今の“当たり前”が変化してくると、
過去の“当たり前”を振り返った時に
寂しさ、悲しさ、悔しさ、苦しさ
いろんな感情が出てくる。


私の過去の“当たり前”は、

家族が誰も私の味方をしてくれず、
常に孤独で心細くて、
ギリギリの精神状態で
踏ん張りながら必死で何とか立っている

ということだった。

家族すら誰も味方になってくれないのだから、
それ以外の人は
誰も味方になってくれないだろう
と思っていたし、

こんなに苦しいのに
家族に優しくしてもらえない
ということは、
苦しんでいる私が弱すぎるダメな人間だから
きっと誰も優しくしてはくれないだろう
と思っていた。


実家を離れて大学を卒業してからは、
なんとしても実家に戻ることを避けたくて
精神的にも肉体的にもギリギリの状態で
生きるためのお金を稼ぐために
いろいろなバイトを転々としていた。

勇気を出して親に金銭的に助けてほしいと
電話をしてみたものの断られ、
働けないのなら実家に戻るという
選択をするしかない状態だった。

実家に戻ることはその時の私にとって
死ぬことと同じだった。

家族はその時の私にとって
弱っている私に寄り添うどころか
攻撃して傷つけてくる人たち
だったし、
今度もしそんなことが起きれば
耐えられなくて私は自分で死を選ぶだろう
と思っていた。

私は死なないために
死にそうになりながら働いていた。


当時は誰も助けてくれないのだから
そうするしかないと思って
必死で動いていたけど、
誰か助けてくれる人はいると知った
今の自分がその時の自分を思うと、
過酷な状況すぎてかわいそうでならない。

当時は
常に崖のギリギリのところに立っている
感覚だった。

気を抜いたらバランスを崩して
崖から落ちるかもしれない。

足元を常に見張っていないと
崖が崩れ落ちてしまうかもしれない。

常に緊張していて、
どうやってリラックスしたらいいか
分からなかった。


その時の自分が癒えるまで
寄り添ってあげようと思う。