母は、教育熱心な人だったので、小学校の高学年では、その時有名だった進学塾に私は通い、成績はどんどん下がっていったが、家から1時間半ほどかかる附属中学校に進学した。母はたいそう喜んでくれた。
それから、中高時代の私といえば、、、あまり覚えていない。けれど、とにかく性格が悪かった事は覚えている。親友といえる友達もおらず、かといって、友達がいないわけでもないが。。
あの頃は、自分にも自信がなく、なんとなくつんけんしていたような気がする。
そーいえば、、、無口な父と一度大げんかをした事がある。中学に入った私は、なんだかうちの母親は、おかしいかもしれないと気づきはじめた。そこから、母親に反抗的な態度もとるようになっていた。父親にはなにも思わなかったが、私が母親からいろいろな仕打ちを受けていた時も、いつも見て見ぬふりをしていたこともあり、あまり信用はしていなかった。私が母親に生意気な態度をとっていたことに、我慢ならなくなった父親はある時つかみかかってきた。私は幼い頃から、やられたら、迷わず目と股間を殴ると決めていたのだが、なかなかうまくいかなかったことを覚えている。
普通にしていれば、そのまま大学まで進学できるという環境のなか、私は、高校に入り、看護師もしくは、獣医師になりたいなと思っていた。そうすると、受験しなおして、外に出なければならない。母はすごく反対した。母は、自分の思い通りにならないと、とてと厳しいあたりかたをしてくる。
相変わらず、家にいても、家に帰りたいと思っていた私は、大学になったら、家を出ることを決めていた。バイトをして、敷金礼金を貯めた。しかし、この頃にもなると、金食い虫と言われていたことをとても嫌だと思っていた気持ちも、ゆるくなってきて、言われれば、言い返すが、結局は、いろいろとお金をつかってもらっていた。母親は、体裁をとても気にしていたため、私には、割とお金をかけてくれていた。その時流行っていたブランドの服を買いあさってくれたり、学校での自由参加の宿泊体験にも惜しまずお金を出してくれた。
私は、親に感謝するという気持ちをどこかに置いてきてしまっていた。