先日ブログに上げた、「そうじゃないのに」的な案件が、この頃度々起きるなかで、
ふと数年前の経験を思い出した。
初めて使う駅のバスターミナル。帰宅途中の人々の列が、どういうルールなのかわからなかった。足下に矢印があるらしいけれど、夜だし大勢の人で確認できない。
私が乗りたかった乗降客の多いそのバスの列は、途中で横断する人を通す必要があった。そのため列が中断する箇所があり、それを挟んで数列できていたから、一見しただけでは並び方が飲み込めず、並んでいる人の間をうろうろしてしまった。
その時、混乱している私に、イラついた感じの50~60代の男性が、無言で力を込めた指先でバスの乗り口からの列をなぞってくれた!私を睨み付けながら。
「ご親切にありがとうございます。助かりました。」
私は安心して列の最後尾につくことができた。
でも、これが意外で、その時の私は全く傷つかなかった。 教えてくれて感謝しかなかった。
それは、きっと彼が言葉にしなかったからに違いない。もしも、優しそうな女の人だったとしても、「並んでるんですけど」みたいな、「それはわかっています」的な出だしだったとしたら、きっと私は咄嗟に謝り、そして「わからないだけなのに」と悲しくなり、この列はどうなっているのですかなんて尋ねられなかったろうなあ、と思う。
なぜこれを思い出したのか。
このところ何度も出てくる「そうじゃないのに」の感情(笑)
でも、傷つかなかった経験を思い出してハッとした。
「言葉にしないことの効用に気づきなさい」の意味かもしれない。
「何でも決着をつけようとしない」
「ジャッジせず、しばらく黙って様子を見ている」
これ、みかん色音符は最近できてますか?
と、言われているのかもしれない。
私にとって、これがなかなか難しい。
「すぐに反応しない」を実践し始めて数年。だいぶできるようになってたかもしれないところで、慣れによって、案外、忘れがちだったのではないか?きっとそうに違いない。
間髪いれずに反応して、うっかりネガティブを拾うような出来事の数々。大小いくつかの「そうじゃないのに」が頻発中💧
わかりました!ヒントをありがとう!
反応のしかたをかえればいいのよね。
今日はシンクロニシティが起きて、同じようなアドバイスをもらった。
「他人の感情の扱い方は、少し待つ方がいいですよ、ほとぼりがさめるって大事。あなたはすぐに言葉にするから。」
この次に来るものも一連のお試しの内なら、もうお試しには合格したい。
生きづらさを卒業したいから、
そろそろ手放したい。