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 日本語ロックを生み出した伝説のバンド「はっぴいえんど」2021年にメンバーだった鈴木茂はYouTubeでのインタビューでメンバーであった松本隆から「はっぴいえんどは殿堂で変えることはできない」と話されたことを語っていた。勿論、後に続く松任谷由実、山下達郎、サザンオールスターズ…と日本の音楽を変化させるがそこには「はっぴいえんど」とのかかわりがある。今回はそこを掘り下げる。

 

【はっぴいえんど】

ベース:細野晴臣、ギター:鈴木茂、大瀧詠一、ドラム:松本隆のバンド。1969年に「エイプリル・フール」と言うバンド名で結成後、改名し1972年まで活動した。シングル4作品、アルバム3作品を残している。

 

  歌謡界・J-popを支えた作詞家

 手の付ける部分が多いメンバー達であるが、まずは一般に知られる「松本隆」から始めよう。解散後、音楽プロデューサー木崎賢治と出会いアグネス・チャンへの作詞提供から歌謡界へ進出する。そして、筒美京平と多くの曲を創り出したほか、松田聖子の楽曲の作詞を多く担当する。また、呉田軽穂としてアイドルに曲を提供していた松任谷由実との共作は今でも親しまれている曲の一つだ。一方で、「はっぴいえんど」として活動を共にしてきたメンバーへの作詞提供も欠かせず行っている。

 さらに、ジャニーズへの作詞提供は現代のJ-popにもつながる部分だろう。事実、松本隆が作詞した曲のトップセールスはKinKi Kidsの「硝子の少年」だ。この頃の作曲家とのタッグは山下達郎や織田哲郎らとも行うようになる。

 

  「ティン・パン・アレー」から「YMO」「SKYE」

 細野晴臣、鈴木茂は解散直後に松任谷正隆、林立夫と「ティン・パン・アレー」と言うバンドで活動する。このバンドもアルバム3作品を残して自然消滅していったが、彼らは、ミュージシャンのプロデュースを行っていた。その歌手が「荒井由実」だ。彼らのアメリカ西海岸のカントリーロックのような音楽性と荒井のブリティッシュロックからの音楽性が融合し、「ニューミュージック」と言うジャンルが確立する要因にもなった。

 このバンドで欠かすことができないのが「キャラメル・ママ」と言うアルバムだ。

 このアルバムの9曲目に収録されている楽曲「YELLOW MAGIC CARNIVAL」は当時は聴いたことのない音楽・トラックだっただろう。「謎の音」が多いと言ってもよいだろう。その後、細野晴臣は坂本龍一、高橋幸宏と「YELLOW MAGIC ORCHESTRA(YMO)」を結成し、世界を席巻する。アルバムの曲はそれを予感させる曲と言っても良いだろう。

 「ティン・パン・アレー」は他にも参加しているミュージシャンが多いバンドだ。「サディスティック・ミカ・バンド」で活躍したベーシスト:小原礼も関わっていた。2018年「第69回NHK紅白歌合戦」の松任谷由実のバックバンドで鈴木茂、松任谷正隆、林立夫、小原礼が参加した。そして、2021年に「SKYE」としてバンドを結成し、2022年「第73回NHK紅白歌合戦」でも松任谷由実のバックバンドとして再び参加、この時はクレジットに「SKYE」との表記があった。

 

ソロから「ナイアガラ門下生」の活躍 

 「はっぴいえんど」解散の2年後大瀧詠一は「ナイアガラ・レーベル」を設立する。このレーベルから輩出した歌手は、佐野元春、シュガー・ベイブ(山下達郎、大貫妙子ら)だ。またコーラスなどでレコーディングに参加していた中にはシャネルズ(鈴木雅之ら)がいた。さらに、作曲家として小林旭、太田裕美、森進一へ楽曲の提供、植木等の「スーダラ伝説」のプロデュースなども行っていた。

 また、1981年にリリースした「A LONG VACATION」は名盤として現在でもCM・TVでも使用されているほか、世界で初めてCD化したアルバムの一つにもなっている。

 余談にはなるが、山下達郎はシュガー・ベイブ時代とソロでヒットするまではコーラスを担当している時期があり、上で書いた「ティン・パン・アレー」や荒井由実のCDなどにも参加していた経歴がある。

 

  サザンオールスターズとの関係性

 サザンオールスターズがデビューする直前に、鈴木茂はヤマハのスタジオで彼らの演奏・楽曲へのアドバイスをしていたことを桑田佳祐が自身のラジオ番組で話していた。それを物語るように、2021年に桑田が憧れであったジャズの殿堂「Blue Note Tokyo」で行った桑田佳祐ソロの配信ライブ「静かな春の戯れ~Live in Blue Note Tokyo~」でのオープニング曲は自身の曲ではなく「ティン・パン・アレー」がリリースしたアルバム「キャラメル・ママ」に収録された楽曲で、歌唱は鈴木茂が行っている「ソバカスのある少女」だった。

 

 このように、「はっぴいえんど」が伝説のバントであったことは間違いないが、そこからのメンバー個人の活躍がその後の日本の音楽史に多大なる影響を与えたことは間違いないだろう。

 

 

 追悼

 今年に入り、高橋幸宏、鮎川誠、坂本龍一と日本の音楽界を支えた巨匠がなくなった。Music Lifeなりの追悼の意を込めて彼らと「はっぴいえんど」の関りを紹介する。

 大滝詠一がシュガー・ベイブを手掛けたときに未発表曲がいくつかあった。これは山下達郎がソロになったときにリリースされる運びとなった。有名な曲では「パレード」(大瀧詠一・伊藤銀次・山下達郎による「ナイアガラ・トライアングル Vol.1」に収録)だ。このレコーディングでピアノを弾いているのが坂本龍一だ。この頃、山下達郎は大学の学祭で歌唱することが多くそのメンバーにも坂本龍一がいたそうだ。坂本はこの時に高橋幸宏と対面したそうだ。その後、坂本龍一は1978年に細野晴臣がリリースしたアルバム「はらいそ」に参加したことがキッカケとなり高橋幸宏と共に「YELLOW MAGIC ORCHESTRA(YMO)」と結成。1983年にリリースした「君に、胸キュン。(浮気なヴァカンス)」の作詞は松本隆が担当している。

 YMOが活動している中、高橋幸宏はあるバンドのコンサートを見に行った。それが「シーナ&ロケッツ」である。この時に、高橋幸宏が細野晴臣に鮎川誠を紹介したことで名曲「YOU MAY DREAM」が誕生した。

 偶然にも、同じ時代に多くの接点があった3人が同時期に旅立ってしまった。新曲・活躍が見れなくなるのは悲しいことだが彼らが残した作品は永遠に聴くことができる。これを歌い継いでいくことができるのも今を生きる自分たちにしかできないことである。

 改めて、ご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

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