻赤十字病院に実習に行ったんだよね。
そこの救急センターでは、それこそ日本各地の赤十字病院から応援が来てて。4ヶ月経って、病院自体に大きな機能不全とか起きなかったのが幸いだったけど、病棟の至るところ、それこそ廊下なんかにもベッドが置かれてて、まだまだ野戦病院になってた。あの光景は今でも忘れられない。
今、1年が経って。テレビから流れる光景は、既に東北のものはほとんどなくて、まるで何事もなかったかの様に普段と何も変わらないニュースや番組が流れてる。
でも、あの時の恐怖、そしてあの凄惨な光景は絶対に忘れない、いや、忘れられない・・・
阪神大震災の時もそうだった。9.11、グラウンドゼロもそうだった。
時に、人は目にやきついて離れない光景ってものが存在すると思う。
特に今回の震災は僕の心に確かに火をつけた。生まれて初めて後悔をしたかもしれない。自分が半ば確信犯的にのんびり過ごして来て、いろんな寄り道してきたけど、もしそうせずに真っ直ぐ医者になっていたら、その時役に立てたかもしれないのに、と思うとどうにも悔しい思いしか出来なかった。
そして、そのことは改めて自分の将来のことを考える良い機会にもなったよね。
自分が将来どうありたいのか、具体的に考えた。
この1年。僕はどこまで成長出来たんだろう。この震災は、僕の人生にどういう関わりを持つことになるんだろう。
僕は一生忘れない。人の命について真剣に考えた、あの日のことを忘れない。
よっし。これからも前向きに。頑張るしか出来ないからね、愚直に前へ。頑張ろう!