1週間前の月曜日、この時間から数時間後にヒヨちゃんはたったひとりで旅立ちました、


この時間、ヒヨちゃんにぼーっとしながらキャベツ食べさせて、今日は体が冷たいなー。

大好きなとうもろこしも食べないなー。


この日はこうやって朝になっても出てこなかった。


こうなってた。


私は昨日からの熱中症と、月経中で調子が悪くて、ヒヨちゃんの一大事に考えが及んでなかった。


バイタルチェックを定期的に定量的に行っていれば、自分の体調に関係なくヒヨの急変を見抜けたはずです。



ヒヨちゃん。


4/25、診察室の奥に消えていくヒヨちゃんを見送った。

麻酔から覚めないかもしれないと思いながら。

待っている間に悲痛な叫び声が聞こえてきて、潰れそうになった。


こんな苦しい想いして耐えたのだから、ヒヨには幸せな未来があると「信じて」いた。

「信じて」は科学ではなく、そこでヒヨちゃんを科学的に診ることを放棄してしまっていた。




科学の目で見れば、ヒヨちゃんはこんな苦しい想いしてきたから、これからはいいことあるよ、とはならない。

「失敗したり損すると、お祓いだお供えだ。次は良いことがある」、味方の兵士5000人死ねばそれが生贄になって日本軍勝利と信じる中牟田中将はインパール作戦で常に負ける。




科学の目で怪我したヒヨちゃんを見れば、

・遺伝的に怪我する素因があり、適切に飼っていてもなんらかの内臓疾患の発症リスクあり。

・私のヒヨちゃんに与えた栄養や運動の知識が不十分。だからまたやらかす。

このどっちかひとつかどっちもだ。どう見ても、次からは輝かしいヒヨの未来なんか科学的には想定できない。




アニミズム的な根拠のない楽観思考、コロナ禍の日本政府のような行動を私も日常的に行なっているということになる。


必要なのは、「気」を引き締めて、ヒヨに闘病させるのではなく、因果関係をはっきりさせて、ヒヨのバイタルチェックをメソッド化することだった。