以前に、1970年代の「あしたのジョー(矢吹丈)」と1980年代の尾崎豊の類似点・共通点を挙げた書として、吉田和明の『あしたのジョー論(風塵社)』について述べたことがある。

 

 このたび、『あしたのジョー論』を改めて読み返してみた。

 自分は、本を読んでいて今まで知らなかった情報や事実を知ると「オッ!」と驚いて、知的好奇心をくすぐられるタイプである。

 今回は、著者にとっての大事な主張とは、ずれてしまうが、「オッ!」と思った2点について記してみたい。

 

 まず、1点目。著者の主張では、矢吹丈よりも先に燃え尽きたのは力石徹と言うことになるが、マンガ版『あしたのジョー』では、白木葉子と矢吹丈は金龍飛戦のあと、力石徹の墓参りに行く。何とその墓のあるのは、護国寺・・・尾崎豊の葬儀の行なわれた寺だ。ネット上の情報によると、架空人物である力石徹の葬儀は講談社講堂にて執り行われたが、そのとき呼ばれたのは護国寺の僧侶だったようだ。ちなみに、アニメ版『あしたのジョー2』では、力石の墓は、横浜港の見える丘の上の霊園にあることになっているらしい。

 

 そして、2点目。柔道の講道館本部が、文京区春日へ移転するのに伴い、水道橋の旧講道館を買収・改修したのが後楽園ホールとある。つまり、もともと柔道のメッカであったところが、ボクシング(拳闘)のメッカへと移り変わったことになる。ネット上の情報で調べ直してみると、水道橋の旧講道館の跡にできたのは、後楽園ジムナジアム(通称・後楽園ジム)で、のちに後楽園ホールと改称された。外堀通りと白山通りが交差する場所にあったらしい。その後1962年に、後楽園ボウリング会館(現在の後楽園ホールビル)の5階・6階に移転している。