先日、マツコさんが言っていた。

「仲良くしたい相手に程、何かを期待してはいけない」

 

長年生きて来て、その事が私にも凄く理解出来た。

 

私は友達を良く無くす。

それは仲良くしている相手に心を許し過ぎて、信じすぎて、自己開示をし過ぎて、その分相手の領域に踏み込み過ぎた結果だと思う。

 

余計なコト迄言ってしまうのだ。

自分が心を開いているから、相手に嘘偽りのない心を見せてしまう。

けれども人は、仲が良ければいいほど、意見が合わなかったり理解出来なかったり衝突した時の反発感が強く出て、ぶつかるのだ。

その事が解らずに、ただただ「私は友達が出来ない」と思っていた。

 

職場に、とても気の合う人が居る。

言葉がぽんぽんと交わせる、波長の合う相手。

けれどもその人とはぶつかる事もとても多い。

 

先日もぶつかり「あぁ…又私の前からきえちゃうのかな…」と思うコトが有った。

 

けれども私は今回は一歩引き、時間と距離を置くことにした。

今までにはない行動。

今までは、修復しようと手を変え品を変え、相手の心を引き留めようとしていたのだ。

それをやめた。

 

そうしたら、関係はゆっくりと元に戻りつつある。

 

何故こんな話をするのかというと、家族は「期待しない相手」の最たるものだと感じたから。

 

 

家族は血が繋がっている。

けれども「個人」としては「他人」なのだ。

 

けれども家族はともすると「依存」する。

 

父と母はとても仲が良い。

母が病気をしてからは直のコト。

 

けれどもその会話はあまり良くないモノで、父は母に心の全てをさらけ出し、言いたい事を言う。(ただし、説明せずに結果だけ言うのでとてもキツい物言いに成る。何が気に入らないのかを説明せず、気に入らない事だけを叫ぶーといった具合だ。)

母は、時に父を子ども扱いして「ほら、こうしないとダメなんだよ。いいからこうしてごらん」

そして時に子供帰りして「ぱぱぁ~」と甘える。

 

はたから見て居て「共依存」だと感じる。

それり程に互いの領域に入り込んでいるのだ。

だからちょっとした亀裂で大喧嘩に成る。

仲が良すぎるゆえに余計なお世話を言い、やき、衝突するのだ。

 

同性の友達同士も同じだなーと思う。

長く付き合わねばならない相手、付き合いたい相手。そういう相手とはなおさら一定の距離感を保った方がいいーと思う。

 

皆にそれが当てはまるのかどうかは良く解らない。

 

ただ、私は心を許すと相手に踏み込み過ぎて傷つけてしまう傾向があると解るし、それで喧嘩に成ってしまうのが解るから、私の様なタイプは大事な人には踏み込まずにいることが大事だと思う。

 

父と母はー…

同居している限り(結局私は出て行かなかった。正直、今のご時世に出ていく勇気も無いし、両親も本音は出て行かれたら困る事は明らかで、とりあえず話は立ち消えたので。)かなり大きなパーソナルスペースを作って、入り込ませず入り込まず、何もかも穏便に済む様に付き合おうと思う。

 

 

ちなみに。

 

今日父と母が大喧嘩をし、父が「俺は出ていく。おれが原因で喧嘩が起きるからそれが一番良いんだ」と言った。

これは、先日私がしてもいない罪を着せられそうになった時に二人に言った言葉で、父の脳裏に「アレを言ったら問題が収集できた」という記憶として残っていたのだろう。

とにもかくにもそう言い出したので私は一言父に言った。

「そういえば問題が解決するって思ってるのかもしれないけど、出ていくなら止めないし、出ていくーって本気で宣言するのなら、私は確実に追い出すから。絶対に出て行ってもらうから。もし、軽い気持ちで言っているなら言わない方が良いよ。それでも言うのなら本当に出て行ってもらう」と言ったら折れた。

 

 

「親しき中にも礼儀あり」ではなく

「親しいなかほど礼儀あれ」だと思う。

 

距離は大事だし、踏み込み過ぎない事が大事なのだ。

喧嘩にならない為に。

 

 

余計なコトは言わない。

それが平和。

 

 

ただ、老いに伴うボケでしてもいない罪を謝れ、と言われたら大いに反論するけども。