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麺屋 夢創の夢ブログ

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皆様こんばんは♪



44日目の実戦更新です♪





今日の文章です♪







究極の損得勘定とは




私の話は人格論や精神論ではありません。

私は正しい生き方をしよう、とか、立派な人になりましょう、とった話は好きではないし、他人にそいういうことを説くことはしないようにしています。

他人がどういう生き方をしようと私には関係ないと考えているからです。


誤解を恐れずに言えば私の価値基準は一つ、損得勘定です。

つまり自分にとって得なことはやるけども、損なことはやらないというそれだけです。

これは他のどの先生とも違うところかもしれません。


面白いことに、損得勘定が完全に頭に入ってしまうと、人間は声を荒げなくなります。

イライラしなくなります。

声を荒げイライラした結果、人間は自分で毒液を出して、その毒液が五臓六腑をどんどん痛めつけます。

誰が一番損をするかというと、その言葉を発した本人ということになります。


私たちは体調が悪い時、よく愚痴や泣き言を言いがちです。

本人は病気ゆえに愚痴をこぼしているように思っているでしょうが、実は不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句という否定的な感情が肉体を蝕(むしば)んでいるらしいのです。


私と親しいある外科医の話ですが、患者の家庭環境を分析した結果、怒鳴り合っている環境で生活している人と、穏やかな言葉が飛び交う家庭で生活している人とでは、明らかに前者のほうが病気になる確率が高いということが分かったといいます。

宇宙の方程式からすれば、「ばかやろう」「つらい」「悲しい」といったネガティブな言葉が体内の水の細胞を破壊し、それが病気を招く原因となります。

言葉の持つ力は大変なものです。


肉体だけではありません。

仕事も同じです。

例えば民宿の経営でいえば、家族や職員が喧嘩(けんか)していたり、いがみ合ったり、仲が悪かったりすると、外見は立派でも本当にお客さんが来なくなるという現象が実際に起きてしまいます。


では、反対に自分が最も得をする生き方はどういうものでしょうか。

考えなくても自ずと答えが出てくるでしょう。

何よりも大事なのは笑って愉快に生活すること。

そのために私たちが発すべき言葉はうれしい、楽しい、幸せ、愛してる、大好き、ありがとう、ついてるの七つ(これを七福神ならぬ「祝福神」と呼んでいます)です。

そうすれば健康になるし、幸せになれるし、つまりは自分の人生にとって大変得になるということになります。


『幸せの宇宙構造』弘園社




損得勘定にたけている人、と言ったら、それはいい意味で使われることはない。

自分のことしか考えない、自己中心的な人という意味だからだ。


しかし、人に対して発した悪口や非難や怒りはそっくり全部自分に返ってくる、しかもそれが一番強いかたちで、という宇宙の法則を知ったら、人に対する悪口や怒りこそが自分に最も損なこと、という理屈に気がつく。

反対に、うれしい、楽しいと言って、毎日を感謝の気持ちで生きることが、最も自分に得なこと、ということに気づく。

悪口や非難は自分の心や体を蝕(むしば)むが、愉快に笑って過ごせば健康で楽しく過ごせるからだ。

これこそが、究極の損得勘定。


毎日を愉快に笑って過ごす人でありたい。
皆様こんばんは♪




43日目の実戦更新です♪










今日の文章です♪





笑って、楽しいことを探す





アメリカの心理学者であるロバート・カプランらは、508名の大学生を対象にして、ビデオ講義を見せました。

その際、ビデオは2種類。

それぞれ、


A「ユーモアを入れながら、楽しく講義するビデオ」

B「「ユーモアがなく、ただそのまま講義をするだけのビデオ」

でした。


そして学生を半々に分けて、それぞれにAとBのビデオを見せたのです。

その結果、ビデオを見た直後にどれくらい記憶していたかを調べたところ…。

AとBでは、ほとんど差はありませんでした。


しかし、6週間後に、再びどれくらい記憶していたかを調べたところ…。

AはBよりも、明らかに記憶していた内容が多かったのです。

すなわち人間は、短期的に考えれば、どんな内容でも、とりあえず学習することはできますが、長期的に考えると、「楽しい」学習のほうが、より強く心に残るということなのです。


これは仕事でも同じ。

楽しみながら仕事をしていれば、やはり仕事の内容も、長期的に見て、強く気持ちに残ります。

そうすれば熟練も早くなりますので、最終的に、どんどん高度な仕事をこなせるようになっていくでしょう。

勉強でも仕事でも、「楽しんだかどうか」というのは、何よりも大切なことなのです。


まずは何より「楽しんでいる人に習うこと」です。

それが勉強なら、書店に行って、いるいろな本や参考書を探すこと。

なかには、楽しんでいる人が書いている本や参考書だって見つかるはず。

面白さが分かっている人の本なら、あなた自身が楽しく学習することもできるはずです。


仕事なら、同じように楽しんでいる人が書いているビジネス書などを読んでみること。

そういうものを読むだけでも、あなた自身、効率よく学習ができるはず。

もしくは同じ分野で、楽しみながら仕事をしている人に直接話を聞きに行くのもいいでしょう。


これは人生でも同じことが言えます。

幸せに満ちあふれている人。

うまく成功している人。

こういう人は、大体において、人生のコツをつかんでいます。

こんなときはこう振る舞えばいい。

こういうつらいことがあったら、こう対処すればいい…。

そういう方法を理解しているから、毎日をうまく過ごすことができています。

だからこそ、毎日の出来事をより強く心にとどめ、それをさらに人生に応用して過ごすことができるのです。


とにかく第一歩は、今この瞬間を楽しむこと。

今、あなたが笑い、楽しいことを探すことが、何より大切なのです。


『やりたいことをぜんぶ実現する方法』海竜社




どんな心理学の大家であろうと、高名な精神科医であろうと、心を扱っている専門家が、自らの人生を、面白おかしく楽しく生きていなかったら、何のための学問かわからない。

これは、事業家でも、商人でも、芸術家でも、スポーツ選手でも、みな同じことがいえる。

自らが選んだ職業を楽しめないなら、それは他人のせいにしている、ということ。


楽しんでいる人のまわりに、人は集まる。

苦虫をかみつぶした顔をして、不平不満ばかり言っている人のそばからは人は離れていく。


人生を楽しんでいる人には余裕がある。

「こういう人は、大体において、人生のコツをつかんでいる」


どんなときも笑って、楽しいことを探す人でありたい。
皆様こんばんは♪



42日目の実戦更新です♪






今日の文章です♪






人は何のために生きるか




人は、何のためにこの世の生をいきるのか…この問題は、古来幾多の人びとが、限りなく問い、かつ答えてきた人類の永遠な課題といってよいでしょう。

実さいこの問題ほど、われわれ人間にとって、深い関心の対象となった問題はないとともに、またこの問題ほど、人類が、その解答に苦しんだ問題もないといえましょう。


では、このような立場から先にかかげた「人は何のために生きるか」という問題に対して、現在のわたくしは、どのように考えているかというのに、それは一口で申せば、人は自分の仕事(職業)を通して、多少とも人のため社会のため尽くすところに、その人のこの世に生きる意義はあると考えるようになったのです。

しかし、このように申したら、人々の多くは「何というわかり切ったことを言う人間か」と思われるばかりか、その余りの平凡さに、軽べつの念さえ抱かされるかとも思います。

それの分からないわたくしでもありません。

しかしそれが、わたくしにとっては、今や人生の終末期にあたってついにたどりついたものである以上、人からどう思われようと致し方がないと思うのです。


なるほど、青春期にある人びとにとっては、人生の意義とか、人間の生き方などというと、いかにも高遠なもの崇高なもののように考えがちだろうと思います。

現に、わたくし自身も、かつて若き日にはそうでしたから、まったく無理のないことだと思います。


しかし現在のわたしくしから考えれば、いかに高遠な理想でも、もしそれが、現在の自分の生活から、まったくかけ離れたものだったとしたら、それはたんなる観念的なあこがれにしか過ぎないと思うのです。

もちろんわたくしとても、若い人びとが、心の中にそのような一種のあこがれをもつということを無意味だとは思いませんが、同時にまた、わたくしには、そうした人生へのあこがれは、なんらかの意味で、現在の自分の生活との間に、つながりをもつ必要があると思うのです。

すなわちそれは、いかにかすかなものにせよ、それが現在の自分の生活の中に、生かされているところがなくてはならぬと思うのです。


もしそうでなかったとしたら、それは単なる観念に過ぎないのであって、それでは、いかに美しい理想のように見えても、じつは虹のようにはかない一種の観念でしかないからです。

そしてそのようなものでは、真の意味における理想とか信念というには値いしないと思うのです。

すなわち、そのような単なる観念や想念に過ぎないものでは、それがいかに美しいコトバによって表現せられていようとも、その人の生活をみちびく真の力強い原動力にはなりえないと思うのです。


『人生二度なし』いなほ書房





「行動することが生きることである」

とは、宇野千代氏の言葉だ。


まさにその人の生き方は、その人の行動に表れる。

いくら考え方や言葉が立派でも、それに行動がともなっていなければ、すべてが嘘くさくなってしまう。


生きている中で、一番多く時間を使うのが、仕事。

だからこそ、たった一度しかない人生、仕事に意義を見出すことができなければむなしい。


仕事に意義を見出すには、自分の仕事を通して社会に貢献していることを実感すること。

人のお役に立つこと、人に喜んでもらうことを、日頃の仕事を通して実現すること。


もちろん、これは仕事だけでなく、ボランティアや家事、子育て等、「生きること」すべてに言える。

「人は何のために生きるか」

世のため人のために尽くす人、人のお役に立ち喜んでもらえる人でありたい。