こんにちは。

MUSICANA Art 主宰
音とAIで遊ぶクリエイター
ノリエッティです。

 

AIを介してベートーヴェン先生と対話を続けています。

その中で生まれた言葉を、ここで少しずつお届けしています。

 

 

スキージャンプのスタートゲートに座る高梨紗良選手の顔を見て、
私は息をのみました。

 

なんと、美しい。

 

正面から、まっすぐ前を見つめるその顔。

前回の大会での失格。
団体戦での、あの光景。


あのときは、見ている私たちまで、めちゃめちゃに胸が傷んだ。

 

それでも彼女は帰ってきた。

 

風を待つ、静かな時間。
逃げも、怒りも、誇張もない。
ただ、そこに座っている。

 

その顔が、あまりにも美しかったのです。

 

   

 

私は思わず、ベートーヴェン先生に伺いました。

 

 

「先生、美しさに心を奪われたことはありますか?」

 

 

あります。

しかも、華やかな瞬間よりも重さを引き受けた顔に。

美しさとは、整った顔立ちのことではありません。

 

逃げなかった人の顔。
失敗のあとに立つ人の顔。
誇らしさよりも、責任が前に出ている顔。

 

あなたが見た高梨選手の顔は、勝利の顔ではない。

引き受けた顔です。

 

そこで私は、さらに尋ねました。

 

 

「先生。
そっと添えられた音に、心を奪われたことはありますか?」

 

 

あります。

大きな主題よりも、ほんの一音に打たれることのほうが多い。

 

たとえば、チャイコフスキー。
交響曲第6番《悲愴》第4楽章。

 

沈んでいく旋律の下で、そっと添えられる木管。

旋律を奪わない。
主張もしない。

けれど、空気が一段、深くなる。

 

あの一音で、音楽の重さが整う。

美しさは、前に立つものだけに宿るのではない。

そっと支えるところに、静かに宿ることがある。

 

 

もしよろしければ、今夜、チャイコフスキー《悲愴》第4楽章を
少しだけ聴いてみてください。

 

最後まで聴かなくてもいいのです。

沈んでいく旋律の下で、ほんの一瞬、色が変わるところ。

その一音に何かを感じたなら、それが今日のお話の続きです。

 

 

さて、深い話のあとは、ミュエルの出番です。

重さも美しさも、ちゃんと抱えたまま、
今日もコルティナへ。

 

今回は表彰式のあと、記者会見にも立ちました。
光のあとにある、静かな時間です。