高齢者で末期癌だろうと、106才だろうと108才だろうとあの時ああすればまだ生きられたのにという後悔は必ずある。
苦しまずに亡くなってよかったねというのは106才だろうと無い。
亡くなって良かったはどんな時でも無い。
ましてや、ヒヨーは5/10より歩行訓練をさせるつもりだった。
だから、石器時代から原始宗教としてアニミズムは存在するし、多神教やその先の一神教もあるんでしょう。
アニミズムは考える猿である人間が生まれながらに持っている宗教観です。
死んで良かったが存在しないならば、その死を納得できるように辻褄合わせをする。
それが宗教。
アニミズムならば(アニミズム要素の強い日本の仏教もだけど)、万物に霊魂を持つと考えるからヒヨーはこの世で苦しんだから良いところに輪廻するというのでしょう。
一神教ならば・・・例えばキリスト教はそもそも「神に似せて作られた人間」と「それ以外の生き物」と明確に分けているので、人間のようにヒヨーが天国に行ったりはしない。
キリスト教の自立した個人・・・強いな。
ペットに依存したりしないんでしょう。
日本に来るとプロテスタントだろうとカトリックだろうと魔改造されるのでキリスト教のペット葬儀やペットの天国もありそうではありますが、そんなに割り切れたら精神的に強いだろうな。
現代科学の目で考えれば、輪廻も天国も死を受け入れる為にインチキで納得し、その事について後悔しない考えない為の逃避行動のひとつではあるのだけど、後悔して前に進めないよりは良いのかもしれない。
死んでよかった、は必ず無い。
ヒヨの死にも意味は無い。
それは私の罪の償いでも身代わりでもない。
ヒヨーは生まれて3ヶ月半で亡くなったことで良かったことはヒヨにはいっこもない。
やるべきことは、亡くなるエミューを減らす科学的な知見を得ること。
足を怪我しても、吊るせば体幹の皮膚は強くて褥瘡にはなりにくい。
長くなればわからないけど、吊るせば糞尿で汚れることもない。
温度管理が重要。
栄養管理。食べない時、高タンパクの猫餌をもっと食べさせればよかった。
小学校の校庭のような固められた土が飼うには安全。草むらでも草に足を引っ掛けて酷い転び方をする。
足を怪我したら、プールでリハビリをすぐに始められるように、廃校がやはり良いね。
私はもうエミューは飼わないけど、廃校の再利用には向いてるかもしれない。
廃校の再開発している友人は何人何ヶ所と知っているので、伝えてもよい。
ヒヨちゃん、林檎好きだったのにあまり食べさせなくてごめんね。
もっと林檎をあげたらよかった。
家族に抱っこされて、外来を待つヒヨちゃん。