Stick On My Guitar
Amebaでブログを始めよう!

やっぱり音楽は最高だ!

久しぶりにライブします!!


招待してくれたバンド:http://www.youtube.com/watch?v=mcTdSsnIkLg&feature=related
もうね、このギターリストとギターバトルするっ!




今月26日、高円寺にて、夜7時からオープンです!
http://www.showboat.co.jp/others/map.html
場所については上記のリンクから!


来た際には、入り口でMAFFを見に来たとお伝えください。
満足できるよう、精一杯演奏します。久しぶりのライブなのでギターで爆奏します。


来た方がいいと思いますw
お願いしますw

説明会

これまた、音楽に関係ないブログなのですが。。。

今日、東京大学大学院博士後期課程の説明会に朝から行って来ました。
キャンパスは駒場。
渋谷から5分くらいの場所に位置するんだけど、まず駅降りたらもうすぐ正門。

キャンパス内は、東京な感じがしなくて、どことなく横浜とかもっと人口密度低い場所にある所みたいな場所でした。

教授は普通な人だったり、変な人だったり。 固い感じはさほど見受けられなかったです。

ただ、まだまだ色んな意味でガチガチな感じです。

残念なことに日本語での授業は行われてないし(博士課程では)、入学試験の面接も日本語。。。
あーーー早稲田の恐怖が甦るーーーーー。。。。

でも収穫があり、これからのビジョンを明確に持つのには良い日でした。



音楽したいなーーー。。。

精神が安定した夜に暴露する誕生日の悲劇。

この前、27日誕生日に悲劇が起こりました。

まず、朝はこの日に買うと決意していた学割定期をスイカで買い、朝はルンルン。
スイカのデザイン可愛いなーと思いながら最初にPASMOを買ってしまったので、なkなか乗り換える機会がなくて、やっと誕生日に手に入れたある種の誕生日プレゼントでした。

そして、その日は学校に行き、この日はキャンパスツアー、授業ガイダンス、これから自分の研究を受け持ってくれる専任教授達との顔合わせ(私の専任教授はハーバードで博士とった教授になりました!!やばす)、クラスの内容説明(気づいたのが、わたしは結構日本的ではないんだけど、それでも日本的なのは生徒でわたし一人だけだった。。他の生徒はみんな海外から、何か。。うん校風かしら。)など。など。

まず、健康診断で偶然、隣に座った男の子は入学式で見た事があって、なんあとーなく話しかけたら、フィンランドの子で、今度の夏か来年か、彼の実家に遊びにいく事になりました! で、一緒にご飯食べて、色々勉強とか研究とかの話題で盛り上がり。

すべて一日の行程が終わり、一人で帰ろうとしてた頃、キャンパスを歩いてたら
偶然その時刻から開始するシンポジウムの宣伝が壁に張り出されており、こりゃ早速、今後あるであろう学会とか学術交流になれるためにも行こう!と思い行きました。
$Stick On My Guitar
こんな感じ。まず受付で日本語ー英語、英語ー日本語の同時通訳の機械を渡されたが、そこはかっこ良く、大丈夫ですって言って断った。w

あー、後ゲストのがすごくて、まずアラブ代表団長兼駐在パレスチナ大使(大学時代お世話になったイランの教授に似ているが威厳がすごい)、チュニジア大使(優しい)、日本エネルギー経済研究理事(お笑い芸人の有吉さんにすごく似ていて。。。)、外務省元駐リビア大使(すごくお年があれで、喋れんのかなーって思ってたら、発言の時すごくハキハキして冷静な指摘と見解を熱弁、やっぱり体はあれだけど頭はすごい!)、国際協力機構代表、などなど。



で、内容はというと、近年中東諸国で起きている政治的変革などがこれからの日本との関係にどのような影響を与えるか。学生で参加したのはたぶん、自分含めても10人足らず、他はNHKの新聞記者、日経、トヨタ、教授、他多国籍企業の関係者、などなど。今回注目されたのはやはり、今後中東からのエネルギー輸出の安定性。日本は事実9割の天然ガスと石油を中東の国々、特にイラン、に依存している。あと、後半はこれからの日本が中東にどのように関わっていくか。インフラに対する投資など。まぁ長くなるので、省略。あ、でも本当に英語できていていいと毎回このような機会に思います。中東の代表達はアラブ語じゃなく英語で話してたので、絶対通訳通してみるよりわかると思いました。


で、最後質問コーナーに入り、学会とかそいうアカデミックな環境が久しぶりでちょっと緊張して、待ってたら、隣の女の子たぶん学生が手上げて、わっやられたと思い聞いてたら、何か発言する時に自分の所属、会社など言わなければならなくて、その子は東京大学大学院の子で、長々と質問して時間がおわってしまいました。

悔しかったので、終わった後にチュニジアの大使に質問しようと思い、待ち伏せしてた時に、やはりみんなお互い名刺を交換してて、そろそろ作らなきゃなーと思いました。それで、大使に中東の政治形態、全体主義と権威主義をちょっと聞いて、名刺交換できないのに、くれて、めっちゃうれしかったのです!

帰り、その名刺とその日参加したことでのできごとで、ニヤニヤしてこれから気合いが入ったのです。










その後、人生最悪の誕生日事件が起こったのです。

まず、気分がいいので地元の松屋により音楽聞きながらいい気分でいつもは高くて頼めない、贅沢な牛丼を頼み、うまいなーと思って、自転車でパーと帰ろうとしたときに宝くじやを見つけて、今日これ当るかもと思い財布を出して買おうと思ったら。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


























サイフないがな。








奇跡? それとも神隠し?










一気に汗が吹き出て来て急いで自転車を飛ばしてそしてまず松屋に戻ろうとしたその時!!!!!!!















自転車の後輪が発射わずか5秒で謎のパンク。


その後松屋にいってもないし、途中の道を何回も回ってもないし。


被害:現金8千円(ウキウキのとき夜にアイスクリームやプリンを買って贅沢するためと、今後の授業で使う本代を貯めていたお金)、スイカ(憧れのスイカをわざわざ誕生日まで待って買った可愛いデザインの)、手作りオーダーメイド本革財布本体(3万8千円、地元にあるイタリアに修行しに行った職人によって作られた一生もの最高品質の一品((2年くらいすでにつかっており、ちょうど色と固さに味が出て来た頃))、某飲食店ポイントカード達(中にはあと何回かで無料の食事なったり、割引多数が多く含まれる)、チュニジア大使の名刺(もらったばかり、今後このような機会に恵まれるかわからない)、生徒手帳(おととい発行してもらったばかり、これがないとキャンパスにある施設が使えない、図書館など)、他多数だいすきな物達。 あ、あと自転車本体。






この被害が甚大で、何か最初は焦ってやばいと思ってあんだけ度、途中から何か清々しかったです。むしろいい気分といってもいい。



というお話。終わり。しねくそ!ぼけなす!

お久しぶりです!

って、だれも読んだり見たりしてないとおもいますが。。w

今日は大学院の入学式でした。気を引き締めて勉強に励もうと思います。
願わくば、一年半で卒業したいです。


最近、音楽ができておりません。個人的にはずーーーと続けているんですが、、、バンドやりたいです。

前に通っていた塾から依頼があっったので。

●なぜ留学しようと思ったのか?
●留学中に、辛かったことも含めて、経験したり学んだこと。
●日本にいたら、きっと気付かなかったであろう貴重な視点。
●アメリカに行かなかったら出来なかった音楽活動や人的ネットワークの構築。
ということを、書いてほしいといったので、書きました。
殴り書きなので、全然まとまっておらず、長く、趣旨もずれてますが、まぁ気が向いたら読んでみて下さいーー!


人それぞれ何かを決断する時にはそれ相応の理由が必要だと思う。特に高校生で留学を決意しようなんて事になったら、さらなる理由が必要でした。なぜ、自分が留学したのか?今振り返れば、そんな理由はハッキリなんだったとは言えない。
留学生には二種類の人間がいると思う。一つは、前々から海外での暮らし、文化、教育を地肌に感じて、何かを達成しようとする堅い意思をもっている人。もう一つは、ただ漠然と留学がしたい、日本から離れたい、親元から逃げたい、大学受験がイヤだ、など客観的に見れば、あまりよろしくない口実を作り上げて留学する人。実際、当時の自分を見た時に、後者の方に分類されるだろう。しかし、前者も後者も共通する点が一つあると思う。それは、自分の周りの環境を変えて、何か新しいもの、事、つまり人生でCHANGEを求めてる点だ。

薄々気づいていました。日本で高校までの初等教育を受けて。あ、このまま社会の流れに乗って人生を歩んだら、他の人と同じように生きて、同じように死ぬんだなぁーと。新卒採用が良い例だ。日本社会が、国の大事な国力、若者を、縛り上げて残りの人生を会社の奴隷にする。みんなこのルールに従う、でなければ、社会では色眼鏡で見られる。なので、みんな同じような人生を歩む。毎朝、時間通りに起きて、時間通りに電車に乗り、仕事終わったと思ったら残業もしくは、上司や他の社員との御つきあい。たまの休みには、長い時間睡眠をとったり、普段使う時間もないお金を使い、とりあえず人並みの生活ができる事で安心感を覚え、本来の生きている目的、目標を忘れて、次の日からまた同じ生活が繰り返される。これが淡々と毎日、40年以上は続くのである。今述べたのはあくまで極端に凝縮された例ではあるが、だいたいほとんどの人に当てはまるんではないかと思う。

高校生の自分にはやいたいことがあった、それは音楽だ。ほぼ、留学理由の80%以上占めていたのはそれだけであった。日本にあのままいたら、自分のやりたい事など、とっくの昔に忘れ、現代社会の中に潜む流行、プレッシャーなどに押しつぶされ、人生を生きていなかったと思う。できる奴はどこにいてもできる。しかし、当時の自分は周りの環境を180度変えなければ、先には進めなかったのである。自分からは何もできなかった情けない話である。

留学初日、まず街に繰り出した。4年前のあの頃の、サンフランシスコに着いた次の日の記憶を今でも鮮明に覚えている。ストリートは買い物客や若者でにぎわい、カフェの前に追いてあるベンチでおじさんがギターを嗜んでいる。自分も当初つたない英語で話しかけて、すぐ友達になれた。音楽は会話より、早いコミュニケーションであると確信した。その翌週、最初のセメスターが始まった。レジスターした科目は忘れたが、英語、数学、テニス、などだった。クラス初日、頭の中ではわかっていたが、飛び交う言語は英語しかない。すごく緊張した。先生が席について、レジスターしている生徒の名前を呼び始めた。ちゃんとレジスターしているか、名前をちゃんと呼んでもらえるかと、授業が始まる前から、不安だらけ。授業が始まった。先生の黒板に書いてある事をひたすら、ノートに写した。先生の話している内容はまったく覚えられなかった。最初の日、本当に自分がこれから四年間、アメリカの大学を卒業などという事を成し遂げられるか不安に襲われ、逃げ出したくなった。でも、もう逃げる場所も後にも退けなかった。

一年目の最初の方の学期は、やはり生活すべてにおいて英語でという前提に慣れる事が一番大変。ノートをとっていても先生の話が頭に入っていなかったら理解度が70%は落ちる。先生によっては、まったく黒板に書かない人もいるほどだ。まずは、自分の視覚と聴覚を英語に慣れさせないと、何も始まらない。当時、意味もわからない先生の言ったジョークらしく発言に、周りに合わせて笑ったのは、苦い思い出である。

アメリカでは、みんなが自分、自分と前に出て行く。これは日本と真逆で、日本では集団行動、和を乱さないなと個人を嫌う傾向がある。アメリカの教育の上で、もしくはすべての面で、個人、自分を出さないと何も得られない。留学生だから、先生が優しく、授業後に話しかけてくれる事なんて期待しない方がいい。彼らは、ランチが食べたいのだ。仕事はあくまで教えるだけ、その後の事は自分でなんとかしろという割り切ったスタイルをとる先生がほとんどだ。それゆえに、授業内で発言、もしくは質問をしていかなければ、教室の一部化するだけで、留学での効力を最大限に得られない。すべてが自己責任である。自ずから行動していかないと、何も始まらず、そのまま終わってしまう。
留学でまず、覚えたのは行動することだ。クラス登録や、学校関係での手違いは、結構な頻度である。これを、誰かが見つけて勝手に直してくれるだろうと思っていると、痛い目に合う。ここは、日本でなく、アメリカで、自己主張をしていかなければ、すべての責任は自分に降り掛かる。

次に大変なのは、友達作りだ。これは留学においてかなり重要な役目をもっている。実際、自分も友達なしではいくつかの授業がパスできなかったかもしれない。人種の坩堝とはよく言った物で、クラスにはいろんな人がいる。誰も自分の事を留学生と気づいてくれるものはいない。他の人は地元とか知り合いで、一緒にクラスなどとったりしているので、固まっている。授業が終われば、さっさと帰ってしまう。日本みたいに戯れない。やはり、ここも自分からしかけなけらば、学期の最後まで乗り残され、ひとりぼっちになり、有益な情報もとりそこねるはめになってしまう。アメリカという国において、自分だけの”これ”というものを持っていない人間はあまり相手にされない。芸術でも、スポーツ、趣味、なんでもいいのだが、自分自身を誇れるような物を持っていないと、人間として魅力的じゃなくなってしまう。アメリカ人なんかは、特に正直で話や、生き方などつまらなければ、二度目はなく、その人との友人関係も途絶えてしまう。日本みたく、付き合いの文化が薄いと言える。

生活面においては、家族が自分にしてきてくれた事に気がつく。洗濯、炊事、家賃、光熱費、電気代、通勤代、今まで自分が当たり前のように使ってきたお金など、自分の手につかんで、消費する事で初めて生活していく上でのお金の価値観がついたと思う。最初に言ったように、自分で買い物に行き、料理をし、皿を洗い。これは最初は自由にできて楽しいが、毎日だとさすがにこたえる。母親は偉大さが身にしみてくると思う。

アメリカの大学生の間、友達の間では普通に、色々な国の政治や経済の話をする。これは日本にはあまりないと思う。日本で、話す事と言ったら、新商品の話や、テレビ、芸能人が大半を占めるだろう。アメリカでは、世界の現状、現実に自分の視点を向ける事ができる。これはどいう事か?日本のような先進国は、自分たちが所持している、もしくはあるものを当たり前だと勘違いしている。水や空気に始まり家、トイレ、道路、交通機関、食べ物、薬、など無限に日本に当たり前のように存在する物が、世界ではないのである。この事実を知ってると知らないでは、人生の行き方が180度違ってくる。

最後に、アメリカはなんだかんだ言ってもやはりスケールが大きい。自分は音楽をしていて、日本にいた時に比べたら、なんてアメリカはスケールが大きいのだろうと改めて思った。サンフランシスコのミュージシャンは実に多彩な音楽を演奏している。ジャズから、レゲェ、ロック、ラテン、など実に様々だ。留学して半年も経っていなかった頃、あるトルコ人と友達になった。ある日、その友人から電話があり、サンタナ好きって聞かれた。もちろん!と応えた。サンタナと言えば、世界で一番成功しているラテンギターリストである。グラミー賞なども数多く取っていて、サンフランシスコが彼の地元だというのは有名な話だ。なんと、そのトルコ人の友達がパーティーでサンタナの従兄弟と友達になり、コンサートで実際に会わせてくれると言うのだ。喜んだのもつかの間、電話をくれた頃には実はもうコンサートは終わっていて、友人がサンタナと一緒に撮った写真を自慢げにみせてきたのには腹が立った。
こいうパプニングも日本では起こりえないのである。スケールの差が違いすぎる。

後に、またもサンタナに会える機会を逃している。2010年にミュージカルにステージギターリストとして出演する事ができた。これもアメリカの一つの醍醐味で、自分は音楽的教育のバックグランドがまったくないので、そのミュージカル出演を掛けたオーでションの要求にも当てはまれなかったのだが、なんとか監督にお願いして、楽譜も読めない人間がオーディションを通過できたのである。アメリカはなんと言っても実力者会だ。履歴書の上の情報は特に当てにならない。特に芸術の分野では百聞は一見にしかずなのだ。その時に共演した女優さんが、2010年度のミス カリフォルニアになって、今度はミス グローブに出馬しているだ。その女優さんがあるパーティでサンタナとツーショットを撮っていて、サンタナのブログで紹介されていたのだ。またもや一足遅かった。後に、その女優さんに連絡した所、サンタナ好きだったの知らなかったわ、知っていたら一緒に連れて行ったのにーと軽く応答された。実にアメリカ人らしい。
芸術のみならず、ビジネスなどの分野でも優秀な人たちはみんなアメリカに集まってくる傾向がある。スケールの大きいチャンスにおいてはアメリカはダントツにすごい。

少し傾向は違うが、たくさんのヒッピーの友達もできた。サンフランシスコは当時ベトナム戦争時代、アメリカでピッピー発祥の地として有名で今現在でも数多くのピッピーが入れ渡り来ている。路上でギターを弾いたり、寝たり、歌い、人生の楽しいときを一緒に共有できた。日本では路上に座っているだけで、厄介者になる。絶対寝るなどできない。

最後に、アメリカで大学教育を受ける事は非常にいい投資だ。日本では、一度大学に入っちゃえば、後は授業を適当に出て、試験などを先輩から答えなどをもらい、卒業論文はネットからコピーしてペーストし、何も学ばないまま4年を費やし年間高い学費を払うのである。大学のレベルに関わらず、日本での学士号とアメリカとのでは”重さ”が違うと思う。アメリカでは大学には勉強をしたい人しかいない。したくない人たちは途中でやめたり、進級できずずっと同じ学年にいる。学生の平均年齢も日本に比べたらずーと上である。個人的な推測だとだいたい平均25-7くらいだと思う。毎日の課題や、エッセイ、出席が悪ければ、テストがよくてもパスできない事もある。授業中は、教授と生徒がよく討論する。これは実にいいことで、生徒にきちんと考えさせ、自分の意見として他の生徒と共有する事により学習率の効率を上げている。日本みたく、先生が他の専門家が書いた教科書をただ読んで、勝手に生徒を残して授業を進めない。

教科書など、授業前に読んでくるのが当たり前でわざわざ先生がいる時に一緒に読んでも意味が無い。事前に読んできて、それで授業内で教科書には載っていない知識などを先生からもらうというスタイルがアメリカだ。生徒自身も非常に活発的で、みんな自分からバンバン質問を先生になげかける。日本ではほぼ誰もしない。生徒も悪いが教育者も悪いと思う。アメリカではもちろん分野によるが、本当に勉強が好きで頑張ってきた人たちしか大学の教授にはなれない。しかも、一人一人の教授がちゃんと生徒に教える、教えたいという、教育者としての大前提がしっかりと確保できている。
日本ではたまに、教えるという事が先生のただの”仕事”になっているケースも少なくない。

アメリカの大学に来て初めて、教科書を隅々まで読むようになり、勉強が楽しいと思え、初めて教育が大事と思えた。日本の中学高校で寝たりサボっていた基礎知識の授業、歴史、社会、数学、国語をすごい悔やんだ。なんでちゃんと勉強してこなかったんだろうと。留学で初めて教育への投資の重要性、そして可能性に気づけました。さらには、自分の人生にも真剣になれることに気がつかしてくれました。



留学しても、日本人同士で固まってしまう人は、どこへ行っても、何をしても、何もかわらないので注意してください。他の日本人とのネットワークは大切だと思いますが、ただあらゆる生活面で一緒となると留学の意味がまったくありません。なので、なるべく一人で授業ととったほうが良いと思います。日本語を話さない友達とでもいいので、とにかく日本にいるときと真逆の環境に自分を自ら置いてみることが重要です。
それによって、気づかされる事もたくさんあります。
やっぱり他人から言われるのではなく、自分から行動に出ましょう。きっと何かかわるはずです。