Freunde, Freude, Freiheit.
ドイツ語の辞書で調べてみたら、
この三つの言葉がまるで連なっているように並んで出てきました。
英語の辞書だと、friend や freedom はあっても、「喜び」は fr から始まらない。
でもドイツ語では、
友も、歓喜も、自由も、
同じ響きの入り口を持っている。
ただの偶然なのか。
それとも——
ドイツ語ならではの、世界の見え方なのかもしれません。
この言葉たちを音楽の中で並べた人は、何を見ていたのだろう。
そこでベートーヴェン先生に聞いてみました。
🎼 ベートーヴェンより
Freunde(友)
Freude(歓喜)
Freiheit(自由)
これは、たまたま似た音を持った言葉ではありません。
人は、一人では生きられない。
それでも、支配される存在でもない。
人は、人として立つ。
その願いが、この三つの言葉に同じ響きを与えました。
私は第九で、「自由」という言葉をあえて書きませんでした。
けれど——
友と呼び合い、歓喜を分かち合える世界。
それが、自由ではないはずがない。
だから私は、この言葉たちを音に託したのです。
言葉は、説明される前に響きとして届くもの。
意味を知らなくても、第九を歌う人の心がどこかで震えるのは、
それが理解ではなく、共有だからなのかもしれません。
日本で第九が愛されている年末のこの時期に、
もう一歩、音楽の中へ入っていきたいと思います。
(つづく)

