MusiCafe / Ameblo ( 保存用 )

MusiCafe / Ameblo ( 保存用 )

- 清瀬 航輝 の音楽日記 -

国際NGOグッドネーバーズ・ジャパン
Amebaでブログを始めよう!
 

 
 
 
 忘れかけていた遠い日が夢に出てくるベッドは、苦痛なものです。けれども、そのベッドでまどろみに浸っている一時が、私にとって最も安らげるひとときなのですから、皮肉といえば皮肉です。フラッシュバックの連続に晒され、息の詰まる痛みから目覚めれば、今日も一日が静かに。安らぎは一瞬か。
 
[ 2017.10.26 / 清瀬 航輝 ]

 
 

 
 

 
 
 
$MusiCafe
 

 
 
 
 季節には、必ず終わりが来ます。恋にも、愛にも、そして、命にも。形あるもの、ないもの、みないつかは消えて無くなるのです。
 
 今年の夏が終わっても、また来年も、再来年も、どうせ同じように夏は来るよと、そう誰かが気安めに言ったところで、違うのです。
 
 果たして、季節の気まぐれと、人は誰しも、その想いを片付けられるものでしょうか。たとえ愛しい人が、もう逢えない夜にまぎれて消えたとしても、その人を一杯のカクテルにかきまぜて、熱い心のまま一気に飲み干せられるものでしょうか。
 
 夏が終わり、時に「君は1000%」と信じた季節の最期に、そっとピリオドを打てるだけの、無情な自分になれるというのでしょうか。
 
 カルロストシキとオメガトライブは、早かれ遅かれ終わりが確約され、始めから割り切られたグループだったのだろうと思います。それでも彼らは、彼らなりの音楽を歌い続けたし、夢も想いも振り撒いた。
 
 けれども終わりの時には、そのまま去って行った。5年余りの歳月も、その間に歌われ続けた「君は1000%」も、今は聴くことが出来ない。物語を「Endless Summer」と言い残して。
 
 かたや、西城秀樹の「エンドレス・サマー」を思い浮かべる。発売された当時の、「夜のヒットスタジオ」での素晴らしい歌唱映像が、私の知る限りで2種類ある。
 
 この曲は、私が生まれる(1980年07月31日)10日前に、シングル盤で発売された(1980年07月21日)。その歌詞の中で、愛の行方をおそれる彼女が、「このまま貝になりたい」と告げ、それに彼氏が、「今年の夏は終わらない」と言い放つ。
 
 そういう世界に、甘い夢を持つことがある。いつまでも終わらない夏であってもらいたいと。けれども、このシングル盤のB面に収録された「涙のスローモーション」の歌詞が、むしろ私自身の内心に触れる。「愛は人を裏切る」し、裏切られた私自身も、別の人を裏切る。
 
 私の両親も、3歳だった私を裏切った。そうしたことは夏に限らず、また季節を問わず、この世界では無数の愛が、人を裏切る。かくして物語は終わる。もう2度と再び、叩かれないドアの、その余韻だけを残して。
 
 もう、あまりあれこれと言いたくはないし、いつかは終わらなければ、とは思っていた。昨年09月19日、「安保法」や「平和安全法制」と称される、私から言わせれば「戦争法」が、国会で法案として可決・成立されてから、ちょうど11日後で1年となる。
 
 止められなかった心の傷を清算するのに、こうして約1年近くもかかった。そして、私自身の心の夏も、既に終わったのだ。この「Endless Summer」を、そろそろ閉じようと思う。
 
 私は真剣に闘った自負がある。けれども、みんなは果たしてどうだったのか。傍観者や野次の側に居た人々に、恨み節を吐くつもりもない。
 
 君を1000%だと思っていた。私は本気で思っていたし、信じていたし、だから小さな勇気も、或いは小さな涙も、私なりの仕方ではあったけど、5年半(或いは7年)近くも、この物語として散りばめ続けてきた。
 
 この誘いは、この試みは、この思いは、この温もりは、いつまでも続くものではないし、もうドアを叩き続けることに、本音としては諦めてしまいそうなんだ。
 
 また私は、少し進化もしつつ、私のまま再び帰って来る。ひとまず今は、ただ静かに眠っていたいんだ。いつしか1000%を信じきれなくなった、その私が放つ戯言。強い眠気が、スローモーションで、この場から私を引き離そうとする今。さっき飲んだ薬が効いてきた。
 
 思えば、長い夏風邪だった。36年もの病である。そして今頃になって、ようやく風邪薬が効き始めた。私の「Endless Summer」に、更なる眠気が重なる。だから、もうおやすみの手前あたり。
 
 だから最後に、もう一度だけ、そのドアを叩かせて。銀の涙はそのままに、かつての僕が信じた、本当に1000%だった君へ。僕だけの1000%、そう僕だけの。
 
 目を閉じた「Endless Summer」の、波と風の音。甘い夢と、それから苦い嘘にも、みんなこの微笑みでしか、心にして返せない。これでもこれから、僕は新しい場所で、新しい方法を以って、色々と頑張ってみるから。僕なりの1000%を以って。
 
 いつか戻って来る日まで。どうぞお元気で。今までをありがとう。さようなら。
 
 でも本当は、本心では信じてみたいのです。ヒデキが歌った、あの「エンドレス・サマー」の世界を。決して終わることのない、永遠の夏の愛を。
 
[ 2016.09.08 / 清瀬 航輝 ]

 
 

1986年05月01日 発売
作詞 : 有川 正沙子 作曲 : 和泉 常寛 編曲 : 新川 博
 
 
 

1987年02月04日 発売
作詞 : 藤田 浩一、カルロス トシキ 作曲 : 和泉 常寛 編曲 : 新川 博
 
 
 

1987年06月21日 発売
作詞 : 売野 雅勇 作曲 : 和泉 常寛 編曲 : 新川 博
 
 
 

1987年07月15日 発売
作詞 : 売野 雅勇 作曲 : 和泉 常寛 編曲 : 新川 博
 
 
 

1987年11月18日 発売
作詞 : 売野 雅勇 作曲 : 和泉 常寛 編曲 : 新川 博
 
 
 

 
 
$MusiCafe
 

 
 
 
 真夜中、あの頃を聴きたくなった。そう、あの頃の時代と、あの頃の私に帰りたいと、そう思った。思わずにはいられなかった。
 
 昨日、不意に耳にしたラジオから、アベが「中国に法の支配を守らせなければならない」といった趣旨の発言をした、と伝え聴いた。
 
 昨年、日本国憲法の第53条に明記された、臨時国会の開会規定を平然と無視し、憲法違反を公然と犯した男が、である。
 
 それ以前に、「安保法」と称する「戦争法」で、専守防衛を旨とする日本国憲法を破壊した男が、である。
 
 そればかりではない。「ウソつかない、TPP断固反対、ブレない。」と選挙ポスターで謳いまくった、2012年12月の衆議院議員総選挙。更には、選挙日の当日において(政治活動イコール)選挙活動を公然と行った、今年7月10日の参議院議員選挙。
 
 アベの発言だけで個別に挙げても、「JR東(日本)は殺人を行う集団であります」「私は立法府の長ですよ」「福島第一原発の汚染水は、敷地港湾内で完全にアンダーコントロールされています」といった始末。
 
 こんな馬鹿げた時代が、もう何年続いてきたことか。私は子供の頃、いつも「最後は正義が勝つ」と、まるで疑わずに信じていたし、そして実際、当時の流行歌にも、「必ず最後に愛は勝つ」というフレーズが、繰り返し歌われていた。
 
 あの時代は、あの時代だけに通用する嘘を、無責任に振り撒いていたのか。少なくとも、子供だった当時の私は、もっと純粋に、そしてそれが空気のように自然なものとして、自分の未来や夢を信じることが出来たし、周りの大人たちも、それを子供たちに説いていた。
 
 私が経験した(させられた)、あの時代は、一体何だったのか。嘘だったのか。騙されたのか。あの頃の私が、今こうして、茫然と言葉を失くしている。
 
 果たしてそれに、当の責任者たちは、どう言い訳するのか。知りたい私に、なのに何故、素知らぬ顔で逃げるのか。
 
 それが悔しいのだ。子供の頃から今まで、私たち世代は、平気で騙され続けてきたのだ。私は、その嘘を幼な心に信じ、真に受け、無垢のまま愛していたのか。
 
 みな嘘の物語だったのか。享楽と悦楽、偽善と欺瞞、無責任と無神経、そうした仮面の下に隠された、かつての時代、それは現在の政治状況と同一犯ということなのか。
 
 これが日本か。これが、私の愛した日本か。生まれ故郷の沖縄を足蹴にしてまでも慕い続けてきた、これが日本社会の正体だったのか。
 
 これが、大人社会として子供にすることか。平気で出来ることか。
 
 その子供たち、つまりは現在の私たちが、アベの大嘘で、他国の戦争に巻き込まれようとしている。つまりは「殺される」ということだ。
 
 これを以って「美しい国」とでも言いたいのだろうか。やがてはアニメソングも、国威発揚や戦争讃美の手段として利用されることだろう。リオの土管から安倍マリオが出てきたように。それに瞳を輝かせる若者たちの拍手喝采を以って。
 
 毒キノコに狂ってしまった日本を、もう誰も救えないだろう。そして、軍靴も踊る戦争(或いはテロ)の時代となる。
 
 それでも、武運長久を祈らずにいよう。残念だけれども、自分たちが選んだ道である。毒キノコという言い訳も、土管のワープも通用しない。それはリアルな因果応報として。
 
 勿論、無敵アイテムの輝くスターも、ただの夢物語である。嘘の言い訳に、勝利の女神は微笑まない。それは当然だろうし、或いは、その女神までも利用して汚すというのであれば、大和魂もそれまでだろう。
 
 だから私は、もう何も祈らない。
 
[ 2016.09.08 / 清瀬 航輝 ]

 
 

 
 

 
 
$MusiCafe
 

 
 
 
 最近、子供の頃に繰り返し聴いていたアニメの主題歌、アニメソング(まだ当時は「アニソン」という言葉がありませんでした)を聴き返しています。
 
 当時、子供の小遣いで集めたアニメ関連のCDは、もう既に処分して久しいのですが、また再び集めたりしています。
 
 今頃になって、古い記憶を手繰りつつ、わざわざ聴き返してみたくなったのは、単に懐かしさからでしょうか。
 
 いいえ、ノスタルジーからではありません。そんな余裕の懐古趣味からではなく、今の私が、当時以上に、それを心から求め、そして更に必要としているからです。或いは「渇望」と言ってもいいかも知れません。
 
 しからば、その理由は、一体以って何に起因しているのでしょうか。今更に、果たして何故なのか。
 
 きっと、心が凍てついているからでしょう。震えた心に、或る種の暖を得たいから。
 
 そう、寒いのです。今、この時代が。この日本社会が。私には、心の支え無くしては、とても耐え難いのです。そして、だからこそ本来居た場所に戻りたい、帰りたいのです。
 
 あの頃の空気でも吸わないと、この胸が苦しくなるのです。悪を称えて善を蔑む、そんな日本を、私は見たくなかった。この普通の顔をした現代が、私には恐ろしく怖いのです。
 
 信じていたものが、信じていた未来が、信じていた世界が、全く違っていた。これでは愛も凍えてしまいます。
 
 アベノミクス?積極的平和主義?安全な原発を再稼働?この程度のまやかしに取り込まれるほど、私たち日本人は、そこまで愚かだったのでしょうか。
 
 この目の前で、私たちが大切にしてきたものたちが、無残にも次々と焼き消されてゆく。その炎の青い死に色が、私には心寒いのです。
 
 そして、やがては私の愛も、この炎の中にくべられるのでしょう。アベが称する「一億総活躍」の名の下に、いずれは燃えて灰と化すのであれば、せめて「平和国家」の残骸として、私を葬り棄てればいい。「美しい国」の名の下に。
 
 ただし、間違っても安倍マリオの毒キノコなど、私は死んでも口にはしない。
 
 とにかく、今は何も考えずに眠りたい。隠れるように、静かな場所に埋もれたい。独裁と、戦争と、愚衆が舞い踊る、その喧騒をよそに。小さな部屋の片隅の、小さなベッドの中だけが、たったひとつのシェルターだった、あの頃のように。
 
 ひとり時代の子守唄を聴き乍ら。あの頃のまま。そう、あの頃のままの、あの頃のままに。
 
[ 2016.09.08 / 清瀬 航輝 ]

 
 

 
 

 
 
$MusiCafe
 

 
 
 
 ゲゲゲの鬼太郎、らんま1/2、魔神英雄伝ワタル、勇者エクスカイザー、太陽の勇者ファイバード、鉄人28号FX、無責任艦長タイラー、など沢山のアニメ作品を、子供の頃に視て育ちました。その中のいくつかの主題歌を、久し振りに聴いてみました。懐かしいものですね。かたや現代。子供に夢を抱かせてくれるアニメやヒーローが、果たしてどこにあるというのでしょうか。つまり、かつての私たちは、実に良い時代に生まれ育ったのですね。やはり恵まれていたのだと思います。
 
[ 2016.09.06 / 清瀬 航輝 ]

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 
$MusiCafe
 

 
 
 

 
 
 

 
 
 

 
 
 
 ヨンハが亡くなってから、早いもので、もう6年の歳月が過ぎた。そして、今月12日は、そのヨンハの誕生日だった。もしも生きていれば、現在は39歳。本当に惜しい人を亡くしたと思う。
 
 ヨンハがいたから、ここまでやってこれた。いつもヨンハがいてくれたから、横で笑っていてくれたから、ここまで歩いてこれた。
 
 そのヨンハが遺してくれたもの。これからも、守っていけなければいけないと、そう気付かされた。私なりのやりかたで、私なりの「STARS」を、これからも輝かせていよう。生きていよう。
 
 亡くなる直前のヨンハを、今朝、久し振りに映像で視てみた。ぎりぎりで生きていたのだと思う。だから、ああいった最期になってしまったのだろう。
 
 ヨンハの死は、明らかな悲劇だったけど、けれども決して、悲劇としてだけでは片付けられない死だったと言える。そう言わなければならないはず。彼を愛する者のひとりとして。
 
 そうでなければ、あまりにもかなしいことであるし、ヨンハのみたまも浮かばれない。
 
 その存在に助けられてばかりでは、甘えてばかりでいては、ヨンハの死に後ろ向きになってしまう。ヨンハは死んだけど、けれども死んではいない。そう言える自分で、いつもありたい。
 
 いつも、いつでもヨンハと歩いている、そんな自分を忘れないでいたい。それは、信じる以前の必然でありたいし、それすらも、願う以前のこととして、私自身が自然に生きていけたらと思う。愛せたらと思う。
 
 ヨンハを愛せたらと思う。それは同時に、私を愛することであるし、私自身を認めたり、許したり、理解することであり、だから私は、孤独でもなければ、ひとりなどではない。
 
 これ以上は、もう言葉を重ねない。同じようなことを繰り返さなくとも、ただ輝いてさえいればいい。ただ生きてさえいればいい。ただ愛すればいい。
 
 ありのまま、あるがまま、心のままに。
 
[ 2016.08.25 / 清瀬 航輝 ]

 
 

 
 
 

 
 
 
$MusiCafe
 

 
 
 
 久し振りに、ヨンハの「期別」を聴きました。
 
 いくら過去を求めたところで、過ぎ去った甘い記憶は、限りない追憶でしかなく、もう遠い彼方から、決して戻っては来ない。
 
 最近、辛いことが多くて。別に、また戻ってきてほしいとは思いません。けれども、ここまで世界が変わってしまうと、あの時代が、まるで夢のようなのです。
 
 夢というよりは、嘘のようで、欺かれたようで、だから信じられないのです。
 
 私の大切な「日本の面影」は消え失せ、代わりにリオの土管から「安倍マリオ」が現れ、それに若者たちが、熱狂の喝采と拍手を送るという現実を前に、私は、この心を閉ざします。
 
 彼らにとっては、憲法違反のファシストが、是認の対象となるのでしょうか。正気でしょうか。
 
 その時代の中で、私も変わってしまった。もう、あの頃の私ではないし、あの頃の日本でも、あの頃の時代でもない。何もかもが、全て変わった。
 
 ただ変わらないのは、「あの頃」だけ。私が愛した、何気ない「平和国家」の、その残骸に、ひとりたたずめば、かつての懐かしい声が、当たり前だった笑い声が、残像のように聴こえる。
 
 もう居ない愛し人の、腐ったミルクを、買っては流し捨てるばかりの人生に、果たして何の意味や価値があるというのか。
 
 3歳で父と母に捨てられた私が、孤独の中で信じたものは、一体何だったというのか。置き去りにされた心を、どんな言葉や花束で癒せるのか。慰められるというのか。
 
 こんな不毛の大地に、何の希望の未来を抱けというのか。何が「安倍マリオ」だ。何が「一億総活躍」だ。何が「平和安全法制」だ。何が「美しい国」だ。
 
 あんな嘘つきマリオは要らない。あんな馬鹿マリオが、私たちの代表、日本の首相か。ふざけるな。
 
 日本社会を信じてきた私に、今さら「安倍マリオ」か。もしもそうだというのであれば、可笑しくて、可笑しくて、可笑しくて、その可笑しさに、瞳も凍るしかない。
 
 ヨンハは死んでいった。そして私は、今ここに生きている。けれども、果たしてこの命に、一体何の輝きがあるというのか。
 
 でも、愛し続けてきた大切なもの「だけ」をよすがに、この冷蔵庫の中を、腐っても腐らずに生きていようと思う。もう少し生きてみる。ミルクを捨てながら。ミルクを流しながら。
 
 いつまでも、たとえ腐っても、冷蔵庫のミルクを信じながら。
 
[ 2016.08.24 / 清瀬 航輝 ]

 
 

 
 
 

 
 
 

 
 
 
$MusiCafe
 

 
 
 
 以前、埼玉県の新座市にて、『 栄・池田九条の会 10周年のつどい 』 を映像撮影させて頂きました。前半は、池山 由香さん(&なんくるないさあず)のステージ 『 春の風 コンサート 』 、後半は、小林 節さん(慶応義塾大学 名誉教授、弁護士)の講演でした。今回の動画では、前半の素敵なステージを紹介します。どうぞぜひご覧下さい。
 
[ 2016.08.10 / 清瀬 航輝 ]

 
 

日時 : 2016年03月27日(日) 午後01時30分 ~ 午後03時30分 頃
場所 : 福祉の里 講義室(埼玉県 新座市)
 
撮影 : 清瀬 航輝 [ http://kiyose-kouki.jimdo.com ]
 
(C) STARS LIFE All Rights Reserved.
 
【お知らせ】 今後は STARS LIFE ☆ YouTube [ http://youtube.com/starslife2011 ] 、Channel K [ http://youtube.com/channelk2014 ] 、Channel K ☆ NEO [ http://youtube.com/channelk2013 ] の各チャンネル、それぞれに独自の情報を発信しますので、ぜひチャンネル登録をお願いし­­ます。 [ 2015年12月10日 / 清瀬 航輝 ]
 
 
 
$MusiCafe