一昨日、朝日新聞の取材を受けました。

記者の方は以前に掲載された日経新聞の記事を読んで連絡をくれたのですが、のっけから興味津々という感じでした。

まず、私の高校時代の話や兄貴とのプロレスごっこの話には大いに笑ってもらいました(笑)

そして、OPGの話になると、私もだんだんと熱が入り…

記者の方も「こんなに熱い気持ちになる取材は他にありません」とまで言っていただきました。

もちろん、私はありのままの自分、ありのままのOPGを崩すのは嫌なので考えながらも真剣かつバカな話も交えて約二時間話しました。

「今君たちには何か燃えているものはあるか?」

これは保健の授業で私が1年生に問いかけた言葉です。私は生徒たちに『燃えるもの』を見つけてほしいのです。

記者の方は今の大人でこんな言葉を言える人は少ないと熱く語ってくれました。

「プロレスのリングに今なお上がる一番の理由は何ですか?」

「う~ん」

この質問には少し悩みました。それは自分の中で一つに絞るということが難しいと感じたからです。

しばらく考えてから…

「やっぱり自分の『原点』だからですね。」

と、答えました。

私はプロレスに出会えたからこそ…

強くなりたいと願い…

仲間たちと出会い…

レスリングにも出会えた…

教師という道に繋がったのもレスリングに挑戦したからこそであって…

教師になれたからこそ、たくさんの教え子との出会いもあり…

教師になれたからこそ、(元同僚である)妻にも出会えた…

つまり、今ある家族、仕事、仲間、レスリング、OPG。プロレスとの出会いがなければ、どんな人生を送っていたのか全く想像出来ません。

プロレスはやっぱり自分の『原点』なのです。だからこそ、少しでも長くそこに携わっていたい。リングに立っていたい。だからこそ、きちんと体を鍛えていきたいのです。

取材が終わると、「こんなにメモをたくさん取ることってあまりありません。帰ってメモを整理してからもう一度取材させていただけませんか」とのことで、結局一週間後に再び取材を受けることになりました。

今回の記事については基本的には地元岡山版のみに掲載予定ということですが、記事の内容によっては全国版に抜擢される可能性もあるそうです。

次回の取材でどんな展開になるか分かりませんが、次回もまた記者の方との一本勝負に挑みます(笑)
先ほど洗濯が終わり、久しぶりに一人で干しました。

ずっと私が担当していた時期もあったのですが、妻にやってもらうことが多くなり最近はほとんど任せきりになってしまっていました。

二階のベランダに出て干していると、遅い時間なのに息子がのこのこと起きてきました。

「はよう寝んといけんじゃねえか」

と言いながら、ふと見上げると月が目に入りました。
あ、そうだ。世間ではスーパームーンとか言ってました。普段より何故だか大きく明るい月が見れるとか。

「じゃあ、せっかくじゃから二人でちょっと月を見ようか」

「うん」

私はもう5年生にもなった息子を担ぎ上げてしばらく月を眺めていました。

「やっぱり大きい気がするな~」

「うん。大きいよな~」

「よし、じゃあもう寝るか!?」

「うん」


私はベッドまで息子を連れていきました。

こんな時間が私は好きです。

夜中に洗濯物を干すのもいいものですね。
私は毎週30kmのランニングを自らに課しています。リングに上がるために最低限のコンディションを維持するためです。

GWだった今週もランニングノルマの30kmをクリア。これでノルマ達成は62週連続となりました。

『62』

この数字は自分にとって凄く愛着のある数字なのです。

私は大学に入学してレスリングを始めてから30歳でレスリングの現役を引退するまで試合に出場した大会は全てがグレコローマンスタイル62kg級なのです。

大学に入った時の体重は62kgくらいだったでしょうか。普通なら少し減量して57kg級に落とすところでしたが、私の2学年上にグレコローマン62kgの日本のトップ選手であった西口茂樹先輩がおられて、先輩から「お前はまだ体を大きくしないといけないから減量しないで62kgに出ろ」とアドバイスをいただきました。

それから、大学3年から4年にかけて、その西口先輩の胸を借りて毎日スパーリング出来るようになり自信をつけることが出来ました。

4年生では、全日本選手権ベスト4、全日本学生選手権優勝という結果を残すことが出来たのもやはりグレコローマンスタイル62kg級でした。

その頃には、普段の体重が68~70kg。約6~8kgくらいの減量をして試合に出ていました。そして、現在の正式な体重は69~70kgくらい。体重だけはあまり変わっていません。

あの頃の自分に恥じないようにまだまだ頑張ります!!