「繊細さんの応援歌を歌う。」繊細ソングライター磯中ゆうき

「繊細さんの応援歌を歌う。」繊細ソングライター磯中ゆうき

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《スケジュール》

7/13(土)@静岡UHU

「磯中ゆうきSOLO & ONE DAY ONLY BAND LIVE at Live House UHU SHIZUOKA」

出演 磯中ゆうき、ONE DAY ONLY BAND
開場15:00

開演16:00

チケット代 ¥2500(+1drink500円)
ツイキャスプレミア配信 ¥2500

 

 

 

 

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ご予約はこちらから

  

《トピックス》

これまでのワケアリ仲間との出会いを歌った一曲「UTAGE」

 

 

 

 

 

先日行われた磯中ゆうきワンマンライブ「Unnamed Heroes」より、

『石碑』のライブ映像をYouTubeにアップしました。

ぜひ聴いてみてください。

 

 

以下、この曲ができた経緯を書きます。

言うまでもないですが、曲の捉え方は個人の自由で

作者の思いというのは不要な情報にもなりうると思いますので

「読まなくても良いもの」という前提で書かせていただきます。

 

興味のある方だけ、ご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この『石碑』という曲はコロナ禍でできた曲です。

コロナ禍で「世の中ちょっとおかしいんじゃないか」と思ったことを歌にしました。

 

おかしいと思ったのは「ワクチン」と「マスコミ」のことです。

 

コロナ禍が始まった当初、マスコミは人々にものすごく恐怖を煽っていました。

田舎のじいちゃんばあちゃんはコロナをかなり怖がっていました。

 

確かに未知のものなので、そんなもの怖くないと楽観視するのは違うと思いますが、

一方で「未知のものなので分からないじゃないか、怖いじゃないか」と言い始めたら歯止めが効きません。

「正しく恐れる」という言葉がありますが、まさにそれが必要だったと思っています。

 

僕は当時、厚生労働省の統計を毎日チェックしていました。

どれくらいの確率で重症化し、どれくらいの確率で亡くなるのか、

その実態を知った上でワクチンを打ちたかったから、感染対策を考えるべきだと思ったから、

マスコミや専門家が説明しているコロナのこと、ワクチンのことには違和感を覚えたので、

鵜呑みにするのは危険だと判断しました。

 

統計を見ていて不思議だったのが、「僕たちが本当に知りたい数字」はそこに書かれていないのです。

それが違和感の一つでした。

「コロナに罹って後遺症になるのはどれくらいの確率なのか」

「ワクチンを打ってそれはどの程度防げるのか」

「コロナによる死亡率と、ワクチンの副反応による死亡率はどの程度の差があるのか」

このあたりが調べても全く出てこなかったり、自分で計算しないと求められなかったりしたのです。

 

一方で、「一向に治らない後遺症」がニュースで取り上げられたり、

「コロナの重症化例」がショッキングな映像と共に流れたり、

あと"率"ではなく、"人数"がやたらに報道されました。

1%とかであれば、確率が低いという見方もできると思うのですが、1000人と言われるのでなんだか多いような気がしてしまうのです(というか多いのか少ないかもよく分からない)

 

また数値ではなく、曖昧な表現もたくさん使われていました。

「多くの人が後遺症に苦しんでいる」

「重症化する例も多い」

多いってなんだって話で、たとえば重症化については統計を見ると「多い」とは言えないような数値なのです。(全国で数人)

後遺症についても、何%の人は倦怠感が残り、何%の人は喉鼻の症状が残る、というように説明されたら正しく恐れることができるのですが、

そういった説明はなく「後遺症で苦しんでいる人が多い」「後遺症が治らない」というショッキングな説明ばかりされるので、

これは何かおかしいと感じていました、

偏向報道。プロパガンダ。

「恐怖を煽ると視聴率が稼げる」というのも嫌な話ですが、

加えて「恐怖を煽る」という取り決めありきで、報道がなされ、感染対策が進められていたように感じました。

 

違和感のもう一つは「ワクチンの不透明性」です。

はっきり言って正体不明です。

未知の病気が出てきたのに、なんでこんな早くにワクチンができるんだという、

それは科学者の皆様が英知を結集して迅速に開発したのだとしても

「安全です」「危険性はありません」と言い切るのはいくらなんでもおかしいと思ったのです。(当時これを言われると叩かれる風潮もおかしいと思っていました)

 

未知の病気に対してすばらしいワクチンができたのだとしても、まだ開発して間もないのだから

「こういう危険性がありますが、まだそこはよく分かっていません」

「一定のリスクはあります。それを承知の上で接種してください」

という説明は本来あるはずです。

でも随分そこが軽々しく扱われていたというか、触れられていなかったというか、隅っこにちょこんと書いてあるだけだったというか

ほぼ取り上げられることはなかったのです。

 

にも関わらず「打て」というプロモーションがすごかったですよね。

CMからYouTuber、ポスターまで、どれだけお金をかけたんでしょうか(物価高くなりましたね・・・・)

 

「公衆衛生を守るために仕方ないだろう」とそういう意見もありますし、

要はそういうことで推し進められたのだと思いますが、

はっきり言ってどうだったんでしょうか。効果抜群だったんでしょうか。

まあここは人それぞれの評価でいいと思いますが、僕はイマイチだったと思ってます。

 

「公衆衛生」に反論すると、「じゃあみんなを守るためにワクチン打って死ぬ人がいてもいいのか」とそういう話です。

「一定数の犠牲が出るのは仕方ない」という考え方もあるでしょう。

事実、子どもの予防接種でも毎年数人ではありますが、死亡例はあります。

それで公衆衛生が守られている、保たれているという面はあるでしょう。

 

しかし、きちんと説明があるし、調べれば出てくるのです。

その上で打つ・打たないを決められるのです。

僕も親なので子どもの予防接種については調べて、心のどこかで0.0001%とかは亡くなってしまう可能性を覚悟してから接種を決めました。

 

コロナのワクチンにはそういうものがありませんでした。

だから「十分な説明がなされないまま接種して、家族が亡くなってしまった」と嘆く人が実際にいるのです。

何の迷いもなく打って亡くなった人も、

疑いながら迷いながら、でも家族のために、と打って亡くなった人もいると思います。

 

人数としては約2000人です。

先ほどの"率"の話では、もしかしたら仕方ないのかもしれません。

でも、この日本に少なくとも2000人、「病気を予防しようと思ってワクチン接種してそのせいで亡くなった」人がいてその家族がいるのです。

これはとても悲しいことです。

 

説明がなされていたならね、仕方ないと言えると思うのです。

でも"自己責任"とは言っていたものの、

メディアだったり、職場だったりの同調圧力がある中、

それも、あたかもノーリスクハイリターンであるかのように喧伝したからで、

あの状況で本当に自分の意志でリスクを承知して接種できた人がどれほどいたでしょうか。

 

現在、ワクチンの被害者の方々が国を集団提訴しています。

「国がこの3年間続けてきた新型コロナワクチン接種に関する国民に対する数々の「不正義」を正す」ことを目的とし、

不正義によって生じた被害を認め、謝罪し、償うことを求めています。

その通りだと思います。

 

国としては様々な事情があったのだとしても、

事実を認めない・謝らない・償わない ことは許せなくて、

それを歌にしたのがこの『石碑』という曲です。

 

 

最後に、なぜここまで僕がこのことについて熱く語るのか不思議に思う人もいると思うので、

補足しておきます。

 

僕自身、幼い頃からアトピーで、ステロイド治療をしたり脱ステロイド治療をしたり

色々な経過を辿ってここまで来ておりまして、

率直に言って「医療」というものを全面的に信頼してはいません。

 

もちろん素晴らしいところはたくさんあります。

お医者さんのおかげで救われる命は数え切れないほどありますし、

医学というものがこれまで積み上げられ、練り上げられてきたことに対しては素直に尊敬する気持ちを持っています。

 

でも一方でビジネスになってしまっていたり、人を不幸にしている部分もどうやらあるみたいなのです。

 

自分自身のことで言うと、僕はアトピーに対して幼い頃からステロイド治療をしていました。

18歳までそういうものだと思っていたので僕にとっては「人はかゆくなるのが当たり前で、それには薬を塗らなければいけない」

そういう毎日の積み重ねで生きてきました。

 

しかし19歳で脱ステロイド治療をしたら、なんと綺麗になったのです。

一回形容もし難いような痛々しい皮膚の状態にはなりましたが、それを終えると

きれいさっぱり、お風呂上がりに薬を塗らなくても良い、という人生で初めての体験をしました(他の人にとっては当たり前)

 

正直「今までの治療は何だったのか」と思いました。

ステロイドじゃアトピー治らないんじゃないか、なんだよと。

 

ちなみにその後も紆余曲折あり、現在はステロイドをたまに塗って症状をコントロールするというスタイルになっているので、

ステロイドを批判したいわけではないです。

ここでは「ステロイドの是非」は問いません。

治療としてはどちらも良いところがある、という結論だと思います、現状。

 

しかし脱ステロイドで綺麗になる人もいる、綺麗になることもある、のに

アトピーの治療といえばステロイド、

それ以外の選択肢を取るにはなかなか勇気だったりリサーチ力だったり忍耐だったりが必要です。

もっと身近にあっても良いし、研究されて良いと思います。

 

でもなぜされないのか・・・。

ここが資本主義の闇だと僕は思ってしまいます。

 

お金のかからない、みんなが健康な世の中は理想だけれど

それを望んでいない人もいるのかもしれません。。。

 

そういう目で見たとき、医療はどうしてもグレーです。

 

「人が健康で幸せで生きるため」の医療であるならば、問題ないのですが、

そこに貢献できない、むしろ逆を行くようなものであってはなりません。

 

僕で言えばね、アトピーを治そうと思ってステロイドを塗っていたのだけど、

かえってそれでステロイド皮膚炎になったり、治ることが遅れ

実際は塗らなくても漢方薬とかで治す方法があった、というね。

 

医療としては失敗なんですよね。

本来やらなくていいことをやってかえって健康を害してしまった、と

そうともとれるわけです。

 

(繰り返しますが、捉え方の話で、僕は現在はステロイドに対して否定的ではありません。ただ事実を並べた時にこういう捉え方もできますよね、という話です)

 

それでコロナワクチンの話に戻りますが、

ワクチンっていうのは「健康な人に打つ」わけです。

 

病気を治したい人に打つならまだリスクがあるのは分かるんですが、

健康な人に打つわけですから、リスクなんてあってはならない、あったとしてもものすごーく小さく、またその生じたリスクに対して対策はできているから大丈夫、本来はそうあるべきだと思います。

 

だってそもそもが「打たなくても今は健康」なんだから。

「打って健康を害する」なんて最悪で、

お金払ってゴミを買うようなものですよね。

 

このコロナワクチンは、「打って健康を害してしまった」という人が少なくありません。

 

あるはずだった"何事もなかった未来"を奪われてしまった人がいます。

 

自分も、家族も、後悔してもし切れない思いがあると思います。

 

「予防しようとしたがために亡くなってしまった。」そんな悲しいことあるでしょうか。

 

ワクチン研究者の方の言葉を借りますが

「そもそもワクチンを打った後、何かあったらまずワクチンを疑うべき。」

ワクチンにおいて疑わしきは徹底的に確かめる、

だって健康な人の健康を害するというようなことはあってはならない。

(予防行為で健康を害するくらいなら、何もしないほうがマシなわけだから)

 

既に歴史で学んだはずの同じ過ちを繰り返してしまってはいないか、と

この令和の時代になんでこんなことで悲しまなくちゃならないんだと

僕は憤らずにはいられません。

 

この石碑が本当の『石碑』として、この世界に意味を成す日が来るまで、

僕は『石碑』を歌い続けます。

 

 

 

僕は自分が子育てを始めるまで、「子育ての大変さ」を知りませんでした。

自分が一人っ子だったからか、身近に小さい子はいたものの(年下のいとこが8人)

自分が「子育て」を能動的にする機会はなかったので、

自分の子供が生まれた時に初めて「子育ての大変さ」を知りました。

 

この記事を読んで欲しい人は大きく2種類の人で、

①僕のように「子育ての大変さ」を知らない(知らなかった)人

→知ることで準備ができたり、仕事仲間のリアルな状況が分かったりして役に立つと思います。

②子育て真っ最中だけど、その大変さを言語化できていない人

→漠然と大変なのではなく、「何が」「どう」大変なのかが分かると、少しはモヤモヤが晴れると思います。

 

僕が思うに子育ての大変さは2点に絞られます。

①圧倒的な作業量の多さ(not 気持ちの問題)

②命を預かるという責任、プレッシャー

 

それぞれ詳しく説明します。

 

①圧倒的な作業量の多さ

子育てをやってみて何が大変だったかって、シンプルに仕事量が多いのです。

気持ちの問題とか器の大きさとかそんなことは置いておいて、

シンプルに1日あたりの仕事量が膨大です。

子供は一つ一つのことが自分でできない&時間がかかるので、

生活動作にかかる時間が非常に長くなります。

具体的に考えてみます。

 

・食事

大人だけだと調理・片付け込みで1時間。

子供と一緒だと調理・片付け込みで1時間半。

→食事は1日3回あるので、子供と一緒の食事は1日のうち4時間30分使います。その間働き詰めです(作り、食べさせ、後片付け)

 

・風呂

大人だけだと準備・片付け込みで1時間。

子供と一緒だと準備・片付け込みで1時間半。

→1日のうち1時間30分使います。

 

・トイレ

大人だけだと1日で15分程度でしょうか。

子供のオムツ処理にかかる時間はざっくり3倍くらい。1日45分くらいは使うのではないでしょうか。

→1日のうち45分使います。

 

・歯磨き〜寝かせる

大人だけだと30分程度でしょうか。

子供と一緒に絵本を読んだりすると1時間はかかりますかね。

→→1日のうち1時間使います。

 

他、洗濯物・布団・食器などそもそもの数量が増えるところもあるのでざっくり30分くらいは大人だけのときよりも作業に時間がかかるでしょう。

 

ここまでぜんぶ足すと、1日の生活動作のみで8時間くらいは余裕で使います(標準労働時間!)

 

そりゃあ大変です。

新しく仕事を始めたようなものです。

 

ちょっと電車が着いたので続きはまた書きます。

ひとまずここまで。